第16話 聖女が魔王様の関心を引いて面白くない件について Side:リリン

 魔王の城で主に諜報活動を取り仕切っている絶世の美少女リリン・シエンスタは、イライラしながら侵入者の尋問をしている地下牢に向かっていた。



 リリンが不機嫌な理由はひとつ。


 先ほど報告のために立ち寄ったラディスの執務室で、ラディスと兄のシルファが話していた内容が気に食わなかったのだ。


 ラディスは深刻な顔をして、日中のレイラの警備の見直し案を練っていた。


 信頼して警護を任せられる人物がなかなかいないと、真剣な表情で悩んでいたのだ。


 自分から聖女をとらえたと発表したときは、何かに利用するとばかり思っていたのだが、魔女のこ

と以外にも何かありそうな予感がする。


 人間を黄金のカゴでペットとして飼っていると周囲に触れ回っているのも、レイラを守るためだ。


 本人は気づいているのかいないのか、その執着ぶりは日に日に増している。


 城中でささやかれている聖女の噂も、聖女本人を見れば、嘘だとわかりそうなものだけども。


「昨晩はあまりの心地よさに、最後まで気を保っていられなかった」


 ラディスが苦々しく言っていたので、執務室にいた兄をはじめ、補佐官たちが衝撃を受けて固まった。


「うらまやしいです。私にも一晩貸していただけませんか?」


「……ダメに決まっているだろう」


「壊しませんから」


「ダメだ。モノじゃない」


「壊すって、そっちの壊すじゃないんですけどね」


 宰相である兄の軽口にも不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、即座に一蹴してしまう。


 これではラディスが聖女に一晩中、声を上げてさせられていたという荒唐無稽な噂も、単なる噂と言い切れなくなってくる。


 リリンは地下牢の一角にある尋問部屋に到着すると、サビた重い鉄の扉を開いた。


 部屋の中には、下級魔族に見える男が壁に鉄の拘束具で縛り付けられている。


 一通りの尋問は終わったということだが、全身に傷だらけで乾ききらない血のにじんだ男は、なかなか口を割らずにいくつかの拷問も同時に行われたらしかった。


「あなたがロ・メディ聖教会の息のかかった人間だということはわかってるわ。何を探っていたの?」


 男はうつろな視線のまま、何も答えない。


 リリンは拷問器具の中から鞭を手に取ると、男の頬をぴしゃりと打った。


 男の頬に深い鞭の傷跡が刻まれ、血がにじむ。


 ところが、男は全く反応しない。


 ふんっとリリンは鼻を鳴らす。


「隠さなくても、おおよそ魔族が聖女をとらえたと発表したから真偽を確認しに来たのでしょ?」


 大方、召喚主が手を下した聖女が、本当に生きているか気になって探っていたのだろう。


 兄から得た情報によると、聖女は狂暴化した魔族と共に、背中から光の矢で容赦なく貫かれたそうだ。


 召喚主は大きな法力を使って召喚の儀式を行ったのに、余計な人間まで召喚してしまい、召喚にケチがつくと、証拠隠滅を図ったそうだ。


 ラディスが聖女に魔力を与えて眷属としたことで一命をとりとめたが、普通なら確実に死んでいた。


 死んでくれていたらよかったのに。


 ラディスが聖女とはいえ、人間のレイラにあれほど執着するなど、誰が予想できただろうか。


 もう少し鞭で打って反応を見ようとしたときだった。


 定期報告の時間となったので、リリンを探して地下まで侍女の一人がやってきた。


 この女には城内の情報を集めさせている。


「ここで聞くわ」


「ですが……」


 侍女は捕らえられた人間がいたので躊躇したようだ。


「聞かれたところで、すぐに始末するから問題ないわ」


「かしこまりました……陛下と聖女が使われた湯に浄化の力が宿っていたようで……その後、使用人に湯分けがされた際、体調が軽くなったという報告が上がっております」


「あそ……聖女の力は本物ってわけね。で?」


 魔族というのは、人間と異なる文化や性質を持つというだけで、生き物には違いない。


 瘴気にあてられると、狂暴化するのも普通の生き物と同じ。


 湯に浄化の力が宿っていたというのだろうか、そんな長時間効力があるなんて聞いたこともない。


