3-2 彩岐蝶梨の独白

 



 刈磨くんの存在を知ってから、私は度々彼の様子を覗き見するようになった。



 放課後、彼は毎日のように花壇の手入れをしに中庭へやって来る。

 美化委員は他にもいるはずだが、彼以外の生徒が訪れることはなかった。


 きっと他の生徒がサボっている分も、彼が代わりにやっているのだろう。

 頼まれたら断れない上、周囲に頼るのが苦手な性格なのかもしれない。


 だとしたら……私とちょっと似てるかも。


 などと、勝手に親近感を抱きながら……




 私は、彼の"手捌き"を、食い入るように見つめた。




 ある時は、雑草をむしり。

 ある時は、生えてきた花の芽を間引き。

 またある時は、伸びた苗を支柱に括り付ける。


 そんな、ごく普通の手入れ作業のはずなのだが……

 その一つ一つの動作がとても優しくて、思いやりに満ちていて。

 見つめていると、何故だか鼓動が高鳴って……身体の奥が熱くなった。



 理由はわからない。

 この感情が、何なのかもわからない。

 けど……彼の手捌きから、目が離せない。



 その頃から、ドラマや映画を観ている時におかしなタイミングで胸がキュンとするようになった。

 それは、所謂いわゆる恋愛的なシーンとは程遠い、むしろ残酷と呼べるような場面ばかりで……


 もしかすると私は、自分を偽り続けたせいで、心の"ときめきセンサー"がおかしくなってしまったのかもしれない、と。


 自身の変化に戸惑いつつも……刈磨くんを一方的に見つめるストーカーのような行為を、やめることかできなかった。





 そうして、刈磨くんとは何の接点も持てないまま一年生が終わり……


 迎えた、新学年。

 私は、彼と同じクラスになった。



 こういう面において、私は昔から運がよかった。

 謎の"ときめき"をもたらす彼と同じクラスになれたことは幸運だ。

 彼と直接接することができれば、自分が何にときめいているのかがわかるかもしれない。



 ……が。

 同じクラスになっても、刈磨くんとの接点は、相変わらず皆無のままだった。

 何故なら彼は……他人との交流を、極端に避けているから。


 多くの生徒が、新しいクラスメイトと仲良くなるためにおしゃべりをしたり、一緒にお弁当を食べたりする中……

 刈磨くんは独りでいるか、以前からの知り合いらしい平野くんとだけ過ごしていた。

 他のクラスメイトに話しかけられても一言二言返事をするだけで、そこから会話を続けようとはしないのだ。



 ……どうしよう。

 めちゃくちゃ声かけ辛い。



 折を見て話しかけてみようとするが、冷たくあしらわれるかもと考えると、なかなか勇気が出なかった。


 花の世話をしている時はとても優しい雰囲気なのに、教室で見る彼はまるで別人のよう。


 極度の人見知りなのか、独りでいるのが好きなのか……

 あまりに人を寄せ付けないので、所謂『人間嫌い』なのでは、とも考えた。



 しかし……


 二年生になって、数週間後。

 美化委員に入ってきた一年生の女の子に、あれこれ花の手入れを教えているのを目撃し、いよいよ彼のことがわからなくなった。



 ……なんだ。可愛い女の子とは普通に喋るんだ。



 と、二人が肩を並べて作業しているのを見ると、胸のあたりがもやもやした。


 そんな原因不明の感情を抱えたまま、二年生も二ヶ月が過ぎ……




 その時は、唐突に訪れた。




 刈磨くんが、交通事故で入院したのだ。

 とても心配したが、二週間後に無事登校してきた。


 ちょうど担任の先生にプリントを渡すよう頼まれ、私はようやく彼に話しかけるチャンスを得た。




「……刈磨くん」




 初めて、彼の名を呼ぶ。

 声が震えないよう、平静を保つのに必死だった。

 私の呼びかけに、彼は驚いたようにこちらを見上げる。



「……これ、休んでた間の各教科のプリント。渡しておいてって、担任の先生に頼まれた」



 そう言って、私はプリントの束を渡す。

 彼は顔を少し強張らせ、「あ……ありがとう」と言った。



 うわぁ、明らかに動揺している。

 やっぱり他人から話しかけられたくないのかな……それとも、私の言い方が無愛想すぎた?



