第26話 今さら協力しろと言われても 1
辺りは静かだった。
ステンドグラスを通した色とりどりな太陽の光が、レイラの顔に落ちる。
「んっ……」
レイラがうっすら目を開けると、床に金色に光る円形の魔法陣のような複雑な模様が目に入った。
レイラの意識が一気に覚醒する。
自分がどこにいるのかわからずに、あたりを見回して、既視感に襲われる。
ここは、この世界に目覚めたときと同じ礼拝堂のような場所だ。
「うまく石にこめたスクロールが発動したようですね」
やわらかな男性の声が聞こえてくる。
弾かれたように顔を上げると、少し離れた場所から白い法衣をまとった天使と見まごうばかりの容姿の男性が歩いてくる。
周囲にいる神官たちも、粛々と目を伏せているが、レイラに対して明らかな好奇心をのぞかせている。
「シス……」
「名前を、憶えていてくれたんですね」
慈愛に満ちた微笑みに、レイラは警戒心をにじませる。
他にも周囲には白い法衣を着た神官たちが数人囲んでいる。
この世界に召喚されたときと、状況が全く同じだった。
「少し容姿が変わられていたので驚きました」
「ここ……」
先ほど、ラディスと朝食を終えて私室に戻り、レイラを守るために設置された鳥かごの中に入ったはずだった。
「少し強引な手法でしたが、転移の法術をつかわせていただきました」
「本当に強引ね……今さら、こんなところに連れてきて、何の用?」
レイラが思ったよりも、ずいぶん冷たい声が出た。
「あなたを魔王の元から救い出したかったのです」
救い出す?
怪訝な顔をしたレイラに気づいたのか、シスは微笑みを崩さないまま近づいてくる。
「邪悪で、狡猾で、利己的な穢れた魔族の元から聖女を」
レイラは、目を見開いた。
この男は何を言っているのだ。
「私を殺そうとしておいて、救い出すだなんて、よくも勝手なことを!」
カッと頭に血が上ったレイラは、声を荒げた。
今でも胸を貫かれた生々しい痛みと、血の匂いを覚えている。
レイラのせいで巻き添えになって殺された魔族の男性のことも。
あんな体験は忘れようと思っても、簡単に忘れられるものではない。
だが続く言葉は、シスがすっと頭を下げたことで言えなくなってしまった。
「手違いだったのです。あなたを丁重にもてなすべきだったのに、大変失礼しました」
激高したレイラと、やわらかい態度で素直に謝罪するシス。
周囲にいる複数の神官たちもレイラとシスの動向を見守っている。
レイラは怒りのために視界が赤くなる。
手の平を返して下手に出たことに怒りを覚えても、ここまで平謝りされてはレイラは謝罪を受け入れるしかないではないか。
高圧的に物事を押し付ける人間より、何倍もやりにくい。
シスはかなりのやり手だ。
容姿と人当りから見ても、人心を掌握するのに長けている人種に間違いない。
レイラは息を吐いて、怒りを鎮めた。
「あなたが魔王と呼ぶ人が、あなたのせいで死にかけた私を助けてくれたのよ」
ラディスは眷属にすることで、殺されかけていたレイラを助けてくれたのだ。
「それで……気配が感じられないので、てっきり死んだものだと思っていました。魔王の元に聖女がいるという噂を聞くまでは」
悪びれたようすもなくシスは言う。
ラディスの流した噂が、ここまで届いて、慌ててレイラをさらってきたというわけか。
「あなたは私が異世界より召喚したのです。私の元で瘴気を浄化していただきます」
「……いやよ。もうひとりマヤちゃんて子がいたでしょ、あの子に頼めばいいじゃない」
「彼女はまだ、力に目覚めていないのです」
目覚めていない?
レイラはこの世界に来てから、すぐに癒しの力で狂暴化した魔族を浄化した。
発動に条件やタイムラグがあるものなのだろうか。
簡単に信用してはいけない気がする。
美しい容姿とやわらかな物腰でだまされてしまいそうになるが、この男は年を取った方はいらないと始末するのを命じたり、魔族は穢れていると平気でさげすんだり、はっきりいってレイラとは合わない。
厳しい顔をしたまま、警戒心を解かないレイラに、シスは悲しそうな顔をして嘆息してみせた。
「ラディス……魔王は瘴気の穴を浄化すれば、元の世界に返す方法を探してくれると約束してくれたのよ」
「魔王の言葉を信じてはいけません。今まで召喚された人間が元の世界に帰ったという例はありませんが……あなたが望むのでしたら、方法を探しましょう」
レイラにとっては、シスの言葉の方が全く信用できない。
「どこで私が瘴気を浄化しようと、関係ないでしょ。結果は変わらないんだから」
「そうはいきません」
今までの不信感が募りに募って、レイラは何を言われても彼の言葉を全く信じることができなかった。
何とか、ラディスの元に戻らないと。
前の時と違って、窓には武装した神官が立っており、逃げだす隙はなさそうだった。
ここは一旦、おとなしく従うしかないだろう。
「わかった」
シスは微笑みながら、満足そうにうなずいた。
「それでは、禊にご案内します」
「みそぎ……?」
レイラは、何を言われているかわからなくて、少しぎこちなく言葉を繰り返す。
「魔族の元にいたのです。身の汚れを落とさなくては。その下品な短い丈の衣装もあなたには似合いません」
「なっ……これは!」
この男は、どこまで失礼なのだ。
怒りと羞恥で顔が赤くなる。
これしか着るものがなかったからであって、レイラの趣味ではない!
それに、下品だとか似合わないと面と向かって言うのは失礼だと思うのだ。
怒りを抑えて、微笑むシスをにらみつけるが、そこでレイラは違和感を覚えた。
先ほども、今までもずっと、彼は自分の考えや言葉が正しいと信じて疑っていないのだ。
宗教家とはそういうものなのだろうか。
レイラはぞっとして、彼をまじまじと見た。
「禊をする泉にご案内します」
差し出された手をしぶしぶつかんで立ち上がろうとすると、礼拝堂の入口の扉が勢いよく開いた。
「ちょっと待った!」
そこには、レイラと一緒に異世界に飛ばされてきた、志田真彩が立っていた。
まるで三流ドラマの結婚式に乱入してきた元恋人のようだなと、レイラはシスの手を借りて立ち上がりながら思っていた。
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