第68話 予定調和

 馬車の幌は完全に降ろされ、ラウラと俺とハイデマリー、カミラさんの合計四人が乗り込んでいた。


 外部からは完全に見えない密閉空間。

 当然こちらからも外は見えない。

 だけど馬車はひたすら最高速度で石畳を抜けていって、激しく揺れる。


 ラウラはハイデマリーへの警戒を解ききってはおらず、掴まりがてら俺を間に挟んでいた。

 当たり前だけど、不安そうな顔をしている。


 カミラさんは伝達魔術を使って小声でやり取りをしていた。


 俺はこんな状況に経験がないので、できることはと言えばラウラを安心させるように振る舞うくらい。

 迷宮ラビリンスでモンスターを相手にしているときとはあまりに状況が違いすぎる。

 対決しているのは物理的な生き物ではなく人の悪意だ。

 捕食や防衛のために俺の命を狙うんじゃなくて、明確な意図と謀略をもって俺にしがみついているこの少女を狙ってくる。


 わからない。

 状況が明確じゃないのでかえって恐怖が煽られる。


「あの、ラウラちゃん。きっと、大丈夫だから」


 俺がそう思ってちゃいけないと思って、声をかけた。


「私は大丈夫です。魔法使いさま」


 と思ったら、割と気丈にいてくれていたみたいだった。

 あからさまに怯えているわけではなくて少し安心する。


「あのー……ヴィム、でいいよ? そんな大層なものじゃないし」


「じゃあ、あの、ヴィムさま」


「……うん、まあそれで。カミラさんは頼りになる人だから、大丈夫」


 とは言ったものの、どう考えても状況は芳しいようには見えなかった。


 そもそもカミラさんが想定している状況が厳しすぎる。

 本来なら俺やカミラさんみたいな名前が知られている人間は囮に使う方がいいに決まっている。

 だけどカミラさんはそうさせなかった。

 最小限の人数ながらも【夜蜻蛉ナキリベラ】の戦力をこの馬車に集め、あまつさえそれはハイデマリーによる治癒が想定されている。


 その時点で作戦の成功率の低さが示唆されていた。


 今のところ、上手くいっているようには見える。

 すでに相当の距離を走っているし、少なくとも郊外に近い場所にくらいは来ているだろう。



「諸君、着いたぞ」



 馬車が止まった。


 カミラさんはゆっくりと布をめくり、御者さんと二、三やり取りをする。


「行くぞ」


 手早く馬車の外に出た。

 ラウラは深いフードを被って異人種アウスレンダー特有の耳を隠しつつ、俺たちは彼女を隠すように小走りで行く。


 やはり場所はすでに郊外で、すぐそばに森があった。

 街は振り返ってみればギリギリ目に届くくらいか。

 ここから先は森の隙間を抜け、最終的には川を下ってカミラさんの知り合いの下へラウラを届ける予定だそうだ。


 俺たちの他に人影は見えない。


 これは、作戦成功なんじゃないか?