 彼の反応に、様々な不安が頭の中をぐるぐる巡る。

 だけど……これだけは、きちんと伝えなければ。




「……怪我、治るまでは無理しないで」




 そう。これが今、一番伝えたいこと。

 担任から刈磨くんが事故に遭ったと聞かされた時、全身から血の気が引いた。

 だから……こうして登校できるようになってよかったと、心の底から思う。


 三角巾に覆われた痛々しい左腕を見つめ、まっすぐに伝えると、刈磨くんは小さく笑みを浮かべた。



「うん……あ、球技大会のこともありがとうな。俺の代わりにいろいろやってくれたって聞いたよ」



 彼からの、思いがけない感謝の言葉。

 私は嬉しくなって、口元が緩みそうになるのを堪えながら、



「……気にしないで。私はやるべきことをやっただけだから。それじゃあ」



 と、短く答え、その場を去った。



 やった。彼と話せた。

 普通に会話してくれた。

 このまま少しずつ話す機会を増やしていければ……彼にもっと近付けるかもしれない。



 私は舞い上がってしまい、午後の授業の間もずっとそわそわしていた。



 今度、思い切って花壇で話しかけてみようかな?

 そしたら、彼の手捌きをもっと近くで見られるし……この『ときめきの理由』も、わかるかもしれない。

 でも、刈磨くん骨折しているし、しばらくは花の手入れもできないよね?

 むしろ治るまでの間、代わりに花の世話をすることを申し出ようか……

 いや、そんなことを言ったら、今までこっそり覗き見していたことがバレてしまう。



 どうしよう……

 何とかして、彼に近付きたい。



 放課後。役員会議のために生徒会室へ入ってからも、私は彼のことばかり考えていた。

 とりあえず冷たいものでも飲んで落ち着こうと、窓際にある冷蔵庫から飲み物を取ろうとして……


 ふと、窓の外に目を向けた時。



 校舎と校庭の間にある通路を、刈磨くんが駆けて行くのが見えた。



 ……もしかして、中庭に向かっている?

 骨折しているのに……独りで花の手入れをするつもりでいるのだろうか。



 私は、居ても立ってもいられなくなり、




「…………すみません。体調が優れないので、今日は帰らせていただきます」




 咄嗟に嘘をついて、生徒会室を後にした。



 三階から階段を駆け下り、昇降口で靴を履き替え、中庭へと向かう。

 すると、ちょうど中庭の方から誰かが来たので、慌てて物陰に隠れた。


 足早に駆けて来たその人物は……

 あの、美化委員会の一年生の、女の子だった。



 ……中庭の方から来たということは、刈磨くんに会って来たのだろうか?

