6 高まる想いと影の再来

 




「──んふふ。ぜんぶ可愛い」




 ……と。

 蝶梨は、手のひらに乗せたキーホルダーを見つめ、にっこり笑った。



 汰一の情報通り、下校途中にあるコンビニの店先には『ぶたぬきもち』のガチャガチャ機が設置されていた。

 景品のキーホルダーは全部で五種類。様々なポーズをした『ぶたぬきもち』のマスコットが四種類と、一種類だけシークレットがあるというラインナップなのだが……

 蝶梨は、シークレットを含む全種類を被らせることなく、全て一回ずつで引き当てた。


 相変わらずの強運に感心しつつ、汰一は周囲を注意深く見回す。

 この幸運があの幼女な福神ふくのかみ艿那になが齎したものなら、また突風が吹くのではないかと警戒したが……特に何も起きることなく、二人はコンビニを後にした。



「特にこのシークレットはすっごいレアだよ! だって『ぶたぬきもち』がたぬきの毛皮を脱いでいるんだもん! すごい、中はこんな風になっていただなんて……」



 ……と、キーホルダーをまじまじと見つめ、子どものようにはしゃぐ蝶梨。

 その姿を微笑ましく眺め、汰一も自身の手の中のキーホルダーを目の前にぶら下げてみる。


 せっかくだからと汰一も回してみたのだが、『ぶたぬきもち』がお尻を向け、振り向いているようなポーズのマスコットが出た。

 不運体質が故、ガチャガチャで欲しい景品が出たことなど人生で一度もなかった汰一だったが……



「えへ。お揃いだね」



 そう言って、蝶梨が同じキーホルダーを嬉しそうに掲げてくるので。


 ……今回ばかりは、どれが出ても大当たりだったな、と。


 胸の奥が温かくなるのを感じながら、それに頷く。



「そうだな。もったいなくてどこにも付けられそうにない」

「えー、せっかくだから付けようよ。私は鞄に付けちゃうよ?」

「でも……」



 こんな知名度の低いキャラクターのグッズを二人して付けていたら、さすがに周りに気付かれるんじゃないか?

