第36話 聖女と魔女の境界 1

 ラディスと書斎で話し合った次の日から、レイラは精力的に国のあちこちを飛び回って、瘴気の浄化につとめた。


 一日に何か所も回るので、レイラは癒しの力を使いすぎて、夜には疲労でベッドに突っ伏して気絶するように眠ってしまうという日々が続いていた。


 ラディスはマッサージをして欲しいと口に出していうことはなかったが、日に日に疲れがたまっているように見えた。


 水に癒しと浄化の力をのせたもので、お茶を入れてみたのだが、なんだか 


 もちろん寝室はラディスと一緒なので、気づけばラディスの腕の中でよしよしされながら寝ていることもあるのだが、疲れているレイラは抵抗する気力さえ起きない。


 私たちの関係ってホント何?  そう思いながら寝てしまう。


 レイラは時折、自分に余裕がないとラディスのことを思いやったり癒すこともできないのだなと申し訳なく思ってしまう。


 レイラが瘴気の浄化に向かうのにラディスの時間が取れないときは、シルファやロビィにも同行を頼もうとしたが、ラディスは頑として許可しなかった。


「……シルファはダメだ」


「えぇ、じゃあロビィは?」


「……ダメだ」


 レイラが説得を試みるも、執務室で書類に目を通しながら、ラディスは顔も上げずにぼそぼそと短い返答をしただけだった。


 ラディスの眉間にはいつもの深いしわが寄っている。


 取り付く島もない。


「私としても、あなたと二人っきりでお出かけするのは魅力的な提案なのですけどね」


 目線で助けを求めると、シルファはウインクをしながら困ったように笑う。


 イケメンだとウインクみたいなキザなことをしても様になるんだなと感心していると、ラディスににらまれた。


「いい子だから、少しの間おとなしく待っていろ」


 完全に「待て」のできないペット扱いである。


 シルファの補足によると、シルファは力のある魔族だが荒事というよりも知略に長けたタイプなので護衛には向かず、ロヴィは従者という立場だが実は戦闘に特化したタイプで守るよりも攻めることが得意なため、やはり護衛には向かないということを教えてくれた。


 レイラが鳥かごの中にいながら転送されてさらわれたという失態を犯したこともラディスが許可しない理由の一つだそうだ。


 その他の魔族は論外。部下であってもレイラを任せるに値する人物はいないときっぱり言われてしまった。


 これは最初からレイラをラディスが庇護すると宣言した後、日中は鳥かごに入れられ、夜はラディスの寝室で過ごすという徹底ぶりから予測できたことではあった。


 気にしないと言いたいところだが、魔王のそばにいるレイラを隙あらば排除しようとしたり、魔王の弱点になると踏んでかどわかそうとするものも実際いるのだから、おとなしく従うしかなかった。


 レイラはもう一つ、現場にはカヨが現れる可能性が高いので、ラディスは頑なに同行するのだとも思っていた。


「シスから何か返事はあった?」


「ない」


 ラディスの返事は、やはりそっけない。


 なぜかシスもレイラを連れ戻すことをあきらめていないらしい。


 ラディスの城に侵入したロ・メディ聖教会の手の者が複数捕らえられていた。


 シスには瘴気の浄化するとラディスを通して伝えてあるはずなのだが、伝わっていないのか、自分の手柄をラディスに横取りされたくないのか、魔族は信用できないと思っているのか、返事がなかったので、いまいち何を考えているかわからなかった。


 レイラはため息をつく。


「返事くらいしてくれてもいいのに……少しは打ち解けたと思っていたのは私だけなんだね」


「あ……」


 ラディスが何か言おうとしたが、これ以上ラディスの仕事の邪魔をするわけにはいかない。


 瘴気の報告は減っている。


 このままのペースでいけば、大地の浄化が終わるのも近いだろうと、ラディスが言っていた。


 その言葉を信じて、レイラは、おとなしく鳥かごに戻った。


   *   *   *


 その日の午後、今日の執務を終えたラディスに連れられレイラは遠方の村まで来ていた。


 ここは魔族と人間が得意分野を補いながら共存している珍しい村だった。


 麦畑が広がっているが、昨今、土地が枯れて収穫が思わしくないということだったのだが、最近、動物の狂暴化により、畑が壊滅的な被害を受けたというのだ。


 獣によって畑が被害を受けたという話はよくあることだ。


 けれども原因はそれだけではない可能性がある。


 土地が枯れて獣が狂暴化しているという2点を考えれば、十分レイラが足を運ぶ理由になった。


 ラディスの馬の魔獣の背に乗れば、長距離の移動でもアッという間なのだが、さすがに遠方ということで、1泊はしなければいけないということだった。


 大仰にして村人に不安を与えないために、村にはレイラとラディスの2人で行くが、念のために腕の立つ配下も村中に配置されているという。


 人の多い場所に連れていくのに、レイラはフードで顔をすっぽり隠せる長い外套を羽織らされていた。


 いつものカワイイワンピースでは目立ちすぎるというのだ。


 レイラは自分の姿がすっぽり隠れる外套に安心感を覚えた。


 もっと早くにこれをもらっておけば、スカートの短さや自分がイタイ恰好をしているのではないかと悩まずに済んだのに。


「離れるな」


 レイラの目の前にラディスの手が差し出される。


 何かわからず、とりあえず犬のように「お手」をして見せたが、そのまま握られて硬直してしまう。


「え? 手、つなぐの?」


 何を言っているんだという顔をされ、ラディスの外套の中に引っ張りこまれる。


「わっ、なに???」


 ラディスがレイラの左手を握り締め、腕を背中に回して、後ろから半分抱き込んでいるような状況で外套の中に収められる。


 ラディスのぬくもりと香りにレイラの顔が赤くなる。


「これが一番安全なんだ」


 確かに背中にラディスの腕が回されているので、絶対にラディスの前を歩くし、体が密着している状態なので、はぐれることもないだろう。


 以前のレイラはならばそういうものかと受け入れるのだが、なんだか最近はラディスの過保護を気恥ずかしく思っていた。


 嫌なわけではないのだが、距離感に自分の感情が引っ張られるというか。


 つまり、その、認めたくはないが、レイラはラディスを異性として意識しているようなのだ。


 自分の感情なのに、ようなのだというのは変な話だが、つまるところ予防線だった。


 恋愛経験が乏しいため、自分でコントロールできない可能性がある。


 この感情は育てるわけにはいかない。


 レイラは元の世界に戻りたい。


 戻る決意を鈍らせないためにも、考えてはいけないことなのだ。


「まずは村はずれの畑に行く。すぐに浄化ができそうならはじめてくれ」


「うん」


 レイラはうなずいた。


 そのとき、レイラの視界の端に、艶やかな黒髪が見えた。


「!? ラディス、カヨさんがいた!」


 ラディスが弾かれたように顔を上げた。


 追いかけようと言おうとしたとき、畑の方から、村人が大勢走ってくる。


「狼の群れが襲ってきた! 自警団を呼んでくれ!」


 レイラは咄嗟に、自分ができることを選択し、ラディスの腕から抜け出した。

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