第90話 正面切って

 迷宮ラビリンスを駆けている。

 そしてときどき、何とはなしに立ち止まる。


 いつもはまばらに見える人もまったく見当たらない。

 全員が踏破祭ディヒブライナヘンで街にいる。


 前に来たときと同じ道だけど、また一つ景色が違う。


 雑多な感じがしない。

 空気が自然なまま、流れるところは流れて溜まるところは溜まっている。

 そこを踏みにじって乱し、足跡をつけていく。


 えっと、ここは第十五階層だな。


 洞窟然としている階層。

 薄い青色の土っぽい壁肌で、遥か頭上に天井がある。


 結構高い。

 薄暗くて丁度いい閉塞感だ。


「ほっ」


 ジャンプなんかしてみる。


 凄く高く跳んだ。


 おお、ほとんど無意識でちゃんとコードを組んであった。

 強化バフを継ぎ目なく、自然にかけ続けることができるようになっているらしい。


 ほら、思考していてもまだ着地しない。


 体が軽い。

 軽すぎて何かがおかしいんじゃないかと思うくらい。

 まるで手足を切って身軽になったかのような。


「……ヒヒッ」


 おっと、笑ってしまう。


 いや止めなくていいのか。

 誰もいないし。


 クスクスと変な笑いが漏れる。

 伸びをしてまた背を丸める。


「フヒヒヒ……、ヒヒヒヒヒヒッ」


 うわあ、絶対今めちゃくちゃ気持ちの悪い笑い方をしている。


 でも、大丈夫。


 誰も見ていない。

 ここには誰もいないから。


「તમે કેમ છો」


「……まあ、これは別としてね?」


 突然、右足を大きく蹴りだしてみる。

 股を大きく広げて、左足で着地。

 すぐさま左足を蹴りだして、大きく股を広げる。

 そうやって跳んで跳んでを繰り返す。



 体がどんどん軽くなっていく。

 何かはわからないけど、何かを捨てて身軽になっている。



 ぐんぐん景色が変わる。

 普通に走る方が速いはずなのにこちらの方が気持ちが良い。


 この走り方だと方向転換が厳しいんだよな。

 知っている道で、他に冒険者がいない今みたいな状態じゃないと危ない。

 誰も見ていないところで悪いことをしている気分だ。


 横にも飛んだり跳ねたりしてみる。

 右の壁を蹴ったら左の壁を蹴って──


 ──左足が微妙に壁に届かなかった。

 テキトーにやりすぎて見誤った。

 あっけなく下に落ちてこける。


「ぐへっ」


 ゴロゴロと転がって受け身を取る。


 痛い。


 口の中に入った砂をペッと出す。

 でも不快な味はしない。痛みもそんなに嫌じゃない。


「……なんか、楽しいかも」


 ごろんと両手両足を広げて寝っ転がる。


「うおーーーー!」


 天井に向かって声を出してみる。

 通路のむこう側に向かって反響している。


 初めてこんな大声出してみたけど、意外とどこに力を入れたらいいのかわからないものだった。

 大声を出すことには練習が必要なんだと痛感した。



「あーーーー!あーーーゲホッ」



 案の定、むせた。


 笑いながら立ち上がって、今度は見誤らないようにまた跳ぶ。

 壁と地面を蹴って、天井も蹴ってみたら案外できた。


 また景色が進んでいく。

 上下左右の動きが入る。

 慣性の力が体を引っ張って、浮遊感が肌をぞっと撫でる。


 気持ちが良い。



 この解放感を叫びたい。

 こういうときはなんて言う?



「や、やっほー!? おおおおおおおお!」



 なんかそれっぽいかも?

