第6話 海鼠との出会い
こんばんは。今の時刻はAM2:30頃だ。
所謂丑三つ時って頃合。本エッセイ.......というは筆者の書く作品は基本的に何時に更新するとは決まってないので、こんな時間にベッドに座りながらこれを書いている。
さて、今回は筆者の昔話をするとしよう。筆者が何故ナマコが好きなのか、についてだ。あれは小学生の頃だった。筆者はよく家族に海遊館に連れて行ってもらっていた。そこには統率の取れたイルカ達のショー、あまりにも巨大な大型のサメ。子供心をくすぐる要素が全て詰まっている。勿論筆者もそれらを見て楽しめたが、こんなエッセイを投稿してるのだから理解して貰えるだろうが、筆者は当時から変人であった。水族館の主人公クラス達を尻目にクラゲやエビ、カニ等の脇役.......そういったイキモノに強く惹かれていたのだ。確か当時、海の生き物達とのふれあい体験があった。そこで初めてナマコと出会った。それは細長くて黒光りしていた。筆者以外にも多くの子供達が水槽の周りを囲っていたが、ナマコは気にしないとばかりにただ砂の上でデンと構えていた。筆者は当時ソレが生き物であると思わなかったが、脇にあった説明書きを見てコレが正式に生きていることに気づいた。こんなカタマリが生きてるなんて!カミナリに撃たれたような衝撃だった。恐る恐る指を近づける、近づける。ナマコと指の距離が次第に縮む。ナマコは逃げない。ナマコを触る踏ん切りが付かずに躊躇している筆者をいつまでも待ってくれている。汚い指を嫌がらずに受け入れてくれているように感じた。ようやく触るとぷにぷにした感触が指に伝わった。あの感触は今でも覚えている。ゼリー?違う。毛布?全然違う。例えるならば.......そう、泥団子を作ろうとして水を含ませすぎて失敗した泥水の塊、アレを触っている感覚に近かった。閉館の時間になり親の車に乗り込んでからも、しばらくあの感覚が指に焼き付いていた。アレは一体なんだったのだろうか。実は作り物なんじゃないか?本当に海に沢山居るのだろうか?様々な疑問が脳を駆け巡った。
何故あの時ナマコのふれあい体験が開催されていたのか。今なら理解出来る。
海鼠神だ。
他でも無い海鼠神が、私にナマコの素晴らしさを広めよと伝えに来られたのだ。
だから筆者はこうしてエッセイを書いている。☆は要らない、ハートも要らない(でも物書きの端くれだし貰えると嬉しい)。筆者がこんなエッセイを書く一番の要因は、不特定多数の人間達にナマコの素晴らしさを広めたいからだ。
さぁ!ナマコを崇めよ!ナマコを讃えよ!
ナマコは全てを解決する!
ナマコをあがめよ!ナマコを讃えよ!
ナマコ神様の仰せのままに!
また次回。
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