第9話

 まだ怪我が治っていないが、いつもの部屋に移された。不安な気持ちで客を待っていると、リージが入ってきて安堵した。

 しかし、まずいことに、プレゼントした記憶をダウンロードしたかと訊かれてしまった。ハイルは、時間がなくてなかなかクリニックに行けない、と誤魔化した。自分の表情がまともな微笑みになっているか心配になる。しかし、リージは怪しむ様子はなかった。

「大変だね。……手首どうしたの?」

 目立たないように肌の色に合わせたテープを巻いていたが、気づかれてしまった。

 ハイルは、正直に怪我をした経緯を話した。

「でもたいしたことないから大丈夫」

 リージは、ハイルの予想よりもはるかにつらそうな顔をした。

「……そうなんだ」

「どうしたの? そんなに悲しそうな顔しないで」

「ハイルは記憶売買規制に反対なんだね」

「うん」

 ハイルは自信を持ってうなずいた。

「家族みんな反対だよ。……リージは違うの?」

「うん」

「そうなんだ」

 でも、仕方がない。仲よくしていても、考え方が違うことはある。

「……俺の姉さんさ」

 リージは言いにくそうに話しだした。

「記憶依存症で治療中なんだ。それは保険が効くから大丈夫なんだけど、姉さんが記憶を買うためにつくっちゃった借金があって、それを返すために、両親も俺も働いてるんだ。本当は、ベーシックインカムだけで暮らしていけるはずなんだけど」

「記憶依存症?」

 首相が言っていたやつだ。快楽を得るため、記憶を買うことが癖になってしまう人がいるらしい。

「どうしてそうなっちゃったの?」

「わからない。姉さんは普通の、優しくて真面目な人だよ。とにかく、記憶には依存性があるんだ。姉さん、最近はだんだんよくなってきたけど、一番ひどかった時は、自分が誰なのかもわからなくなっちゃってて」

「そうなんだ」

 それは、悟りに近づいたということだろう。でも、本当の悟りに至るためには、記憶を得たいという欲求がなくなるところまで突き抜けなければいけない。快楽を求める記憶依存症患者と、悟りを求める静杯会は、記憶を買おうとする動機がまったく違う。

 やはり、一般個人の資金力では悟りには至れないのだ。

「うん。借金も、結構、結構な額でさ」

 リージは笑った。

「まあ、それは別に働いて返せばいいからいいんだけど、姉さんがこれからどうなるのか……薬もセラピーもあるけど、ずっと続けて行かなくちゃいけないらしくて」

「そうなんだ。初めて聞いた。大変なんだね」

「ここに来てるのも、もちろん両親には内緒にしてる。恥ずかしいからじゃなくて、自分の楽しみのためにお金を使ってるって知られたくないから」

「そうなんだ。それなのに、わたしに会いに来てくれてるんだ」

「そうだよ。ハイルのことが好きだから」

 リージははっきりと言った。

「考え方が違ってても、それは変わらないよ」

「ありがとう」

 嬉しかったけれど、リージはどこか思い詰めているように見える。

「どうかしたの?」

「ううん」

 リージは首を振った。

「どうしてこんなに好きなんだろう。でも、人を好きになるのに、説明できる理由なんてないよね」

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