第62話 再誕

 ──まったく、やることが極端ったらありゃしないんだ。


 荷物みたいに雑に持ったり落としたりしやがるから腹を立ててたのに、急にお姫様みたいに扱いやがる。



 見てたよ、全部。聞こえてた。



 あれは魔術師の魔術じゃないこともすぐにわかった。戦士でもない。もちろん神官でもない。


 だからまあ、ちょっと考えれば見当はつくよね。付与術師には〝繭〟がないから。


 君は私を助けに来たんだ。

 何年も懸けた夢を捨てて、馬鹿みたいに細い綱を渡って、信じられないくらいの危険を冒して。


 あいつら多分、本職の冒険者だよね。勝てるはずないって思うでしょ。


 だけど君は成し遂げちゃった。


 笑っちゃうよ。助けられたときはまあ胸が空く思いがしたけど、その後の運ばれ心地が最悪なんだ。黒装束たちに担がれてたときの方がまだ安定してて快適だったぜ。


 森に入ったら急に荷物扱いから卒業さ。絶対、『あ、忘れてた』って思ったろ。埋め合わせみたいに優しくしやがって。


 それからすぐに──


 ま、まあ、アレだよ。アレは数えないことにしよう。水を飲ませてもらっただけだしね。


 ってか水くらい先に飲めってんだよ。あんだけ疲労困憊だったのに、口に入ってる水すら飲もうとしないの、なんかおかしいよ、君。


 命まで懸けちゃってさ。


 なんだいあんなに必死こいて。


 君はもうちょっと、話がわかるやつだと思ってたんだ。


 なんであんなに、何もかも投げうっちまうんだ。ぜんぜん、躊躇すらする素振りもなかったよ。


 お姫様扱いしたなら騎士ヅラをしようってか? 君にそんな義理があるかよ。なんでそんなことしちゃったんだよ。



 気色悪いったらありゃしない。



 ……くすぐったい、くらいに変更していいかい?



