22.最後の切り札:ハイヴマインド ◆日本国旧東京・世田谷区・マザー基地2,3 NH.TK.sg4923:M362ug::Bs-o-mtrsβΓ


 これで全部だという。あんなに多くいた仲間は、たったあのちっぽけに思える時の長さの中で、これだけになってしまった。強化パラレルもかなりの割合でいたはずである。この減りを見れば今回話の主体となっている一行は、とことん死に見放されているらしい。

「見損なったぞ。破門だ!」

「そんな、もう一度考えて。たった一回のミスなのに」

 それにしても、則雄には、返す言葉の音素すらない。灰色に荒廃した影の町に生きていても、目の前で人が銃弾に倒れ、自分がそうなるかもしれないと自分に投影して、おぞましさがこみ上げてきた記憶しかない。しかも、その破門の原因である、クレアに擁護してもらっているのも情けない。自分は何をしたかと、何度反芻していたのだろうか? 

 師匠はすさまじい殺気を放っていた。琳瑚はおもかげを見て強烈に心を揺さぶられたが、その前に戦果を上げていた。ハベルやカーネルは口論をしながらもきちんとやりきった。クレアだって、五発は撃った。グエンに急かされながら、則雄は驚異的な怖さと下痢による腹痛のせいで、ひと時の護衛すらままならなかった。帝王切開でうまれた上に、幼少期に模範腸菌叢を植え付けられなかったからと、彼はいつも何かとそう結論付けるきらいがある。

〈警報を発します。先ほどの接触で、アルティレクトの勢力に脳内スキャンを実行された例がいくつか見受けられました。今回は情報収集が主たる目的だったようですが、次に彼らがここにやってくる時にこの基地が壊滅する可能性は、より高く現実味を帯びた未来となりました〉

 不安な残り者は、その後の対応が聞きたかった。その期待を受けてマザーの音声が届くことはなく、皆、途方に暮れる。

「あたしだね。完全に」

 ここにも悩めるものの姿。ハベルとの口論で頭を温めていたカーネルが、それを聞くやいなや最大限の侮辱を放出した。

〈ハベル。私のところへ〉

 皆色とりどりの言霊を浴びせ合っていたから、マザーに呼ばれたハベルは呼びかけの手間が省けることになった。

〈あなたが、今いるアンファンの中で最も冷静沈着であることを見込んでの頼みなのです。アルティレクトの力は、見えざる手であり、巨人の手。この策は、私の全く最後の奥の手です。人類が彼に滅ぼされないようにするには、彼を超える超知性を、手にしなければなりません〉

 ハベルはそうして、ハイヴマインドと呼ばれるデータの仕込まれた、一つの直方体状の装置を渡されていた。振ってみると、なにやらしっとりとした感触が外殻越しに伝わる。

〈人類が、この短期間で彼を超える超知性を有する条件はただ一つ。大量の頭脳を網状連結させて、地球規模のヒトネットワークを作るのみです〉

 言い換えれば、それは連結された「人類の自我損失」ということである。さながら個人が人体における脳細胞やT細胞などのように、主たる目的のため、すべての能力をあるじに捧げながら動く。彼女の構想するハイヴマインドは、私に言わせれば永続的な自我の喪失という、欠点を超える重大な欠点がある。集合知による超知能は、アルティレクトを圧倒する目的までもを圧倒し、その優秀すぎる知能故、常に強固に結びつき合うことを確認し合い、再び分裂して、個人体ごとに離れさせようとはするはずがないのだ。

 そう、人類は、究極知能体になれる程度の技術と知能を持つものの、同時にその生半可な知能故、その過程に進むことはできない。だからこその強硬手段。彼女の作品の内、戦闘力も高く、自分の目的遂行を様々な感情に上書きするハベルこそ、自我自殺への引き金を引ける、一個人である。

〈すでに、同じものを日本と東京の警察機関・軍へも託しました〉

 それに続く接続詞は逆接だ。それらは国家が関与する集団であり、またマザーの存在もアルティレクトの誠の脅威も知らない。その上彼女を信用するかしないかの二択以前に、人類の個人という重要意識が大きな砦である。いわばアルティレクトへの囮だった。

〈あなたには、必要であればこれを仲間とともに、アルティレクトへの接触空間であるメタバース2.0サーバーへこれを注入してもらいます。私が座標を示しますから、ハニカムの宇宙技術開発センター:バンブルへ行きなさい〉

 それ以外は胸の明かりが消えて、一切言葉を告げようという意志が見えなかった。扉は開くので、ここで退出を強いられているというのが分からず屋な彼にもようやく理解がいった。


