第10話 聖女のとんでもないテクニックについて Side:ラディス

 聖女の力は本物だった。


 ラディスは、朝議のために集まった家臣の報告を聞きながら、レイラのことを考えていた。


 レイラの癒しの力で体の瘴気が浄化された後、彼女の勢いに負けて予想外のマッサージを受けたのだが、それがとんでもない気持ちよさだったのだ。


 マッサージをしたアロマオイルというものがよかったのか、それとも彼女の手が優しく背中をさするのがよかったのか……かつて経験したことのない快楽だった。


 それともあれが、聖女の本来の力だとしたら、何と恐ろしい力だろう。


「聖女を捕らえたというのは本当なのでしょうか?」


「……ラディス様?」


 家臣の言葉に応えず、深刻な表情で物思いにふけるラディスを、シルファが不思議そうにみている。


「聖女の力は瘴気の穴を塞ぐために不可欠なものだから連れ帰った」


 ラディスは意識を朝議に戻し、眉間にぐっとしわを寄せて厳しい顔をして言った。


「人間が召喚した聖女だとうかがいましたが」


「彼らが彼女を殺そうとしているところを保護しました」


 シルファが補足する。


 いらないと殺そうとしたのだ。今さら誰が何を言おうと返すつもりはない。


「人間がいらないと判断した聖女など役に立つのでしょうか?」


「問題ない。聖女は私の保護の元、瘴気の穴を塞ぐことに尽力してもらう。関与することは許さない」


 きっぱりと言い切ったラディスに、朝議の間がざわつく。


「たかが人間の小娘を陛下が直接保護されるのか……やはり、あの噂は……」


「鳥かごに囲って飼っていると聞いたが」


「昨晩も、陛下のご寝室から声が……」


 ひそひそと臣下たちがささやきあう。 


「聖女を保護したのは瘴気の穴を塞ぐためです」


 シルファがぴしゃりと言い切る。


「そのためにラディス様がロ・メディ聖教会から奪ったのです。異論がある者は申し出てください」


 朝議の場は静まり返っている。


 魔族が抱く人間への感情は、おおよそ取るに足らない愚かでぜい弱な生き物で一致する。


 なのでラディスが瘴気の穴を塞ぐための道具として見ていると言えば、大体の魔族なら、人間ですからな。と納得する。


「聖女を魔王が所有していることは大々的に発表します。魔女とロ・メディ聖教会にも動きがあるでしょう」


 聖女がいるとわかれば、魔女は何らかの行動を起こすはずだ。


 ただし発表は慎重にしなくてはならない。


 聖女の癒しの力以外にも癒しの知識をもつなど、余計な情報は秘密にしなければ……。


 魔族は欲望に忠実なのだ。快楽など特に。


 レイラのマッサージを知って、彼女を放っておくはずがない。


「本日の朝議はこれまでとする。魔女の調査と、引き続き瘴気の穴が開く原因と場所の調査を急げ」


 ラディスは一方的に朝議を終わらせると、退室した。


 *   *   *


 執務室に戻ったラディスの前には、書類の山が並んでいた。


 これを日付が変わるまでには終わらせる必要がある。


 考えただけで、おさまっていたはずの頭が痛みだす。


 眉間にしわがぐっと寄るのを指でおさえながら、ラディスは午前の執務を開始する。


「聖女の噂で城内はもちきりのようですよ」


 聖女がいると発表するつもりだったので興味を持たれると思ってはいたが、すでに噂になっているとは……さすがに情報が回るのが早すぎる。


 考えごとをしていると、シルファが世間話をするような気安さでレイラの話を始めた。


「昨晩はレイラのマッサージに声を抑えられなかったとおっしゃっていましたが、私たち魔族は身体能力が高いので、瘴気の浄化はともかく、マッサージで癒してもらう必要はないのではないですか?」