 と言う言葉が、喉まで出掛かるが……

 蝶梨が早速鞄に付けたそれを「ほら」と笑顔で見せてくるのを見て。

 汰一は、彼女が嬉しいならそれでいいかと、難しく考えるのをやめ、



「……やっぱり、俺も付けるわ」



 肩から鞄を下ろし、ファスナーの部分にそっと、それを取り付けた。






 * * * *






 コンビニへ寄り道をしている間に、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。

 それを眺める蝶梨が、ガラス玉のような瞳にオレンジを反射させ「綺麗」と呟くが……

 汰一はもう、この昼と夜の狭間の時間を、手放しに美しいと思えなくなっていた。



 逢魔刻おうまがとき


 この世ならざるものが、最も活発になる時間帯だ。



「ごめんね、いつも遠回りさせちゃって」



 そう言って、蝶梨は自転車を押し歩く汰一を申し訳なさそうに見つめる。

 あの"黒い獣"に襲われた翌日から、汰一は蝶梨を家の近くまで送ることにしていた。

 幸い、彼女の家の周辺には汰一の家の方面へ向かうバスのルートがある。今日も、その最寄りのバス停で別れることにする。


 謝る蝶梨に、汰一は首を振り、



「いや、俺が好きで送っているだけだから。むしろ歩くせいで帰りが遅くなってごめん」

「ううん。汰一くんと一秒でも長くいたいし……送ってもらえて嬉しいよ」



 言って、蝶梨ははにかんだ笑みを浮かべる。


 本当に、普段のクールな姿からは想像ができないセリフだと、汰一は内心悶絶する。

 恋人になって以来、彼女は日を追うごとに甘い言葉を躊躇なく発するようになっていた。

 その度に、汰一は想い合えていることを再認識し、ますます彼女のことが愛おしくなり……

 胸に込み上げる感情が、ため息と共に口から溢れてしまう。



「……はぁ。好き」

「えっ?!」

「何なんだ、蝶梨は。元々これ以上ないくらいに好きだったのに、毎日『好き』の最高記録を更新し続けていく」

「た、汰一くん?!」

「俺がどれだけ蝶梨を好きなのか知られたら、たぶん引かれるな。それくらい好きだ」

「そ、そんな……引いたりしないよ。私だって、一年前から汰一くんのことストーカーみたいに見ていたんだよ?」

「はは。そんな可愛いもんじゃないよ、俺は」

「えぇっ?! なにそれ気になる! 例えば?」

「だから言えないって。引かれるから」

「引かないよ! だから教えて!」



 などという押し問答を繰り返している内に、目的のバス停に着いてしまった。

 汰一は押していた自転車を歩道の脇に停め、彼女に引き渡す。



「はい、残念。時間切れです」

「むぅ……気になる」



 拗ねたように口を尖らせる蝶梨を、汰一は愛おしげに眺めてから、



「それじゃあ気をつけて。また明日な」



 少しの名残惜しさを感じながら、別れを告げた。

 蝶梨は弓の入った細長い袋をしっかり背負い直し、振り返る。



「うん。汰一くんも気をつけてね。また明日」



 そうして、自転車のサドルに跨ろうとした──その時。




「……え……?」




 蝶梨は動きを止め、汰一の背後を見つめる。

 その表情は、驚きと困惑に満ちていて……


 何を目にしたのかと、汰一もそちらを振り返ると、



「…………まじかよ」



 漆黒の身体。

 足の付け根に浮かび上がる、撫子なでしこのような模様。

 汰一の後方数十メートル先にいたのは……



 あの、"黒い獣"たちだった。



 その数は、先日と同じく三匹。

 それが、こちらに向かって一斉に走って来た。



「……蝶梨! 後ろに乗れ!!」



 汰一は自転車に跨り、叫ぶ。

 蝶梨が後ろの荷台に座ったことを確認すると、スタンドを蹴り上げペダルを漕ぎ出した。



「あれってこないだと同じ犬だよね? なんでまた……」

「わからない! とにかくしっかり捕まれ!!」



 困惑する蝶梨に、汰一は立ち漕ぎをしながら叫ぶ。

 後ろを振り返ると、"獣"たちがもの凄いスピードで追いかけて来ていた。


 やはり来たかと、汰一は内心舌打ちをする。

 よりにもよって忠克と不自然な遭遇した後に出現するとは……嫌な仮説が、いよいよ信憑性を持ち始めてしまう。


 太ももの筋肉が悲鳴を上げるのを無視し、汰一は全速力でペダルを回す。

 行く先は決まっていた。柴崎がこの町で拠点にしていると言っていた『青池神社』だ。

 場所は既に調べて頭に入っている。そこへ逃げ込めば、柴崎やつがなんとかしてくれるだろう。


 人通りもまばらな住宅街を一心不乱に漕ぎ進めていると、前方に柵に囲まれた緑地が見えてきた。

 神代町かみしろちょうの中心にある、広い自然公園だ。その敷地内を突っ切った方が、青池神社へは近かい。


 汰一はブレーキをかけないまま公園内に乗り上げ、遊歩道を駆け抜ける。

 が、道幅が狭く舗装もガタガタしているため、徐々にスピードが落ち始めた。



「汰一くん、後ろ!」



 蝶梨の声に後方を確認すると、"獣"の内の一匹がすぐそこまで迫り、今にもこちらへ飛びかかろうとしていた。



「(カマイタチ、頼む……っ!)」



 そう、縋るように念じると……

