見習い魔女竜胆白緑は四十六歳
173号機
見習い魔女竜胆白緑は四十六歳
第1話 見習い魔女の誕生日
時計の針が二十時を回って少し。ようやく帰れる。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様。年末に急な出勤をお願いして悪かったね。それじゃあまた正月明けに。良いお年を」
「はい、良いお年を」
外出用の姿の私は、店長に作り笑顔を浮かべて女子更衣室へ向かう。言っておくが、これは不可抗力であって仕方の無いことだ。
幸い私以外に誰もいない……こともなかった。小泉さん(二十四歳)が化粧を直しながら電話をしている。
おかしいな。こいつが仕事に来ないっていうから、年末最終日に突然呼び出されたってのに、どういうことだ?
私は小さな会釈に最大限の威嚇を込めて彼女の前を通りすぎ、自分の名前が貼られた冷たいロッカーに手をかけた。
内側に付けられた小さな鏡に写るのは、小綺麗な大人の女性。私の実年齢は四十代だが、外出用の姿は三十代かギリギリ二十代に見えるよう調整してある。
この世界では資格や働けると思わせる見た目よりも、年齢はさておきワンチャン有りだよなとキモい男性社員に思わせることが大事なのだという。
なぜなら私は見習い魔女。
四十を過ぎているのにいっぱしの魔女として食っていくには程遠い稼ぎなのだから、それくらいの気持ちでいなければいけないらしい。
育ててくれた母であり大魔女の、それはそれはありがたい助言により採用された小さな薬局を出て空を見上げた。
白く薄い吐息が背に流れ、微かに漂う出店の香りが財布の紐を緩ませるも、数枚の薄汚れた茶色い小銭が涙を誘う。
とかくこの世界は金がかかる。この世界に魔力さえ豊富ならこんな苦労などしなくて済んだだろうに。
私をこの世界に放り込んだ張本人は間違いなく分かっていたはずだ。親父との時間を邪魔されたくなくて、こんな世界に飛ばしたのだ。
大木の生えた人気のない公園に寄り道をして、鬱蒼とした森の側にある自宅へ帰るとすぐに変身を解いて元の姿になった。
ただいまの返事も聞かずに自室へ入りベッドに倒れ込む私……いや、俺。
姿を変えている間は思考の一人称も見た目に合わせているのだ。だから今の、親父たち譲りのあどけない少年の雰囲気を残し、透き通る緑髪を持ったこの世界では無駄に超イケメンな本当の姿の時は”俺”だ。
超イケメンならすべての不幸が帳消しになると思う人もいるだろうが、それはとんでもない勘違いだ。
まず本当の姿だと人間の友達ができない。俺の性格が悪いわけじゃない。中学の半ばを過ぎると皆、俺とエロいことをしたいと、そういう邪な心で接してくるんだ。老若男女問わずな。それに痴話喧嘩のとばっちりも多いし、ゲイもののAVのスカウトも半端ない。
さらにちょっとでも立場が上の奴らは、たいてい俺を陥れておきながらいけしゃあしゃあと、えげつない色事を条件に俺の救済を提案してきやがる。
あと、何故かやたらとゴキブリにモテる。
とある神様と神様が下界でダラダラする漫画で、イケメンは呪われた顔面だと表現されていたが、まさにい言い得て妙……。
ま、そういうこともあって高校を卒業してから外出するときはほとんど変身している。
ホント、この世界は魔力がほぼ無いし、金はかかるし顔面偏差値が低すぎるし苦労が多すぎる。
「あの野郎……」
仕事の怒りとあの緑色のちんちくりんの姿を重ねて、俺は目をつぶった。
あれは俺が十歳を迎えた誕生日。
「あのねパパ。ぼくね、本物の魔女になりたいんだ」
「そうかそうか。でも吸血樹鬼が本物の魔女になるには大変だぞ」
「大丈夫だよ。だってぼくはパパたちの息子だからね」
そう、得意気に笑ってしまったのが運の尽き。
「じゃあ急いで異世界に行かなくちゃだね。一人前になりゅまで帰ってきちゃいけないんだよ。修行、頑張ってね」
親父の膝に乗る俺を恨めしそうに見ていた緑色のちんちくりんが、パアッと笑顔になったかと思うと、禁忌とされる世界を渡る転移魔法を発動させた。
「え?」