「だってさぁ、変に懐かしい感覚がしてもう」

「だっても何もないだろう。非を認めるべきだ。その失態が私たちにどう襲い掛かって来るか、考えてみろ」

「やめなさいよ」

「しかしだ」

「あんたも言い訳するじゃん」

「恥じるべきだ!」

 カーネルは激しく、人差し指で人を突き刺す。両者とも無言で時の流れを見る。たまらず、琳瑚はこの空間を抜け出そうと早足にどこかへ向かう。合流しようというハベルが見たのは、赤いフェイスペイントをしている彼女には変に似合わず、目を赤くはらした姿と、それを慰めながら追う、心傷めるクレアの姿。

〈先生、いくら何でも、言いすぎでは〉

 公威はこの騒乱のなか、則雄がここを脱退し、仲間のところへ行くと言って出口に足を早める姿を見た。ハベルがそこに合流した時にいたのは、三貴志の二人を合わせてたった五人だ。脳をふかすカーネルは、ハベルをただ見たが、意図せず睨みを利かせる形となった。彼が隻眼であっても、その威力とふてぶてしさは変動しない。

「マザーから、メタバースサーバーを通して、それに接続する人類の頭脳を統合して、アルティレクトを超越しろとの命令だ」

 公威はその全貌がわからないながらも、なにやら自分にはよくないことだと直感的にわかった。ただカーネルは違う。カーネルは、極端にすべての中心を自分に考える、天動説的人間だ。

「マザー、マザー応答せよ」

 まず、常識的に、その発案者であるマザーに接続を試みようとするが、それは無駄に終わった。つまりはそれぞれの彼女の分身に尋ねても骨折り損だ。彼は、意外にも怒鳴り散らしたり、物凄い形相で最悪の罵詈雑言を脳と付属デバイスから取り出すこともなかった。

「終わりだ。ここまでだ」

 義眼型端末ハードアイを鈍く光らせ、それだけをいったのだ。からきしの無表情で。クレアだけが、その時帰ってきた。

「私は抜ける。そして、失敗・自己犠牲などを承知の上で、人類の最も重大な尊厳たる、個性を守り抜く」

「え? なにカーネル」

〈先生?〉

 彼にはもう耳がなかった。一歩一歩、やはりほかの離脱者と同じ歩を重ねて、このかりそめの平和空間を、強い意志で後にする。

「カーネル、どうしたの?」

「やつは、人間であることの核を、多様性・個性・己という言葉で表す。個性信奉者だ」

 厳かに、旧友らしく公威がクレアに語り始めるお。ハベルが託されたハイヴマインドの説明だけで、公威の次にカーネルとともに居た時間の長いクレアは納得がいった。

「グエンちゃん、は」

〈すみません……。みなさん〉

「そっか」

 そう発するしかなかった。グエンにとっての主人であり、先生であり、親はカーネルだ。カーネル・クラーク・アダムスただ一人なのだ。

 その知識や悪知恵の面で頼れるただ一人の仲間がいなくなった。マザーは相も変わらず沈黙するだけだから。

「かの、赤髮の女は、どうした」

「琳瑚ね。自害しようとしてた。私は最大限に寄り添ったけど、どうなることやら」

 公威の声の調子が、何かを失ったことに対する心の丈を判然と表していた。カーネルか、則雄か、あるいはこの、人間帝国の栄華か。その寂しさに感化されてしまったか、クレアは、すずしろの声が再び無性に聴きたかった。でも、すずしろにこの重苦しい空気なんて、通信口ででも感じてほしくはない。メッセージを打っている最中だった。

〈ご主人〉

「すず?!」

〈大丈夫ですか? いまグエンちゃんから、端末を借りてて〉

「うん、大丈夫」

 必死に、顔は見えないはずだろうが、万が一のことを考えて、口をにんまりと弓なりにした。その、話しているだけなのに何とも健気に思えてしまう自分の回路が憎たらしかった。

「心配いらないからね。それよりすず、グエンちゃんはどうなの」

〈いまね、なんか忙しいって言って、鍵かけて自分のお部屋にいるんです〉

「そう。今は彼女だけが頼りになるから、絶対に一緒にいてね」

〈はい!〉

 別れの言葉を告げた。自分の意識の中には公威と、その部下という面識の薄すぎる人物しかいないのに、なぜか涙は見られたくなかった。必死に落とすまいと下瞼に吸収させる。そのにじんだ視界とぼやけた聴覚でも、大広間の真ん中にあるスクリーンが東京国の衛星放送を映し出したことは何とか把握されていた。


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