 汰一の首元から風が溢れ、ヒュンッという高い音がする。


 カマイタチが風の刃が放つ音だ。

 前回の戦いでこの"獣"たちの回復力は嫌と言うほど見せつけられたが、今は致命傷を負わせる必要はない。柴崎の元へ辿り着くまでの間、少しでも足止めができればいい。


 しかしそんな汰一の期待に反し、"獣"たちは風の刃で身体を切り裂かれてもまるで怯まなかった。

 一瞬速度を落とすだけで、またトップスピードに戻り追いかけてくる。


 やはり"厄"とは訳が違う。それに加え、カマイタチも思うように力を出せていない可能性がある。

 式神は、飼い主に真名を呼ばれなければ真の力を発現できないと艿那になが言っていた。

 使役されてこそ、真価を発揮する存在。だからカマイタチは、少しでも力を振えるよう汰一が手にした竹刀や枝に取り憑いて戦っていたのだろう。


 しかし今は、得物もなければそれを使えるような状況でもない。汰一は自転車を漕ぐことでいっぱいいっぱいである。


 その後も何度か風の刃が放たれる音がしたが、"獣"たちはまったく止まる気配がない。



 万事休す。

 このままでは『青池神社』に辿り着く前に"獣"たちに追いつかれてしまう。

 いや、諦めるな。このまま公園を抜け、しばらく走れば到着する。神社に近付けば、きっと柴崎が助けてくれるはず。



 渾身の力を振り絞り、とにかく懸命にペダルを漕ぐ汰一の後ろで、



「……そうだ」



 蝶梨が、何かひらめいたように呟き……

 そのまま、背負っていた弓の袋を開け、中から何かを取り出した。


 それは長いに弦を張った弓ではなく、短い棒に細長いゴムを輪にして付けた、パチンコのような器具──ゴム弓だ。

 弓を引く際の姿勢を覚えるために使う、初心者用の練習アイテムである。


 さらに蝶梨は、先ほどのガチャガチャで手にした空のカプセルを鞄から取り出し、それをゴム弓に引っ掛ける。

 そして、



「……えいっ」



 引いたゴム紐を離し、"獣"目掛けてカプセルを放った。

 しかし"獣"にひらりと躱され、軽い音を立てながら地面に転がってしまった。

 不安定な自転車の後部に乗っている上、カプセルという軽い物を放つため、狙いが定まりにくいのだろう。



「やっぱり意味ないか……」



 蝶梨が力なく呟くが……

 汰一は、「いや」と否定する。



「カプセル、まだあるよな?! もう一度当ててみてくれ!」



 確かに、これだけではこの"獣"たちの足止めにすらならないだろう。

 しかし……

 このカプセルに、カマイタチの風の力を乗せたらどうだ?


 蝶梨はただの人間だが、仮にも"エンシ"──次期神候補だ。もしかすると、式神の力を引き出すことができるかもしれない。



「(カマイタチ、一か八かやってみてくれ!)」



 汰一は、見えない神の使いに祈るように命ずる。

 蝶梨は「わかった」と頷くと、再びカプセルを取り出し、ゴム弓に固定して……

 狙いを定め、力一杯放った。


 瞬間、カプセルは風を纏い、先ほどとは比べものにならない速さで"獣"に飛んで行き……



「ガゥッ!」



 刃物のような鋭さを有しながら、その顔面にぶち当たった。

 "獣"は悲鳴を上げ、その場に足を止める。



「すごい、効いてるぞ!」



 汰一が言うより早く、蝶梨は次を構えていた。

 揺れる自転車の荷台で凛と背筋を伸ばし、真っ直ぐにゴムを引き……

 バチンッ、と放ったカプセルは、別の一匹に見事命中した。


 間髪入れずもう一匹にも当て、すぐ近くにまで迫っていた"獣"を引き離すことに成功した。



「ありがとう、蝶梨。もうすぐ安全な場所に着くから……!」



 汰一が言うのとほぼ同時に、自転車は公園の敷地を抜けた。


 すぐに左折し、しばらく進むと……見えてきた、青池神社だ。

 しかし境内に入るには階段を登らなければならない。必然的に自転車を一度降りることになる。


 汰一は階段のすぐ傍に自転車を停め、蝶梨の手を取る。



「上がろう! 早く!!」



 返事を待たずに手を引き、急いで階段を駆け上がる。

 その後ろから、"獣"たちがまた距離を詰めて来た。

 鋭い牙を剥き出しに唸りながら、階段を上り追いかけてくる。


 カマイタチが風の刃で侵攻を妨げるが、階段を登り切ったところで"獣"の一匹が汰一たちのすぐ後ろにまで迫った。


 咄嗟に、汰一は蝶梨の背中を押し、前方へと逃す。

 そして、噛みつかれることを覚悟しながら蝶梨との間に入った……その時。



「ギャウンッ!」



 飛びかかってきた"獣"の身体が、何かに弾かれたように吹っ飛んだ。

 他の二匹も階段を登り切る手前で立ち止まり、その場でウロウロしている。



「……一体、何が……」



 呼吸を整えつつ、汰一が辺りを見回すと……真上に、神社の鳥居があった。どうやらそこを境に、足を止めているようだった。


 所謂いわゆる、結界というやつなのだろうか。恐らく……いや、間違いなく柴崎が施したものだろう。



 "黒い獣"は、鳥居の向こうをしばらくうろついた後……

 諦めたようにきびすを返し、その場を去って行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る