 そうとしか思えなかった。

 でもカミラさんの表情は依然険しい。警戒を解いていない。



「やはり、囲まれている」



 鬼気迫った表情で、カミラさんはそう言った。



「やあ! ここにいる全員、久しぶりだね!」



 緊張感にそぐわぬ快活な声が聞こえた。


 白昼堂々と木々の隙間から軽やかに歩いてきた女性は、間違いようもなくあのリタ=ハインケスだった。

 子供じみた探検家のようなジャケットに身を包み、その声からは何も罪悪を感じない。


「ヴィム君も賢者ちゃんも、元気だった? あと、ラウラ! 君もね!」


「やっ……」


 ラウラは急に恐怖に顔を歪めた。

 俺の腕に握って顔を伏せて、震えていた。


「ごめんなさい、先生、ごめんなさい」


「いやいや! なーんにも怒ってないよ、ラウラ。ただ、生きてたなら“学校”に戻って欲しかったなぁ、なんて。君は優秀な生徒だったからなぁ!」


 彼女に遅れて森から出てきたのは、黒服に身を包んだたくさんの人。

 身元がわからないように顔の一部を隠しており、当たり前かのように両手に武器を携えている。


 どう考えても社会に対して肯定的な人たちじゃない。


 そして装備と身のこなしが冒険者のそれとは違う。

 もっと人間を相手に戦うことに特化しているかのような格好。


 瞬時に、俺はリタ=ハインケスへの認識を改めた。


 ラウラの怯え具合も尋常じゃない。

 カミラさんと目を合わせて、了解を得る。



「移行:『傀儡師ぺプンシュピーラー』」



 山刀マチェットを構える。


「ラウラちゃん。背中に乗って」


 ハイデマリーとカミラさんは置いていって大丈夫だ。

 この人数でも容易に一人で突破できるだろう。


「おいおいおい、ヴィム君! それはちょっと無理やりじゃない!?」


「相手にするなヴィム少年。行け。私たちが食い止める」


 頷く。



「はい! ちょっと待ったー!」



 しかしリタ=ハインケスは、これ見よがしに陽気な大声を出し、指を鳴らした。



「君だって、無意味に一般人を巻き込みたくないでしょ!?」



 黒服たちは、俺たちに見せつけるようにを前に持ってきた。


 人だ。それも一般人。

 男性も女性も子供も、合わせて十名弱いる。

 そしてその全員の手足と口が縛られ、首元に刃物を当てられている。


「おいリタ! その人たちはなんだ!?」


 カミラさんは叫ぶ。


「あそこの街から取ってきたの!」


 リタ=ハインケスはあっけらかんと、景色のむこうの街を指さした。


 俺は遅れて理解する。



 この人たちは、街から無造作に攫われてきた人たちだ。



「はは! 効いてる! こんな雑なのに効くんだもん!」



 笑っていた。あっけらかんと。

 その所業に何も疑問などないかのように。


「ヴィム君もおもしろいね! 君はこっち側なのに、まだこいつらを気にしてるんだ」


 俺は動きを止めてしまっていた。


 選択肢がまるで浮かばなかった。

 どうする? ラウラを一人連れて行くだけなら余裕で逃げ切れる。

 カミラさんとハイデマリーなら残していってもきっと大丈夫。


 でも、あの人質は?


「知らないかもしれないけど、ラウラはトンタスローっていう小さな村の出身でね! 親御さんはお亡くなりになってるんだけど、ラウラの小さい頃の知り合いは結構いっぱいいるんだ! ラウラも覚えてるよね!?」


 畳みかけるようにリタ=ハインケスは喋り続ける。


 無理だと悟った。

 ダメだ。動けない。

 脅しだとわかっていても、俺はこのやり方に抗えない。


 山刀マチェットを地面に置かざるを得なかった。


「要求はなんだ! ラウラ君の引き渡しか!?」


 カミラさんが前に出てくれた。



「うーん、当然、ラウラを返してって言いたいところだけど、ヴィム君と賢者ちゃんがいるとなるとちょっと話が変わってくるよねー」



 俺の名前が出た。


 俺が、交渉材料になるのか?


 なら問題ない。俺の心一つでこの事態が終わるなら。


「ちょっと待てよヴィム。投降するなよ」


 ハイデマリーが俺を制した。


「ヴィムを交渉材料にはさせませんよ、リタさん。私にとっちゃそこの一般人共の優先順位なんてヴィムより遥か下です」


 毅然とした態度で彼女はそう言い放った。


「やめてくれって! 話が拗れ」


 俺が叫ぼうとすると、リタ=ハインケスは笑い出した。


「あはは! 賢者ちゃん!  君は勘違いをしているよ!どんな契約も人の心までは縛れない!」


 高らかに、人質の命なんてまるで目に入っていないかのように、彼女は話すのを止めない。



「だからヴィム君! 賢者ちゃん!」



 そして、言った。



「私の話を聞いてくれるだけでいい! それだけでこいつらとラウラを解放しよう! 以後【黄昏の梟ミナーヴァ・アカイア】はラウラに一切関わらないと約束する!」


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