第8話竜馬と統合失調症

1867年の暗殺未遂事件で頭部に外傷を負った竜馬は40代になって軽い幻覚幻聴に悩まされることになる。統合失調症の発症であった。ちなみに木戸孝允も40代で統合失調症を発症している。


日本では統合失調症のことを、旧くは「癲狂(てんきょう)」と呼び、京都の「癲狂院」が日本最初の精神病院であった。特に効果的な治療法などはなく、隔離拘束のみであったようだ。


明治維新までの日本の精神医療は、京都の「癲狂院(てんきょういん)」などを除けば、「私宅監置(したくかんち)」といって個人が精神病患者を拘束具を持って監禁、もしくは軟禁するのが慣例であり、法でも定められていた。


日本で最初にこの「私宅監置」を開放したのが、呉秀三(くれしゅうぞう)である。論外なほどに人権侵害であると。呉秀三は東京世田谷に、日本最初の開放精神病院、「松沢病院(まつざわびょういん)」を建てた。


ヨーロッパでは、フランス革命期にフィリップ・ピネルという精神科医が現れ、それまで鎖に繋がれていた精神病患者たちを開放し、「開放病棟」「作業療法」など、現代の精神医学の主流となる医療を発明した。ルソーなどの「人権」「尊厳」といった哲学を見事に精神医学に持ち込んだのである。そのピネルの薫陶を受けたのが、東京帝国大学医学部を卒業し、ドイツ=オーストリア帝国に留学していた、若き日の呉秀三であった。


竜馬は先に統合失調症を発症していた、木戸孝允に松沢病院を紹介し、津田梅子と目合わせて、その症状を人道的な精神医療下で和らげようとした。


竜馬自身も遅れて統合失調症を発症するが、木戸孝允の介護の経験から、精神医療は何より、「人道」「人権」に基づかなければならないという信念があった。


そもそも明治維新自体が、ルソーやトマス・ペインの人権宣言、フランス革命やアメリカ独立革命の哲学を土台にしたものである。


「統合失調症、精神医学というのは21世紀の現代においても、その正体はほとんど分かっていない。ただ、臨床試験の積み重ねで、こういう症状の患者にこういう薬を出せば、何%の確率でこういう成果が出るということは分かっている。そして、それが精神医療のすべてです」(中安信夫 東大医学部助教授)


精神医学はほとんど何も分かっていないに等しい。だからこそ患者の人権を尊重することが何よりも大切である。竜馬はそう考えていた。





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