「……まあ、そうなんだが……」


「珍しく歯切れが悪いですね。そんなに良かったんですか?」


「……アレは、経験した者にしかわからん」


「なるほど」


 ぺろりと下唇をなめるシルファは、淫魔の血が濃いだけあって色気があってなまめかしい。


「私も試したいですね。ラディス様に声を上げさせるような快楽なんて、興味を持つなという方が難しいでしょう?」


 あれは……アレはダメだろう。


 あんなものを知ってしまったら、戻れなくなる。


「…………だめだ」


 かろうじて絞り出したラディスの様子をみて、シルファはさらに興味を持ったようだ。


「ますます気になりますね」


 あの、言いようもない気持ちよさを何と説明したものかわからない。


 ラディスが頭を抱えていると、扉が勢いよく開いた。


 従者のロビィだ。何度注意されても、勢いよく扉を開けてしまうようだ。


「ラディス様! レイラが目覚めたよ! エサ……じゃなくて、人間の食べられる朝食をやって、カゴの中に戻しといた」


 シルファの手配した鳥かごは彼女を他の魔族から守るためのものでもあった。


「異常はなかったか?」


 レイラの様子を聞くと、ロビィは神妙な顔をする。


「ワンピースのスカートのところが短いのが気になるみたいでさ、中に見えてもいい黒いスパッツみたいなのを渡しておいた。でもなぁ、見えてもいいことに安心して余計に動きが無防備というか」


「わかります。レイラさんはしっかりしてるのに、自分の身の安全には無頓着で隙だらけなんですよね」


「確かに、平和なとこに住んでたんだろうなって能天気さがあるよな……あ、それとラディス様の様子を気にしてたよ。昨日は準備不足だったから、手順を踏んで道具を使ったらもっと気持ちよくできたのにって」


「はっ?」


 あまり感情を表に出さないラディスだが、思わず声が漏れた。


 え? もっと気持ちよく?


 このとき圧倒的な力で魔族を率い、人間に恐れられる魔王は震撼していた。


 あれ以上があるなど、信じられなかった。


 聖女ということを抜きにしても、とんでもない人間がいたものだ。


 だが、これで確信した。


 この先、様々な理由で彼女を狙うものは後を絶たないだろう。


 聖女の癒しの力に加えて、マッサージのことは絶対に知られてはならない。


 レイラを奪われるわけにはいかない。


「先日、レイラの世話をしていた侍女は外しましょう。危害を加えそうな物騒なことを言っておりましたし」


「魔族の女って攻撃的だからさ、人間って、すぐに死んじゃうからね」


 魔族の女は基本的な欲望に忠実に加え、自信があり、高圧的で高慢な者が多い。


 それは厳しい魔族の社会で生きていくため、身に着けるべき美徳とされている。


 夜はラディスが直接、レイラを寝室で保護できるとして、食べ物や彼女を世話する侍女も厳選しなければならないだろう。できる限り時間を作って側にいてやる必要がありそうだ。


 食べ物にも気を付けて、丁寧に扱わなければ。


 彼女はか弱い人間なのだから。


 それなのに……か弱い人間のくせに、魔族の王であるラディスの体を心配するなんて、何もわかっていない証拠だ。


 両親も……魔女も強靭な肉体と魔力を持つラディスの強さを疑わなかった。


 ラディスの体が瘴気にさらされても耐えられると誰もが知っているというのに、ラディスの体を気遣い、癒そうと懸命になるなんて……。


 ラディスにも理解できない何ともむず痒い感情が湧き上がってくる。


「人間の書物を集めさせて、文官にまとめさせろ。あとは人間の食事を作れる料理人と人間を診れる医者もいるな」


 いつも大体のことはシルファや優秀な家臣に任せて決裁するだけのラディスが、真剣な表情で聖女の身の回りを手配しはじめたことは、すぐに城内の知るところとなった。


 こうして「聖女を溺愛している魔王が、彼女を囲って大切に身の回りの世話をしている」という本当かウソか微妙に否定できない噂がたったのだった。

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