第23話竜馬の本当の最期

世界恐慌を受け、竜馬とルーズベルトは当時最新だったケインズの経済学を取り入れ、「ニューディール政策」を始める。大きな政府を目指し、アメリカ合衆国は単独では奇跡的に景気回復を果たすが、世界的な不況は止まらず。


イギリスやフランスはポンドブロック、フランブロックというブロック経済圏を敷き、自分たちさえ良ければいい、自国ファーストという、いつの時代も変わらぬ愚行に走るのであった。


そのため主要国の経済圏から閉め出されたドイツ、イタリア、日本などでは活路を求めて、好戦的な対外侵略路線の気運が高まった。極右政党が跋扈し、愚かで凄惨な世界大戦へと歩みを進める。


イタリアではファシスト党が、ドイツではナチスが、日本でも軍部が政権を握り他国への侵略を始める。連合国と枢軸国に分かれて世界が反目する中、竜馬とルーズベルトは何とか平和的な解決策はないかと模索していた。結局やむなく開戦。


竜馬は戦争を止めようと日米間を行き来し説得に走るが誰も聞かず。


竜馬も強硬に反対していた原子爆弾の投下も、ルーズベルトが急死しトルーマン大統領が誕生すると、竜馬を追放しトルーマンは広島と長崎への原爆投下を指示する。


連合国側がはやくから反ファシズムを掲げ、大西洋憲章によって新しい戦後秩序を示して、多くの国々の支持を集めたのに対し、ファシズム諸国は自国民の優秀さを唱え、それぞれの支配圏確立をめざすだけで、広く世界に訴える普遍的理念をもたなかった。さらに、ファシズム諸国の暴力的な占領地支配は、占領地域民衆の広い抵抗運動を呼びおこした。その結果、ファシズム諸国は事実上、全世界を敵にまわすことになって、敗北した。第二次世界大戦の犠牲者は、軍人・民間人をあわせて数千万人にのぼるといわれている。それには、人種的・宗教的差別による追放や大量虐殺も含まれ、戦後も各地で多くの難民をうんだ。


連合国側には確固とした「哲学」があった。ファシズム諸国にはそれがなかった。もっと言えば、連合国側には坂本竜馬がいてファシズム諸国には坂本竜馬がいなかった。その辺が明暗を分けたのなら、本来日本人であったはずの竜馬が日本側ではなく連合国側についたのはまったくもって、歴史の皮肉であったといえよう。


終戦後、焼け野原となった東京と広島と長崎を訪れた竜馬は、アメリカへ帰国し、1946年戦争を止められなかった責任を取ってニューオーリンズの自宅で、誰も立ち会わず介錯なしで切腹し、3日3晩腹を切ったまま飲まず食わず眠らずで、最期は力尽き果てて死んだ。111歳だった。

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