35代 平沼騏一郎

名前 平沼騏一郎 ひらぬま きいちろう

生没年 1867~1952

出身 岡山

在職 1939.1~.8

 

・もとは司法官で、検察の人間だったりした。大逆事件(1910)の裁判では、検事として、幸徳秋水らに死刑を求刑した。また、枢密院でも活動し、副議長、議長となった。

・かなり保守的な人物で、天皇機関説排撃にも加わったともされる。首相候補には何回かなっていたが、そんな経緯があったので元老西園寺公望らに忌避され、なかなか就けずにいた。

・一方、国粋主義的な側面もあったので、ナチズムやファシズムにも否定的だった。

・首相就任後は汪兆銘政権を成立させて日中戦争終結を図ったが失敗。国内的には、国民徴用令を公布して総動員体制を補った。

・ドイツと軍事同盟を結び、ソ連を牽制しようとしていたが、ドイツが日本に相談なくソ連と独ソ不可侵条約を締結したことに衝撃を受けた。「欧洲の天地は複雑怪奇」という有名な声明を出して内閣を投げ……総辞職した。


・首相退任後は近衛内閣の大臣を務めたり、重臣として政策決定に関わった。1941年には右翼団体から銃撃を受けた。

・戦後A級戦犯に指名され、獄中で死去した。


・歴代首相の中では唯一独身だった。今いろいろと問題になっている日大の総長や、大東文化大を創設したりした。

・兄の曽孫にあたる赳夫を養子として迎えた。赳夫から見て騏一郎は曾祖叔父にあたる。



在職中の出来事

1939.5 ノモンハン事件発生

  .7 国民徴用令公布 アメリカが日米通商航海条約廃棄を通告

  .8 独ソ不可侵条約締結 衝撃を受け総辞職

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