サトリな僕とTSな君

虫野律(むしのりつ)

僕と君①

 2週間前、僕は異能に目覚めた。理屈は知らない。けど、事実らしい。


 僕が目覚めた異能は、人の思考や感情を読むという、ありきたりなものだ。どれくらいありきたりかというと、この高校の偏差値くらい。


「以上が近年注目されている織田信長女性説の根拠だ」日本史の三上みかみ先生が、イマイチ納得できない授業を締めくくるべく、言った。「今日はここまで。まず間違いなく受験には出ないから覚えなくていいぞ」


 それならどうして丸々1コマをその解説に費やしたのか、とか、このクラスはほとんどが進学希望なのに酷くないか、とか言いたいことは幾つかあるけど、1番伝えたいのは、男子生徒の大半がエロい目で三上先生を見てて授業は全然聴いてなかったですよ、ということだ。

 言っておくけど、僕は違う。いや、授業を洒落てないBGMとみなして真剣に聴いてなかったのはそのとおりなんだけど、別に三上先生の女性ホルモン過多なボディラインに注目していたわけじゃない。


 僕の意識の向く先、つまりは、春夏秋冬ひととせさんから彼女の心の声が僕の頭に飛び込んでくる。


(はー、やっぱ麻美あさみちゃんいい身体してるわ)


 麻美ちゃんとは、三上先生のことだ。

 春夏秋冬さんは女の子ではあるものの、男子に交ざって三上先生を視姦する強者つわものでもある。

 ただし、美少女だ。どれくらい美少女かというと、この高校の偏差値とは比べものにならないくらい。具体的には、日本を代表するアイドルのボスが裸足で逃げ出すくらい。


「避妊はしろよ」という言葉を残し、三上先生は去っていった。


(余計なお世話だ!)


 春夏秋冬さんが内心でツッコミを入れている。哀切を感じさせる、風情あるツッコミだ。

 春夏秋冬さんの表情が少しだけ陰る。


(……次は体育か。やだなぁ)


 それは僕も同感だ。移動と着替えが面倒くさい。


(……なんで俺だったんだろうなぁ)


 物憂げな面持ちが実に様になっている。







 僕が春夏秋冬ひととせさんに興味を持ったのは、お人形さんみたいで人間離れしているにもかかわらず、下手な美容整形のような不自然さのない美しい容姿に惹かれたからではない。

 春夏秋冬さん曰く、曰くと言っても頭の中を勝手に覗いただけだけど、とにかく彼女は自分のことを元男だと信じている。1年生と2年生の間の春休みに、神様を名乗る大きなはえに女の子にされたらしい。周りの人間の認識も改竄かいざんされていて、誰も彼女が元々は男だったと気づけない。

 みたいなことを春夏秋冬さんは確信している。勿論、僕は半信半疑どころか、9割は疑っている。10割じゃないのは、僕みたいな奴もいるし、もしかしたらあるかも、という思い故だ。


 さて、そんな、頭のおかしい系美少女の春夏秋冬さんは、所謂、ぼっちというやつだ。といっても、虐められているわけではない。彼女がみんなを拒絶しているんだ。

 春夏秋冬さんに言わせれば、男子は下心──彼女視点では同性からの下心だしね──がウザいから嫌で、女子に対しては、女子特有のノリが面倒で関わりたくないそうだ。ちょくちょく垣間見えてしまう、女子連中の嫉妬心も鬱陶うっとうしいらしい。

 まぁ春夏秋冬さんはこんな感じの人だ。

 そして、そんな彼女だからこそ僕は興味を抱いた。

 勘違いしないでほしいんだけど、僕は彼女に対して恋だとかセックスだとかの性的コンテンツは求めていない。

 僕が春夏秋冬さんに惹かれているのは、彼女のいびつさを面白いと思ったからであって、僕の好奇心を満たしてくれさえすればそれ以外は何もいらない。


 というわけで、僕は春夏秋冬さんに話しかけてみることにした。


「春夏秋冬さん」放課後、校門の辺りで、帰ろうとしていた春夏秋冬さんへ声を掛けた。


「……何」鈴を転がすような声が、実際はどういう声になるかは分からないけど、きっとそういう表現がよく似合う声で、しかし警戒心を隠そうともせずに春夏秋冬さんが言った。


(うわっ、誰だっけこいつ。やべ、名前思い出せね)


 嘘ついた。警戒とかそういうレベルじゃなかった。


「ねぇ、僕の名前分かる?」つい、虐めてみたくなるのは僕の少年らしさに由来するのか、春夏秋冬さんの愉快な雰囲気のせいなのか。


「え゛」春夏秋冬さんの口から、透明感のある濁音が発せられた。「えー……」


(なんてこったい。まったく思い出せないのに、ピンポイントで攻めてくるなんて……)


 笑いを堪えている僕は、結構凄いと思う。


(ん? 待てよ)


 春夏秋冬さんは何かに気づいたようだけど、彼女に外形的な変化はない。


(こいつ、そんなことを訊くために話しかけてきたのか?)