 でも違うか。馬に乗っている人が叫んでるような感じがいい。



「ヒャ、ヒャッハーー!」



 これだ。


 喉に合ってはいないけど状況にはあってる。

 心地良い、かも。


 転送陣が見えた。

 減速しつつ歩幅を調整して、せーので踏む。


 景色が切り変わる。


 今度は切り立った岩に囲まれた通路。


 第二十七階層で相違ない。

 整備された牢獄のような壁肌に変わり、また進むべき道、加速できる距離が増える。


 さっきと同じように、地面と壁と天井を無造作に蹴って立体的に進んでいく。


 焦る必要はない状況で無目的に加速している。

 それがこんなに怖くて楽しいことだなんて。



「来たよ! 全部! 自分の意志で!」



 逃げる覚悟を決めていた。

 真正面から逃避してやると。


 もう一人の自分が俺を見つめている。


 我に帰れと諭している。


 俺はそれから目を逸らさない。

 公然と逃げると宣言している。

 もう一人の俺は呆れかえっているけど、その顔を見るのが痛快だ。



 背中に引力を感じることも、否定しない。

 背中のむこう側に何かある。

 そしてそれに、今なら手を伸ばせる。



 だけど伸ばしてなんてやるもんか。

 伸ばさなきゃいけないかもしれないけど、知るか。


 どんどん速くなっていく。

 それは遠ざかっていく。

 追いかけてはくるけど俺の方が速い。

 寂しさと一緒に、全部置き去りにしていく。





 第九十九階層に到着した。


 転送陣を踏むなり急に温度が変わって、空気に晒されて冷えた肌がじんわりと温まる。

 装備の金属部分に水滴がつく。


 脳がその変化を歓迎する。

 もうほとんど条件反射みたいなものだろう。


 冷静な頭で来てみれば、密林ジャングルの中で一人というのは殊更に孤独感が強まる。

 でもなんというか一種の刺激で丁度良いというか、安心する孤独感だ。



 俺はここに戦いに来た。


 一人で。


 相手はもちろんこの階層の階層主ボス、角猿。



「続きをしに、来た!」



 密林ジャングルに向かって呼びかける。

 空気の震えは広葉樹の丸い葉に吸収される。


 この声が届いているだろうか。


 大丈夫だろう、俺たちは示し合わせたように刃を重ねてきた。


 すぐに来る。

 そして俺を楽しませてくれる。

 想像よりもずっとずっとヒリヒリする戦いを演出してくれる。


 俺を追い込んでくれる。殺しに来てくれる。


 そうじゃないと、割に合わない。


 おっと、俺の方も相応の態度があるよな。

 準備くらいはしておかないと。



「移行:『傀儡ペプンシュ──」



 象徴詠唱をしようとして、気付く。



 まただ。また、“もう発動してた”。


 慣れてしまっただけで景色はとっくにゆっくりだった。

 両手両足は完全に俺の支配下にあって動いてくれていた。



 あれ、いつからだ?



 思い返してみればさっきまでの動きって、うん、さすがに発動していたよな。

 もしかしてクロノスと戦ったときにはもう?

 それよりもっと前?

 途中で切ったりもしたのか?


 象徴詠唱をどこかでやったのかな。

 それとも本詠唱の暗記が無詠唱の発動に繋がったのか。



 いやいや、そんなことは特に問題じゃない。

 大事なのはこれからの具体的な上げ方だよ。



 さて、今、何倍だ?


 一.〇〇〇〇一倍よりは大分高い。

 でもまだ上がるよな。

 前の戦いのときはもっといけてた。


 もう失うものなんてないんだ。

 コップからちょっと零すくらいなんて考えるな。大胆に緩めちまえ。



「がっ……はっ……」



 頭が痛む。

 一気に処理が増える。

 視界が逆流する。

 走馬灯のように記憶が反転し続ける。



「……ふう」



 大きく息を吐く。

 まずはこの辺で、温め始めようか。


「よお」


 角猿は俺を見守ってくれていたみたいだった。

 丁度良く木々の隙間から姿を見せる。

 前と同じく形態変化を保ったまま、禍々しい角と白い肌が木々の隙間で目立っていた。


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