2 きっと叶わない恋

 



 彩岐さいき蝶梨ちよりは、校内でも有名な美少女だ。



 昨年の入学直後からすぐに生徒たちの間で噂になり、「あの綺麗な子は誰なんだ」と、同学年のみならず二、三年生まで教室に押し寄せた程だった。


 その美貌からモデルにスカウトされ、中学時代にはティーン雑誌に一時期載っていたこともあったが、高校受験と同時にやめたようだ。


 彼女が人を惹きつける理由は、容姿の美しさによるものだけではない。


 成績優秀で、定期考査では常に学年トップ。

 生徒会に所属しており、役員として学校行事の企画・運営を任されている。そうした真面目さも、彼女の魅力の一つだ。


 極め付けは、そのクールさ。


 家が弓道の道場をやっているらしく、その影響か凛と筋の通った性格をしている。

 あまり表情豊かとは言えないが、常に冷静沈着で周囲から頼られるため、友人は多い。


 当然モテるのだが、それをひけらかすことは決してしない。数々の告白も、全て真摯な態度で断っているらしい。

 男子からだけでなく女子からも人気で、去年のバレンタインなどは持ち帰れない量のチョコレートをもらってしまい大変だったようだ。


 美しい佇まいから放たれる、クールで媚びない態度。

 気高さすら感じられるその雰囲気から、いつの間にか"麗氷れいひょうの蝶"などという二つ名まで囁かれるようになった。



 容姿端麗。成績優秀。品行方正なクールビューティー。

 それが、彩岐蝶梨。






 ……つまり。


 自分みたいな、いてもいなくても変わらない凡人とは、天と地ほどの差がある存在。


 俺が神だとしても、彼女のことは真っ先に方舟に乗せる。

 そして一番上等な客室に迎え、最高のもてなしをするだろう。




 ……と。

 汰一は、先ほどプリントを受け取った時の彼女の姿を思い出しながら、考える。



 きっと彼女が二週間も休んだら、クラスへの影響は絶大だろう。

 友人らが寂しがるのはもちろん、生徒会の仕事や行事の準備はどうしようと、困る人間がたくさんいるはずだ。

 現に俺も困る。教室で彼女の姿をそっと眺めるのが、不運な俺の唯一の幸せなのだ。

 それができないとなると……それこそ学校に来る意味などないに等しい。


 だから。

 こんな身分違いの恋、叶わないとわかってはいるが。


 仕方がない。好きになってしまったのだから、どうしようもない。

 密かに想いを寄せ、眺めるくらい良いだろう? 別に誰に迷惑をかけるわけでもない。

 俺はただ……遠くから彼女を見ているだけで、幸せなんだ。




 ……などと、誰に対するものかわからない言い訳を脳内で垂らしつつ。

 彼は、学校の中庭を目指し廊下を進む。


 周囲への影響力ゼロを自覚する汰一にも、学校内で唯一影響をもたらしている仕事があった。


 それは、美化委員としての花壇の手入れ。


 彼は、花が好きだ。

 物心ついた時から母親の影響で庭いじりをするのが日課になっていた。

 土を耕し、肥料を撒き、毎日水をやり、雨風に負けないよう添え木やカバーをかける。

 そうして育てると、それに応えるように美しい花を咲かせる。

 彼は、その達成感が好きだった。


 だから、去年四月の入学後、この高校の荒れ果てた花壇を見た時には愕然とした。

 俺がなんとかしなきゃ。そんな使命感に突き動かされ、美化委員会に入り、ほぼ毎日手入れをしてきたのだ。



 それが……

 この度、学校を二週間も休んでしまいまして。



 嗚呼、新学年が始まってすぐに植えたグラジオラスの球根……順調に芽が出てようやく蕾を付け始めていたのに、害虫駆除が欠かせない大事な時期に不在にするとは……

 チューリップもそろそろ花摘みをして球根を収穫する準備をしようとしていたのに……花が散ってからじゃ遅いんだよなぁ。もう六月に入ったし、さすがに散ってしまっただろうか。



 そんなことを考えながら、汰一は昇降口へ続く階段を降りる。

 そして下駄箱から靴をひったくり、中庭へと駆け出した。



 もちろん彼以外にも美化委員はいて、いちおう曜日ごとに花壇の手入れ当番を決めているのだが、汰一は彼らに期待していなかった。

らくそう」という理由で美化委員になったような生徒ばかりのため、部活やら何やら理由をつけて当番を後回しにされ続け……結果、汰一が毎日手入れに赴いているのが実状なのだ。