 言われてみれば、たしかにおかしい。


 春夏秋冬さんのぱっちりお目々が、不審者を見るそれへと変貌してゆく。


 なので、とりあえず爆弾を落としてみる。「春夏秋冬さんって、なんで急に女の子になったの?」


「!?」春夏秋冬さんが目を見開く。


(──?!)


 何やらノイズばかりで思考を上手く読み取れない。


 しかし、僕は続ける。「誰も気づいてないし、何がどうなってるの?」


(──!??)


 混乱してるなぁ、と思っていると、春夏秋冬さんは、ガッと僕の手首を掴んで早足で移動し始めた。なかなかキレのあるいい動きだ。

 周りから視線を感じる。彼ら彼女らが何を考えているかは、異能を使わなくてもだいたい分かるから、あえて思考を覗いたりはしない。


 春夏秋冬さんは無言である。しかし、頭の中はそうではない。


(こいつ、何者だ? どうして認識が改竄されていない? なぜ俺にそれを伝えた? 目的はなんだ? つーか、名前なんだっけ)


 やっぱり僕の名前は思い出せないようだ。別にいいけれど。







 僕たちの住む街は、中途半端な規模の中核市だ。だから、それほど人目の多くはない、しかも子どもの遊んでいない公園を見つけることも難しくはない。


「分からない、か……」びついていて危険性の高い遊具に座った春夏秋冬ひととせさんが、風鈴のような声音で呟いた。


 春夏秋冬さんに〈どうしてみなもと(僕の名前だ)は気づけたんだ?〉と訊かれて〈分からない〉と嘘をついた結果、難しい顔でブランコに乗る春夏秋冬さんという光景ができあがって、今に至る。


 時刻は17時20分を過ぎている。


「今日はもう帰る」春夏秋冬さんがブランコから飛ぶように、しかし実際には跳ぶように降りるも、自身の手の平を見て、「うわ、きったね」と声を上げた。


 おそらく錆が手についたのだろう。


 春夏秋冬さんが嫌らしい顔で僕を見て、「おらっ」と手を擦りつけようとしてきた。


 ので、避ける。「何すんのさ」ひょいひょい、と。


「避けんなよ」雰囲気が完全に男言葉だけれど、違和感はそれほどない。しかし、しつこく僕の制服をおしぼり代わりにしようとする点には納得できない。


 そうして何度か攻防を繰り返していると、飽きたのか諦めたのか、春夏秋冬さんは、「腹へった」と呟き、「帰る」と宣言した。


「さっき聞いた」


 しかし、春夏秋冬さんはそれには釈明せずに、「じゃあな」と言って、帰っていった。


 やっぱり変な奴だと思う。







 あれから、僕は春夏秋冬さんとちょくちょく関わるようになった。

 

「おい、源」春夏秋冬さんが、受験業界で最も有名な数学の参考書を片付けようとしていた僕の下へやって来て、言った。「焼きそばパン買ってこい」


「やだよ」いつから僕はパシリになったのか。それに何より、春夏秋冬さんは子ども舌でめんどくさいのだ。「だいたい、紅生姜抜きの焼きそばパンなんて、田舎で進学校を気取ってる2流高校の売店には売ってないよ」彼女は辛いものが壊滅的に駄目らしいので、〈焼きそばパン=紅生姜抜きの焼きそばパン〉と解釈する必要がある。


「ぷっ」隣の席のさかきさんが吹き出した。紅生姜抜きの焼きそばパンという、肉の入っていないチキンカレーのような料理を所望した春夏秋冬さんを嗤ったのか、国立大学至上主義者の和田わだ先生が浮かべた、苦虫を噛み潰したような、とまではいかない、冷えきった天ぷらを食べたときのような顔を笑ったのか判然としないが、まぁどうでもいいことだ。


 しかし、春夏秋冬さんは超マイペース人間だ。周りの様子などまったく気にせずに、「昨日さ」とステレオタイプのヤンキー然としたセリフを直前に吐いたとは思えない親しげなおもむきで口を開いた。「観たんだよ」