 さすがの私も思った途端に恩知らずだとは思ったよ、うん。



 あと、けっこう、格好よかったよ。



 けっこう、って言うのも、よくないな。





「『ありがとよ、盟友』」


 声が不自然に響いて、いろんな方向から冷たい風が吹き荒れた。



「『とんでもない醜態を晒したね。もうお嫁に行けやしない。行きたくなんてなかったけどさ』」



 呼びかけても、ヴィムは呆けるばかりで答えなかった。

 喉が潰れて、喋れもしないらしかった。それどころか何もかも変容してる。肌も、髪も、背筋も、人間のそれとは思えない。


 それでもわかる。


 ヴィムだ。私の。


 むしろわかりやすいくらいだ。もともと不気味で偏屈で、妖怪みたいなやつじゃないか。


 私のヴィム。あんなになるまで、頑張ってくれた。



「『大丈夫かい?』」



 そう言うと、ヴィムの周りを透明な薄氷が勝手に囲ってしまった。


 やっぱり声が変だ。


 歩いてきているときからそうだった。勝手に吹雪がついてきて、目を遣った先に氷の薔薇が咲いてしまう。


 なんだか手足がすかすかしていた。あるべきものがそこにないような、水の中から出でて動きやすくなったみたいな。


 よく見ればヴィムの周りには敵がいた。あいつは囲まれてた。


 そしてそいつらは、私を向いた。


「賢者の卵!」


 先頭の一人がそんなことを叫んで、右手を挙げた。指示でもしてるんだろうか。


「『いや、もう卵じゃないでしょ。せめて雛と言ってくれよ』」


 言うと、勝手に氷柱が背後から飛んできて、叫んだ先頭の一人を襲った。


 彼は氷柱をすんでのところでいなしたものの、けっこう強めに掠ったのか、痛そうに転がって後退した。



 勝手に飛んできたと思った氷はどうも、そんなに勝手でもないような気がした。ちゃんと私の意思には従っている。


 なるほど、言うことを聞きすぎているんだ。



 こういうときどうするのか、なんとなく教本で読んだ覚えがあった。きちんと魔力を制御下に置いて、一定の規則に従わせるんだ。


 そうそう、魔術公理の、定義詠唱だ。


「『定義ディフィニション我が承認せしディ・グニーミコン──あー、えーと、ことわり? なんだっけ』」


 正直覚えてらんないよね、ああいうの。必要なら毎度紙を見ながら言えばいいんじゃないのって思ってたし。



「『ちゃんと言うこと聞いてくれ』」



 案外これでいけた。魔力……なのかな、これが。整理された感じがする。


 詠唱は、なんだっけ。こっちも覚えてもないし習ってもいねえや。


 そもそも発想が違うんだよね。私らしくもない。頼る気もないのに思い出そうとなんてするなよ。


 詠唱が魔術を作るんじゃない。私が使いたい魔術に詠唱が沿う。


 見えた黒装束は七人。全員を叩く見当をつける。木の背後に隠れられても貫けるくらい、強く、鋭く、速い氷柱を考える。


 思った瞬間、背中の向こうに紋様が浮き出て、ギュッと空気が吹き荒れて氷柱が凝固した。



「『仕返しだぜ、攫ってくれやがって』」



 言ったら、氷柱は撃ち出された。


 悲しいことに三人くらいは避けやがった。それどころか隙と見たのか、前に躱して私の方に詰め寄ってきた。



「『怖えよ』」



 右手を広げて差し出したら、三人の前に氷壁が結した。


 彼らは急に止められた。今度は向こうの隙だった。



「『爆ぜろ』」



 言ってみたら、本当に氷壁は爆発した。


 黒装束たちはあっさりと全滅した。


 拍子抜けかと思って辺りを見回すと、彼らだけじゃなくて、木々の間を通って人が集まって来ていた。


 全員敵に見える。武器を手に取ってるし。軍隊っぽいのもいる。



 ──ちょうどいいや。



 そう思って、ようやく気付くんだ。初めてのことだったから。

 すかすかしているだとかとんでもない。あんまりにも長い間馴染みすぎて、不自由さまで忘れるところだった。



 手足が、自由に動いている。



 それを試したくってたまらない。



 生まれたときってきっとこんな感じなんだ。



「『舞ってよ。剣』」



 千の氷剣を上でぐるぐると回して、ばら撒いた。


 下手なやつらは全員倒れた。下手じゃないやつらには弾かれた。


 ちょっと速度も射出の精度も足りなかった気がした。多分だけど、何か運動の原理に一つ理屈を持ち込んだ方が良いような。


 まだ、やりたいこととできることの間に壁があるみたいだ。


 それがもどかしいのは、今の私にはできるってわかっているから。



「『単位創造すきにやらせてくれよ』」



 そう呟いて、コツを掴めた気がした。


 うん。これなら、行けそうだ。


 右手を差し出していた。さっきよりもずっと強く水蒸気が凝固して、鋼よりも硬い一本の杖が出来あがった。


 身長の二倍はある大きな杖だ。とても重いに違いない。誂えられた氷の宝玉が、整えられた水晶みたいに光を乱反射させていて、まあ綺麗ではあったんだけど余計に重そう。


 私の膂力じゃ持てないはず。でも持てた。賢者は全部の職業を含有するから、戦士か神官くらいの肉体の強化はされたってことなのかな。


 この杖ならきっと、殴ったりするにも使えるだろう。


 ──賢き者のやることじゃないかな、それは。


 ここから先はきっと自由自在。私の氷は好きな形をとって、いろんなところに飛んで、足りないところはその都度創造できるんだ。



「『御覧じろ。賢者ハイデマリーの初陣だ』」





 ハイデマリーは羽ばたく練習をしているみたいだった。


 小さな体は変わっていない。だけどその背には大きな、とびきりの翼が生えているに違いがなかった。


 動かしてみて、神経が通っているか確認しているようだった。その感触でどんな動きになるのか試して、ときどき自分でも考えなかったくらいの風がぶわっと吹いて、体が浮いて、少し驚いた顔を見せてから。


 そうして彼女は、ニッと笑うのだ。


 臆することなく自分の力を使う。戸惑わないで、手に馴染むって確信してる。


 彼女は少しずつ、自由になっていく。これが自分の本当の姿だって言うみたいに。


 腕を振るたび氷の花が咲く。


 教本でも見たことのない、氷の魔術だ。

 炎でも空気でも雷でも、ただの冷気でもない。確と物理の性質を備えた有形で、ゆえに現実に干渉できる幅は大きく広がる。


 最低限で最大の攻撃をしてくる敵を、最大限で気まぐれで、自分でも予測できないくらい大袈裟に薙ぎ払っていく。


 彼女はあざ笑っていた。


 気持ちがよく、そして不思議なことに、嫌味もなく。


 氷の盾は広く固く、壊れないようになって、波打つ吹雪は槍へと姿を変え、ささくれ立っていた氷の薔薇は輪郭をはっきりさせるようになった。



 どんどん、綺麗になっていた。



 さっき俺が使った付与術などとは比べ物にならない。


 自分の手を見た。


 もう、人の手じゃない。甲は毛むくじゃらで、爪は歪に伸びて、しわがれて魔女みたいになっている。


 ただの時間稼ぎで、これだ。


 そう思うたびに自分の選択の正しさと、それを選べた誇らしさが募るようだった。



 圧倒的な彼女の力に代償なんてものはない。どれだけ身を削っても一人前の仕事が精一杯な俺とは、生き物としての性能が違う。



 俺には最初から全部わかってた。目の前の光景はせいぜい証拠に過ぎなくて、思うことは変わらなかった。



 ──ああ、やっぱり君は、特別なんだね、って。



 俺なんかとは、ぜんぜん違うんだ。



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