第99話 彼がいた証


 剣士には剣士の、盾役タンクには盾役タンク強化バフを組み立て、代わる代わる付与していく。そして素振りなり組み手なりをしてもらって、正しく強化バフの作用というものを確かめていく。


 中庭の訓練場は子供たちが集まる道場みたいに賑やかになって、本来の【夜蜻蛉ナキリベラ】らしい活気が思い出されるようですらあった。


 ヴィムの強化バフを再現し、感覚の再調整をする、という試みは概ねうまく行っていると言っていいだろう。この分だと後衛部隊の魔術師たちも同じ訓練が可能なはずだから、明日は後衛部隊にも声をかけようと思う。


 ただ、あくまで“概ね”である。一つ問題が残っていた。


「まだ、感覚は戻らない?」


 私がそう聞くと、盾部隊の一同は苦い顔をし、マルクさんが額から汗を流しながら答える。


「ああ。また、『氷槍イース・スピア』で頼む」


「いいけど、普通に防げているように見えるよ。まだ足りないの?」


「足りないってわけじゃねえんだが」


「もしかして、反射リフレクションを出そうとしてる?」


「それは……」


「諦めるわけにはいかないのかい? 他の動きの整理がついたのなら、任務に支障はないと思うけど」


「そうだけどよう、こればっかりは、できるつもりでいたいからなぁ」


 そう、問題があったのは盾部隊だ。


 反射リフレクションが、出ない。


 反射リフレクション。盾で遠距離攻撃を拡散し、その拡散の方向を微調整することでその遠距離攻撃自体を盾として利用する技術──もとい、熟練の盾役タンクのみが極々稀に引き起こせる、原理不明のまぐれの産物。


 ヴィムの強化バフがあったときなら、七割以上の確率で引き起こせていたことだ。


 しかし、そのヴィムの強化バフを再現しているはずの私たちは今日一日で一度も反射リフレクションを目撃していなかった。


 私は一旦、構えを解いて杖を肩にかけ、言った。


「……正直に言ってほしいんだけど、ヴィムの強化バフと何が違う? 条件の違いはここしかないから、反射リフレクションが出ないのは私の責任のはずなんだ」


 普段からヴィムと接触し、情報収集をしていた私に抜かりはないはずなのだ。形として残るものはすべて集めて、解析をした上であの付与術を再現している。付与する側である私の魔力効率と時間効率は絶望的に悪いけれど、やっていること自体は完全に同じだ。


 違うとするならば、それは、ヴィムが現場の勘で微細な調整をしていた場合だ。


 アーベルが恐る恐る手を挙げて、言った。


「あ、あのー。違和感とかはなくて。むしろヴィムさんのとまったく同じ? かもしれないんですが」


 私はそのまま、続けるように促した。


「……ヴィムさんの強化バフって、実戦で付与してもらうときと、僕個人に訓練で付与してもらうときって感覚違ったなって。ハイデマリーさんの付与は後者です」


「はい?」


「思い返せば、なんですけど。よく考えればそんな気が……」


「え、何それ。どう違う?」


「実戦のときの強化バフはもうちょっと、なんというか、雑? ではないんですが……いや、雑、だったんですかね? 当時は訓練と実戦の違いだと思っていました」


 初耳だ。


 ヴィムが、実戦と訓練で違う強化バフを使っていた?


 私の魔術に付与するときはそんなことはなかった。あいつは基本的に、練習でしたことを練習通りにやりたい人間のはずだ。


「雑、なのかい? もっと実戦では精度が高いとかではなく?」


「は、はい。下手とかではないんですが、訓練の方が体に合っているような」


「ヴィムは何か言ってた?」


 アーベルは眉間に皺を寄せ、頭に人差し指を当ててしばし考え、言った。


「そういえば、初めて一緒に潜ったときに受けた説明では、みんな体格が近いから同じ強化バフで、とか言っていたような?」


「……それはあくまで初回の、解析が済んでいない段階の話じゃないかい? ヴィムなら後で個人ごとに最適な強化バフを組むはずなんだけど」


「え、そんなことはなかったと思いますが。迷宮潜ラビリンス・ダイブでの強化バフは、初回以来ずっと同じ感覚です」


 ますますわからない。


 あいつは一体、何を考えてそんなことをしていた?


 敢えて強化バフを雑にすれば反射リフレクションが出るということか?



「そのまま、組手とかしといてくれ。多対一がいい。実戦に近いものを頼む」



 そう言い残して、私は前衛部隊の輪から外れて、動きを観察することにした。


 再現するしかない。ヴィムの考え方を、一から。


 隣でヴィムが、黙り込んで考えているときを思い出そうとした。


 ヴィムは人と目を合わせない。すれ違うときは伏し目がちだし、特に女性相手にはわざとらしいくらい視線を外し、恐縮して歩き去る。目線を遣ること自体が相手にとって不快じゃないか心配しているんだと思う。


 でも、強化バフのときだけは大義名分を得て、自分の視線を心配しなくなる。


 右手を口に当て、左手で右の肘を抑えて、猫背になって目を見開く。


「『定義ディフィニション我が承認せしディ・グニーミコン理においてアクシオン双線は分かたれずディ・ドッペリーニ・エーヴェ相交わるヴァリューラ』」


 改めて魔術公理を詠唱すると、一気に視界の中の動きがバラバラになった。


 俯瞰して、取っ組み合っている盾役タンクたちの動きを追った。全部バラバラに、筋肉の一つ一つを個人という単位で見てみる。


 ああ、酷い。情報量が多い。


 目に入るものが増えている。気にしないということができない。

 こうしているのが正しい気もする。そうじゃないと情報が捨象されてしまうから、目を瞑るのは逃げな気がする。


 でも、それは言語化するには無理がある。わかってもらえるわけがない。


 そうしてきっと、疎外感を覚える。


 一つの違和感が見えた。


 周りに比べて、膝の曲がりが足りない人がいる。


「……マルクさん。もう少し腰を落としたら、どう?」


 取っ組み合っているマルクさんに、そう聞いた。


「う、うぅーん。まあ、俺のやり方ではないな」


 どういうことだろうか。


 本人にとって最適ではないのに、そうするべき必然性があるということになる?