 しかしリリンは次の言葉に耳を疑った。


「聖女が廊下で「最後まで起きておいてもらえるように手加減しないと」と独り言を言っているのを聞いた使用人が数人おりました」


「はぁっ?」


 リリンは目を丸くした。


 ラディスが先ほど執務室で言っていた言葉とつなげてみると間違いない。


 聖女とはいえ、取るに足らない人間と思って油断していた。


 ここまで手練手管に長けていたとは……。


 聖女と寝所にこもって、夜な夜な声をあげさせられているという噂はラディスに限ってありえないと思っていた。単なる噂に過ぎないと。


「凡庸な人間の女だと思っていたのに……恐ろしい」


 今までラディスは、魔女の一件以外、誰にも心を動かさなかった。


 リリンがラディスに言い寄ってきた女を殺しても、目の前で誰かが死んでも、眉一つ動かさない。邪魔なものは躊躇なく排除する冷酷無慈悲な魔族の王のはずだった。


 レイラがラディスにとって、瘴気を塞ぐための道具のままだったら何の問題もなかった。


「ホントに邪魔な女……」


 リリンがつぶやいたときだった。


 先ほどまで何の反応もなかった人間の男がピクリと反応をし、ぎこちない動きで顔を上げた。


 うつろな男の瞳が銀色に輝いている。


「と、とり……取引をしないか?」


 男ののどが不自然に言葉を紡ぐ。


「聖女が邪魔なのだろう? こちらで引き取りたい」


 リリンは目を細めて、人間の男を見た。


 男を通して誰かがリリンに話しかけている。


「消えてくれればいいのは確かよ。でも……魔王様は厳重に聖女を囲っていて片時も手放さないのよ。瘴気の穴を塞がないといけないから外出も一緒に行動しているし」


 聖女は瘴気の穴を塞ぐのに必要不可欠だ。


 わざわざラディスが過保護なまでにあの女を保護しているのも、元はそれが理由なのだから。


「瘴気の穴を塞ぐのはこちらの役目でもある。別に人間が穴を塞いでもこちらが穴を塞いでも同じだろう」


 確かに男が言うことも一理ある。


 人間の男はうつろな表情のまま、すらすらと話し続ける。


「どうだろう。邪魔な人間の女を一人、引き渡すだけでいい。こちらにいい考えがある」


「いい考え? たいした力のない人間を信用するなんてできるわけないじゃない。失敗したらラディス様に始末されるのは私なのよ」


「口の中に、スクロールを刻んだ石がある。それで通信と転送ができる」


 この捕虜の男を通して通信と遠見をしているのは、人間にしてはかなりの能力の持ち主らしい。


 口に入るほどの小さな小石にふたつのスクロールを圧縮して刻むなど、魔族でもできない芸当だ。


 リリンに取引を持ち掛けているのは、ロ・メディ聖教会の中でも相当な力を有する聖職者だろう。


 リリンはにやりと美しい唇の両端を持ち上げてにやりと笑う。


 そうね。元の持ち主の元に返してあげた方がいいわ。


「いいでしょう」


 リリンは捕虜の口の中に手を突っ込むと、金色に光る文字の刻まれた小石を取り出した。


   *   *   *


 ロ・メディ聖教会の水鏡のある一室で、シスは水鏡に手を付けたまま意識を集中させていた。


 聖女を排除したいものと接触できたのは幸いだった。


 シスの周りには信頼のおける神官が数人、シスの操る水鏡に法力を送っていた。


 召喚で使った法力が、未だ回復しきれていないのだ。


 遠見と遠隔を終えて、シスはふうっと息を吐いた。


「先ほど聞いたことは他言無用に」


 シスの言葉に、神官たちは頭を垂れた。


 確かに魔族とシスがどんな取引をしたのか、そしてどんな策がこうじられたのかを漏らすものは、誰一人としていなかった。


 だが人の口に戸はたてられない。


 レイラの知らないうちにラディスの城だけではなく、ロ・メディ聖教会の内部にもある噂が広がっていた。


「魔王の城に捕らえられた聖女が、魔王を夜な夜なあえがせて気絶させるほどのテクニックを持っているので、魔王から溺愛されるようになった」という噂だ。


 レイラの噂は、ついに種族をこえて大陸中に広がりつつあった。

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