 汰一は、中庭の手前で一度足を止める。

 そして、枯れ果てた花壇を想像し、息を吐きながら……

 恐る恐る、中庭を覗き込んだ。


 しかし、



「…………あれ?」



 そこには……瑞々しい花が咲き誇る、美しい庭が広がっていた。


 汰一が植えたグラジオラスは見事な花を咲かせ、ピンク色の花弁を輝かせている。

 チューリップもまだ散っていない。マーガレットも、パンジーもゴデチアも、枯れることなく綺麗に咲いていた。



 これは……間違いなく誰かの手が加わっている。

 一体、誰が……



 呆然と花壇を眺める汰一の疑問に答えるように、




「あっ、刈磨かるま先輩!」




 後ろから、声がした。

 振り返ると、そこにいたのは……小柄で可愛らしい女子生徒だった。


 肩で切りそろえた栗色の髪。ハーフツインに結った左右のテールが犬の耳のように揺れている。

 垂れ目がちな瞳を微笑みでさらに垂らしながら、上目遣いで汰一を見つめてくる。


 同じ美化委員の一年生、裏坂うらさか未亜みあである。


 未亜は嬉しそうに近付いて来たかと思うと、途端に頬を膨らませ、



「もうっ、お花のお世話ずーっとサボって! 先輩ってば何して……って、腕! どうしたんですか?!」



 と、今度は眉を八の字にしておろおろ狼狽うろたえる。

 そのめまぐるしい表情の変化に、汰一は苦笑いしながら答える。



「車に撥ねられて骨折。全治二週間」

「えっ?! それで花壇に来なかったんですね……大丈夫ですか?」

「一時的に意識不明になったけど、今はこの通りだ。驚かせて悪かったな。それより……ここの手入れ、裏坂がやってくれていたのか?」



 風に揺れる花々を眺めながら尋ねると、彼女は小動物のようにコクコク頷く。



「はい。当番の日に来てみたら、お花がしおしおになっていたので……いつもなら他の人がサボった分も刈磨先輩が水やりしてくれているじゃないですか。だけどそんな有様だったから、先輩どうしたのかなぁって思って。心配で、毎日様子を見に来ていたんです」

「そうか……ありがとうな。害虫駆除とか大変だったろ?」

「そりゃあもう。未亜、虫は大の苦手ですから。でも……それ以上にお花が可哀想だったので、頑張りました」



 そう言って笑う未亜につられ、汰一も思わず微笑む。

 サボりまくりの美化委員メンバーの中で、彼女は唯一当番を守ってくれる貴重な存在だった。



 と、その時。

 放課後を告げるチャイムが鳴り響く。


 その音に、未亜はハッとなる。



「やば、もう部活に行かなきゃ。それじゃあ先輩、未亜はこのへんで」

「あぁ。部活、頑張ってな」

「はい! あ、そうそう」



 踏み出しかけたつま先をくるりと返し、汰一へ駆け寄ると……

 未亜は、口の横に手を添え、悪戯っぽく笑って、



「お花のお世話、本当に頑張ったので、今度ご褒美くださいよ、先輩」

「なんだよ、ご褒美って」

「もうすぐ夏じゃないですか。未亜、先輩と夏らしいことがしたいなぁ。アイス食べたり、お祭り行ったり、海に行ったり……」

「あぁ、つまりアレか。なんかおごれってことか」

「違いますよう! そうじゃなくて……」

「わかったわかった。小遣い貯めといてやるから、早く部活行ってこい」

「んもぅっ。約束ですからねっ」



 唇を尖らせながら言い残すと、未亜は部室棟の方へと駆けて行った。





 * * * *





 可愛い。

 裏坂は、間違いなく可愛い女子だ。


 容姿の可愛さだけでなく、とにかく表情が豊かだ。

 その上、きちんと美化委員の当番を全うする真面目さをも持ち合わせている。

 まだ入学して二ヶ月だが、同学年からもモテているに違いない。


 だが、しかし。

 あんなに可愛い裏坂と話しても、まったく緊張しないし、胸は高鳴らない。

 くだらない冗談も言えるし、自然体で接することができる。

 何故なら彼女は、ただの"良き後輩"だからだ。


 が、彩岐を前にした時はどうだ?


 プリントを渡された時、彼女と視線が交わっただけで、頭の中が真っ白になってしまった。

 心臓が跳ね上がり、息の仕方も忘れ……

 結果、ロクな会話もできなかった。


 理由は明白だ。

 彼女が、俺にとって"特別な存在"だから。


 嗚呼、ほぼ初めての会話だったのに。またとないチャンスを、どうして生かせなかったのか……今になって悔やまれる。


 ……いや、いいんだ。

 俺と彼女は、住む世界が違う。

 少し話せただけでも、俺にとっては最高の幸運だろう?

 だから、これからも……ただ想っているだけでいい。


 それほどまでに俺は……彩岐蝶梨に、恋をしているのだから。






 ……そんなことを考えつつ。



 汰一は右手で、チューリップの花を、ブチブチと千切っていく。




 陰気な表情のせいで狂気的な破壊行為に見えるが、これは『花摘み』という歴とした手入れの一つである。


 チューリップは、種ではなく球根から植える花。

 球根は、上手く残せば繰り返し植えることが可能だ。

 栄養豊富な球根を残すため、咲き終えた花の部分に栄養がいかないよう花の下で茎を折る作業、それが『花摘み』である。



 未亜が手入れをしてくれていたお陰で、花弁を散らす前に花摘みすることができた。

 あとは葉が枯れた後に球根を採取すれば完了だ。

 花だけもがれたその姿は、さながら"首ちょんぱ"されたようで気の毒だが、仕方ない。



「……来年も咲かせてやるから、今は我慢してくれな」



 緑色の茎だけが伸びた姿を眺め、汰一は小さく呟く。



「さて。次は紫陽花あじさいの取り木を……」



 と、右手でスコップを握った──その時。



 彼は、特段カンが良い方などでは決してないのだが……

 その時確かに、を感じた。


 それも、かなり熱烈な……じっとりと纏わり付くような視線。



 どこだ……ていうか、誰だ? 

 俺なんかを、一体誰が見つめている?



 思わず立ち上がり、キョロキョロと辺りを見回す。と……




「……危ない!」




 そんな声がし、咄嗟とっさに振り返る。

 刹那!




 ──めきゃっ!!




 ……と、音を立てて。

 野球部が飛ばしたと思しき硬式ボールが、汰一の顔面にめり込み……



 彼は、意識を失った。



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