結果、俺はなんの準備をすることもなく、あっという間に異世界の日本とかいう国へ放り込まれたのだ。転移するギリギリに親父が投げてくれた袋以外は、本当に着の身着のままってやつだった。
後から知ったことだが、その日の日本は昭和とかいう時代の何十回目かの始まりを祝う日の早朝で、俺は帰らずの森と呼ばれる禁足地の入口ので呆然としていたらしい。
あれから色々あったけど、不滅の親父が言っていたとおり時間というものは信じられない速度で駆け抜けていくもので、俺はたった今四十六歳になった。
「は、はは……まさかこんなに長くお世話になるとは思わなかったよ」
零時前に自室からリビングに呼び出され、時計の秒針が翌日を告げると同時に出されたのは、四十六本の蝋燭が綺麗に並べられた真っ白なケーキ。それはテーブルの真ん中にどっしり置かれ、ささっとお猪口が三つ配られると、辛口の日本酒が並々注がれていった。
「お誕生日おめでとう、みどりちゃん」
「まあ、これから世話になるのはワシらの方かもしらんがの」
この世界での両親、竜胆紫と勝蔵夫婦だ。
「確かに……父さんは随分老けたよな」
俺を拾って養い育ててくれた両親も今や世間的には年金暮らしの八十代。たまに遊びに来る孫たちを生き甲斐にしているどこにでもいる老人だろう。
「みどりちゃんはあんまり変わらないわよね。ずっと可愛いしカッコいいなんて羨ましいわぁ」
頬に手を当てて少し首を傾けている母の言うとおり、俺の外見は当時からあまり変わっていない。
俺の場合、この世界では漫画やゲームなどでしか見かけないエルフとかよりも遥かに長命種なのだから当たり前。
ちなみに
似たようなもんではあるが、俺が毎晩啜るのは美女の生き血ではなく樹液。美しい樹木に甘い言葉を囁き誘惑し、その艶かしい樹皮に牙をたてるのだ。
夏はカブトムシやカナブンがハイエナの如く寄ってくるから迷惑している。
「いつまでたっても子供っぽいってだけだよ。不便の方が多い」
「変わらんものがあるのも悪くない。ほれ、お前の分だ」
勝手に蝋燭を吹き消してケーキを切り分け始めていた父が手を止めて口を開いた。そして7号のホールケーキからおよそ二人分を除いた残りがズイッと差し出される。
「……多くない? ていうかなんで7号サイズなの?」
「あら、だって小さいと蝋燭並べるのが大変でしょ?」
母は何を言ってるんだと言わんばかりに俺を見てから、ケーキの苺にフォークを刺した。
俺は母と違って苺から食べようか生クリームから食べようかいつも迷う。そうこうしているうちに、二階から降りてくる足音が二つ聞こえてきた。ペタペタとポフポフといった嫌な予感を含む足音。
ドアの開く気配に振り向くと、執事服を着た青紫の木で作られた小さなペンギンとダークグリーンのローブが入ってきた。
「ええ~? 今から?」
急いでケーキを頬張って”今は無理感”を演出してみる。
「万年見習いがお情けで頂くありがた~いお仕事なんですよ。時と場所なんて選べるわけありませんよね?」
そう言ってテーブルに飛び乗ったペンギンが目を細める。ローブもドアの横でポフポフと音を出して肯定していやがる。
「みどりちゃん、行ってらっしゃい。ケーキは冷蔵庫にいれておくから」
母がラップを手に微笑む。少し怖い。
「はぁ、せっかくの誕生日祝いくらいゆっくりさせて欲しいもんだね。昼間の仕事もいきなり呼び出されたんだしさ」
愚痴はすべてに無視され虚空へ消えていく。でも俺はいい大人だからそんなの気にならないもんね。愚痴を言い続けてやる。
とはいっても行かないわけにはいかない。しかたなく外出用の姿に変身してダークグリーンのローブに腕を通す。するとペンギンは定位置でもある俺の肩に乗ってきた。
「それじゃあ行ってくるよ。日が昇る迄には帰ると思うから」
それから俺は両親に戸締まりを注意して、すすきを束ねて作った箒を持ち外に出た。見習いの箒はすすきと決まっているのだ。
「行ってらっしゃい」
「お土産宜しくな」
両親の声を背に、俺は年が明けて間もない満月の空に飛び立った。
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