23代 清浦奎吾

名前 清浦奎吾 きようら けいご

生没年 1850~1942

出身 熊本

在職 1924.1~24.6


・はっきり言って影はうすい。けれど生没年の通り、実は歴代総理の中でもかなり長生き。

・政党人を含まない超然内閣だったため、政党側から猛反発(第二次護憲運動)を受け、総辞職した。

・実は1914年に首相になることが決まっていたが組閣が難航し実現せず、結局大隈内閣が成立した。

・後年、近衛内閣崩壊後の首相選定を行う重臣会議で、91歳という高齢にも関わらず列席し、東條英機の首相就任を承認した。

・奥さまと盆栽ぼんさいと写る写真が残っている。


在職中の出来事

1924.1 第二次護憲運動発生

  .5 総選挙 第二次護憲運動を指揮した護憲三派(政友会、憲政会、革新倶楽  

    部)が大勝

  .6 護憲三派の攻撃を受け、総辞職

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