「……あ」


 今、わかった。



「おい! 盾部隊! もう一回来てくれ!」



 アーベルたちを再度集めて、強化バフをかけ直した。


 違う。私としたことが、戦力の最大化と、ある個人の実力の最大化を同一視していた。


 目的は、戦力の最大化だ。


 そのために必要だったのが、最適化と逆のことだったとしたら、どうだ。


 つまり、個人個人への付与の精度を下げ、画一的な強化バフを用いると、集団の


 盾部隊が構えたのを見て、私も杖を構える。もうくたくただけど、まだ魔力は残っていた。



「『火球フェアー・ヴェイル』」



 巨大な火球が、盾部隊に発射された。


 火球は真正面から盾に当たる。アーベルたちは一秒ほど、それを無理やり耐える。


 来た。


 火球は一度扁平に膨らんで、霧消するように拡散した。そして一瞬だけ盾の表面に灯り、光が集まり直して中央に集約される。


 一回り小さな火球が、反射して飛んできた。


「相談役!」


 反射リフレクションが成功したことを喜んだのも束の間で、しまった、という顔をした盾部隊たちが駆け寄ってきている。


 火球は私の頬を掠めて、背後で爆発した。


 ああ、そうか。


 君は、こんな風に考えていたのか。


 隣でヴィムが、ニヤッと笑った気がした。





「ふぃー、疲れたぁ……」


 相談役用に用意された執務室のソファーで、私は寝っ転がっていた。


 とんでもなく疲れてしまった。前衛部隊全員に強化バフをかけ続けるなんて、私の魔力をもってしても相当に厳しい。というか私くらいの魔力がないとできない。


 ヴィムの魔術の効率の良さは、ヴィムにしか発揮できない。私は彼の五十倍から百倍の魔力を使ってようやく、彼と同じ強化バフを実現できる。


 改めて思う。


 ──あいつは、どれほどの苦労をして、人前に立っていたんだろうって。


 コンコン、扉が叩かれた。


「はい、どうぞ」


 私はソファーに寝転がったまま答えた。

 扉が開くと、非戦闘員の女性──経理部長のデリアさんだ、が遠慮がちに入ってきた。


「あの……すみません、相談役。経理部のデリアです」


「はいはい。なんだい?」


「お耳に入っているとは思うんですが、例の決算はやはり合わなくて……」


「ああ、らしいね。悉く計算が合わないせいで……二十万メルク? だっけ、飛んだって」


「はい。それです。調査の中間報告といいますか、ご相談もあるのですが」


「いいけど。経理の話はまだ触ってないよ。わからないと思う」


 そう、そこも問題らしいのだ。


夜蜻蛉ナキリベラ】の凋落の原因は、実は財務部門にもあった。どうも前期の収支計画が著しくうまくいかなかったらしく、資産の一部をそんな分配で売却することにもなってしまったのだ。


 そういう噂は巡り巡って、悪印象という形で大衆の心に固定されてしまう。


「いえ、原因自体はわかりまして。この計算式でした」


 デリアさんはそう言って、紙束を渡してきた。

 いい加減に起き上がって座り直し、受け取る。

 一枚目は簡易の報告書で、何やら二種類の数式が比較してまとめられ、△二十万メルクとの結論が書かれていた。


「何これ」


「負債の流動? についての解析らしいんですけど、これを使ったら何かが良くなっていたみたいで……」


「何かってなんだい。これが問題というのは?」


「その……突き詰めると、つい最近までこの式で素材の売却先の配分が効率化されていた、ということみたいなんですけど、前期はこの式の意味がわかる人がいないせいで売り上げ予測がズレちゃって」


「うぅん? どういうことだい? 引用元がわからない変な式を使ってたってこと?」


「あ、いや……」


 とりあえす報告書を捲って、二枚目以降を見る。


 二枚目以降は、半分書き殴りみたいな、随分長ったらしいメモだった。


 汚い字だ。その癖注釈だけやたら多くて、主なる式と手計算の区別があまりついていなくて、やたらめったらわかりにくい。


 知ってる。


 これは、ヴィムの字だ。


 デリアさんは気まずそうに、額に汗を流しながら続けた。


「ヴィムさんが報告書で使っていた式を、経理の者が公式と使い方だけ教えてもらったらしくて……でも、ある程度の物価上昇の何かの閾値? みたいなものを超えると、流動係数? のある項に根号? が付くとか付かないとかがよくわからなくなったと」


「……この式、誰がどこまで使ってたの」


「けっこう、広まっていたみたいです。今、経理部で書庫を総ざらいしていまして、かなり時間がかかりそうなので」


「……あんの」


「あと、他の資料にも照らし合わせると、損失は二十万メルクじゃ効かない恐れが」


「くそやろおおおおおおおおお!!!!!」

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