第16話高橋是清の積極財政と226事件

「だるまさん」の愛称で日本国民から人気を博した、高橋是清大蔵大臣(在位1931年~36年)は、犬養毅首相、斎藤実首相、岡田啓介首相の下で蔵相を務め、アメリカのニューディール政策、ケインズの経済学の影響を受け。

政府支出による需要の創出、いわゆる積極財政(高橋財政)を仕掛けて行った。


まず、金輸出再禁止(金貨兌換停止令)、現代でいう、金本位制から国債本位性への移行、つまりMMT(現代貨幣理論)を図った。


そして、財政支出の増大、「時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)」を行い。公共土木事業による雇用促進と公費による農村救済を仕掛けた。

また、国際情勢の不安から軍事費も増大させ、満州事変と海軍拡張のきっかけとなった。


時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)は、1932年(昭和7年)から1934年(昭和9年)にかけて、日本で実施された景気対策を目的とする公共事業である。国家財政から総額5億5,629万円、地方財政から総額3億858万円、合計8億6,487万円が投入され、各地で土木工事などが行われた。


同時期にアメリカ合衆国で実施されたニューディール政策と同様、ケインズ経済学の理論を先取りした財政資金投入政策である。日本においては軍事費の民間発注と時局匡救事業を併せて需要を喚起し、景気が回復した後に歳費を切り詰める構想であった。当初計画において3年間で国家財政から6億円、地方財政から2億円を投入することが決められている。


財源として政府公債や満州事変公債を発行してこれを日本銀行に引き受けさせ、一方で政府が日本銀行から現金を引き出し公共事業という形で市場に資金を供給する手法がとられた。


事業目的として中小商工業者、農漁山村の救済と農産物価格下落対策が掲げられ、初年度(1932年度)の国家負担分は一般会計の1億6,300万円と特別会計の1,300万円、地方負担分は8,700万円、合計2億6,300万円であった。具体的には主として内務省と農林省に関わる土木事業であり、治水事業、港湾整備、道路整備、開墾、用排水路整備、農業土木、鉄道建設などが盛り込まれた。また、植民地の港湾整備なども行われており、これは植民地から日本本土への失業者流入対策としての側面があるともいわれる。さらには海運不況対策として1928年(昭和3年)に提案され、一時は却下されていた船舶改善助成施設による老朽船のスクラップアンドビルドも匡救事業として復活している。


初年度(1932年度)において陸軍省に1,850万円、海軍省に1,844万円が割り当てられた。これは軍事費の民間発注による経済効果を見込んで匡救費として計上されたものであり、翌1933年度以降は匡救費ではなく軍事費として計上されるようになった。また、1934年度には匡救費が削減され軍事費に振り向けられている。


1932年以降に総需要が回復しており輸出の拡大にも貢献するなど政策の効果は顕著であった。土木事業が主体であったことから特にセメント製造業や鉄鋼業の生産増加に寄与した。


最終年の1934年には東北地方が極端な冷害(昭和農業恐慌)に見舞われた。岩手県の気仙川改修事業の例では、支払われた賃金(男90銭、女45銭)が、地域の困窮をわずかながら緩和することにつながった。


1931年(昭和6年)、政友会総裁・犬養毅が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止、史上初の国債の日銀引き受け(石橋湛山の提案があった)による政府支出の増額、時局匡救事業で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた。これはケインズが「有効需要の理論」に到達したのとほぼ同時期、『一般理論に』刊行の4年前であった。髙橋がケインズから直接影響を受けた可能性はないが、石橋湛山や深井英五という高度に訓練された革新的な相談相手を通し、間接的に影響を受けた可能性は高い。


五・一五事件で犬養が暗殺された際に総理大臣を臨時兼任している。続いて親友である斎藤実が組閣した際も留任。また1934年(昭和9年)に、共立学校出身に当たる岡田啓介首班の内閣にて6度目の蔵相に就任。当時、ケインズ政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく軍事予算を抑制しようとした。陸海軍からの各4000万円の増額要求に対し、高橋は「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては、国防も決して牢固となりえない。自分はなけなしの金を無理算段して、陸海軍に各1000万円の復活は認めた。これ以上は到底出せぬ」と述べていた。軍事予算を抑制しようとしたことが軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、暗殺された。享年83。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に築地本願寺で営まれた。


金兌換停止と政府支出の増大により為替レートは100円=50ドルから100円=20ドル程度まで大きく円安に振れたが、輸出産業が栄え、やはり景気回復、GDPの増大の原動力となった。

1980年代まで続く、輸出大国、経済大国のいしずえは高橋財政にあると言えよう。

一方で円安による輸出促進は貿易摩擦を招き諸外国から「ソーシャルダンピング」と批判を受けた。


重工業は発展し、重化学工業国へと脱皮。

国内では1938年に重工業生産額が50%を超え、国外では重工業の原材料となる、石油、くず鉄などの対米依存度が強まった。


高橋財政により為替安とインフレは進んだが、同時に名目GDPも大幅に伸び、経済の活性化と技術革新、国民の生活レベルの向上がはかられ、学術、芸術といった文化も隆盛となった。


負の側面としては、世界的な潮流もあったが、軍備拡張による対外侵略、それに伴う軍部の台頭。そして、世界大戦への流れをかえって促進してしまった。

226事件で高橋是清蔵相が暗殺されてからは歯止めがかからなくなった。

高橋や竜馬が夢想していたのは、平和で豊かで繁栄した日本、世界人類であったが、現実は思うようには行かなかった。


ではなぜ第二次世界大戦は起きてしまったのか。坂本竜馬は碩学たちに答えを求めるが。結局、現代と同じ。リベラル化が急激すぎて取り残された人々が保守的反動、リベラル化に対する反作用を起こすのだ。


北一輝、井上日召、大川周明らは急激なリベラル化にアイデンティティーが揺らぎ、保守的反動に走ったのであろう。これは同時代を生きる多くの民衆に共通したマインドであった。


世界の常識が、秩序が、急激に変化したとき、民衆のアイデンティティーは簡単に崩壊する。それが明治維新時の「ええじゃないか」騒動であり、世界金融恐慌から太平洋戦争、第二次世界大戦の流れでもあったのであろう。歴史は韻を踏む。過去の教訓から帰納できるのは、ファクトに基づいた科学だけでなく、人間のマインドの変容といったある種観念的な哲学的命題もそうなのであろう。


竜馬は、バートランド・ラッセル、ジョン・デューイ、カール・マルクス、石橋湛山、西田幾多郎ら、世界中の碩学たちに話を聞いてまわる。


「急いではいけない」

碩学、哲学者たちからヒントを得た竜馬は、日米開戦を止めるため奔走する。

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