 部活前にわざわざ立ち寄るなんて……彼のことを、すごく慕っているんだろうなぁ。



 と、何故かもやもやする気持ちを振り払うように、軽く首を振って。

 私は、中庭の花壇へと向かった。





 ──その後。

 チューリップの茎を折る刈磨くんの手捌きにドキドキしてしまい、なかなか声をかけられずにいると……


 野球部のボールが飛んで来て、彼の顔面に直撃した。


 近くにいた先生に助けを求め、気絶した彼を保健室まで運んでもらい……

 目覚めた後の会話を機に、花の手入れを教えてもらえることになった。




 これできっと、自分が何にときめいているのかを解き明かすことができる。


 最初はそんな理由で、彼と接点が持てたことを喜んでいた。

 だけど……




「クリーナー入ってるなら重いだろ。持つよ」




 次の日の放課後。

 新しい黒板消しクリーナーを運ぶ私に、刈磨くんが言う。

 迷いなく放たれた言葉に……胸の奥が、きゅんと締め付けられた。


 小柄な友だちに代わって重い物を持ったり、高いところの物を取ったりするのは、昔から私の役目だった。

 だから……こんな風に言ってもらえたことに驚いてしまい、



「平気。私、力持ちだから」



 なんて、意味のわからない返事をしてしまった。

 それでも彼は、少し笑って、



「いや、さすがに俺の方が力持ちだから」

「でも刈磨くん、まだ腕が……」

「治ったって言ったろ? ほら」



 と、私の手から重い箱を奪い、軽々と運び始めた。



 こんなことくらいで、と笑われるかもしれないが。

 私にとっては、"か弱い女の子扱い"されることが新鮮で……

 自分でも驚くくらいに、胸が高鳴ってしまった。



 その時だけじゃない。

 刈磨くんは、近付けば近付く程に、私に優しくしてくれた。



 約束通り、花の手入れを教えてくれて。

 飛んできた野球ボールから、身を挺して護ってくれた。

 自分の運の悪さに周りを巻き込まないようにと、自ら孤立していることも知った。



 本屋でばったり鉢合わせた時には、何もかもが終わったと絶望したけど……

 一緒にご飯を食べて、漫画を読むのに付き合ってくれて。

 クールな優等生を演じていることを打ち明けても、引かずに受け入れてくれた。


 それどころか……




「全然クールじゃない素顔を知れば知る程、彩岐って…………可愛いんだなと、思ったよ」




 あの日、彼は……そう言ってくれた。


 その瞬間、恥ずかしさと嬉しさとで、全身がかぁっと熱くなった。

 だって、こんな私に……『可愛い』のが似合わない私に、『可愛い』って言ってくれるだなんて。




「──大変だったな。ずっと一人で、本当の自分を押し殺して。俺なんかが想像できないくらいに大変だっただろう。でも、安心してほしい。俺は彩岐のどんな素顔を知っても、決して引いたり幻滅したりしない。だから……俺には、本当の彩岐を見せてくれよ」




 その言葉に、凍りついていた"本当の自分"が溶かされていくのを感じる。


 幼稚で、臆病で、可愛いものが大好きだった昔の自分。

 刈磨くんと一緒なら……そんな自分を、取り戻せるかもしれない。




 その日をきっかけに、私はほとんどの放課後を刈磨くんと過ごすようになった。


 あの雨の日も……



「三つ編みが、特に好きだ。彩岐によく似合うと思う」



 そう言われたから、数日後、思い切って三つ編みにしてみた。

 そうしたら、刈磨くんはそれを『可愛い』と言ってくれた。



 私が"素"の部分を曝け出す度に、刈磨くんはいつも肯定してくれる。


『可愛い』と褒められる度に。

 彼に、普通の女の子のような扱いをしてもらう度に。

 ずっと前に諦めたはずの"お姫さま"になれるような気がして……


 胸の高鳴りが、どんどん大きくなった。




 その気持ちが何なのか、本当はもう気付いていたけど。

 彼の動作にときめいてしまう理由だけが、わからないままだった。


 しかし……


 刈磨くんと一緒に怖い映画を観て……主人公とヒロインが心中するシーンを観て、その答えがわかった。





 私は、祖母を亡くした経験から、死ぬことを恐怖した。

 大切な人との永遠の別れを、ひどく恐れた。


 しかしそれは、避けられないこと。

 ならば、どのような死に方が一番幸せだろうか?


 その問いの答えは……胸の奥で、とっくに出ていたのだ。




 刈磨くんに、ネクタイで首を絞められ。

 身体中に甘い痺れが走るのを感じながら。

 私は……理解した。



 そっか。私……







 刈磨くんに、殺されたいんだ。







 どうせ死ぬなら、大好きな人の手で、優しく殺されたい。

 それが、私が思う、最高に幸せな結末しにかた


 私は、ずっと探していたのだ。

 私のことを優しく殺してくれる、誰かのことを。


 そして、見つけてしまった。

 小さな命にも慈しみを持って接し、優しくその命を奪う……刈磨くんを。



 初めて見た時からきっと、私は恋をしていた。

 近付けば近付く程、もっと好きになっていった。



 だから、彼がチューリップの茎を折ったり、ヒマワリの芽をちょん切る動作に自分を重ね……


 嗚呼、こんな殺され方もいいな、と。

 無意識下で、彼に優しく命を奪われるところを妄想していたのだ。



 もちろん、今すぐ死にたいわけではないし、彼を殺人犯にしたいわけでもない。

 実際の行動には移さないが、つい頭の中で想像して、楽しんでしまう。

 こういうのを……『性癖』と呼ぶのだろうか。

 そう考えると、とても恥ずかしいし、自分でもおかしいと思う。


 きっとこれは、死への強すぎる恐怖から心を守るために働いた、一種の防衛本能なのだろう。

 本来怖いものであるはずの『死』を、好きな人から施される『キモチイイ行為』と思い込むことで、その恐怖から精神を守っているのだ。

 ……たぶん。




 だって、その証拠に……

 彼に首を絞められた瞬間、感じたのだ。



 大好きな人に、命を握られる感覚。

 優しく、大切に、すべてを支配される、あの危険な感覚に…………


 身体の奥が、たまらなく疼くのを。






 私は、お姫さまになりたかった。


 華やかなドレスを着て、綺麗なアクセサリーを身につけて。

 優しい王子さまのキスで目覚めるような、可愛いお姫さまに。


 だけど……





 ……大好きな人の首絞めで危険な性癖に目覚める、ただの変態女になってしまった。






 どうしよう。

 こんなの、言えない。

 刈磨くんに、言えるわけない。

 好きだから殺して欲しいだなんて、わかってもらえるはずがない。


 だから、この気持ちは……

 私がときめいていた、本当の理由は…………





「…………ひみつ」




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