「何を」僕の隣で聞き耳を立てている気配。


「祭りのやつ」春夏秋冬さんは、しばしば言葉足らずになる。


 けれど、僕にはピンとくるものがあった。昨日、ニュースで地元の祭りが取り上げられていて、去年のものらしき屋台の映像が流れていたのだ。


「祭りの屋台がどうとかそういう流れで焼きそばを食べたくなったの?」僕は、仕方なく推理のようなものを披露した。


「そう、それ」当たったようだ。春夏秋冬さんがお金の取れそうな笑みを見せる。「どうして屋台って旨そうに見えんだろうなぁ」


「でも、紅生姜は抜きなんでしょ?」


「当たり前だろ」一転、神妙な顔で断言した。


 今度、こっそり紅生姜を何かに仕込んでやろう、と誓う。


(無理矢理食べさせて、可愛い顔を歪ませたい。泣かせてみたい)


 榊さんも内心で声高に賛同している。このクラスにはろくなやからがいないみたいだ。担任の三上先生にはちょっとだけ優しくしてあげよう。


 ちなみに、〈焼きそばパンを買ってこい〉と言った時の春夏秋冬さんの内心は、〈飯、食いに行こうぜ〉である。







 窓から見える空には、どんよりとした雲が広がっている。天気予報によると雨は降らないそうだ。けれど、その信憑性は下降中だ。


「……」


 雨、降らないといいなぁ。


 僕の異能は雨の日には使えないのだ。もう少し成長すれば改善するのだろうか。


「それでよ。山下やましたがよ──」春夏秋冬ひととせさんはプロ野球が好きらしく、弁当箱を空にした後も山下なる打てる捕手の話題を延々と展開していた。


 しかし、僕は興味も知識もほとんどないため、基本的には聞き流している。


「──みなもとはどう思う?」春夏秋冬さんの瞳が僕を射貫く。


 何のことか分からないので思考を読んでみる。


(こいつ、また聞いてなかったな)


 バレてた。


「ごめん、聞いてなかった」言い訳しても無駄なので正直に白状する。


「はぁ」春夏秋冬さんの溜め息。「いいよいいよ。お前が野球どころかスポーツ全般に何の価値も認めていないポンチキだってのは知ってるから」


「ポンチキってポーランドの揚げ菓子のことだよ」


 僕がそう言うと、春夏秋冬さんは、「はあぁー」とさっきの倍はありそうな空気の塊を肺から絞り出した。「うっざ。うっざいわぁ、そーゆーのいらねぇんだわ、実は」


「ごめん」


「……ところでよ」謝罪を聞けて満足したのか、春夏秋冬さんが話の流れを変えた。「週末暇か?」


「暇と言えば暇だけど」


「じゃあ、シルバーフェニックスの試合、観に行こうぜ」親父からチケット貰ったんだ、と。


 シルバーフェニックスとは、10年ほど前にできた、僕たちの住む県に本拠地を置く球団だ。春夏秋冬さん曰く、だいたい最下位争いをしているそうだ。


 正直、たとえ優勝争いの常習犯であったとしても興味を持つことはないだろうけど、絶対に行きたくないというわけでもない。予定もないし、「いいよ」と答える。


 春夏秋冬さんは口元をもにょもにょとさせ、「おう」とだけ。


 しかし、内心は、(よーし、よしよし、1人で行くのは淋しいんだよな。よーし、よし)である。


 なんだろう、この人。おもしろ。


 なので僕は言った。「やっぱり、ごめん。予定思い出した」


「はぁ?!」


(はぁ?!)







 土曜日、僕と春夏秋冬さんは真新しいスタジアムに来ていた。デイゲームらしい。


 おびただしいわけではない観客がガヤガヤとしている中、やはり春夏秋冬さんは目立っていた。次元の違う美少女が球団のユニフォームを着て、〈あー、お前なんで今打たねぇんだよ、クソが〉とか〈信じてた。お前はやればできる子だって俺は知ってる〉とか〈ふっざけんな、俺たちはホラー映画を観に来てるんじゃねぇんだよっ〉などと喚き散らしているのだ。これがそこら辺にいるおじさんなら馴染むんだろうけど、春夏秋冬さんは黙っていれば、裏でグループメンバーを虐めているアイドルを視線だけで改心させるレベルの美少女。違和感がすごい。

 周りの観客も、(お、見所あるやんけ)とか(ほう、なかなかどうして……)とか(横の男、邪魔だな……)などと野球観戦ではなく春夏秋冬さん観戦に半ば移行して邪なことを考え出す始末だ──とりあえず殺気を飛ばすのはやめていただきたい。


「あ゛ー」突然、春夏秋冬さんが、ホラー映画に登場する、発狂しながら死んでいくキャラクターみたいな声を上げた。「負けた……」


 試合を観戦する春夏秋冬さんを観戦する観客を観戦するのに忙しくて、試合は真面目に観ていなかった。いつの間にか終わっていたようだ。

 スコアボードには13対15の文字。野球ってこんなに点の入るスポーツだっただろうか? と首を捻る。


「……帰る」春夏秋冬さんがボソッと言った。すくっと立ち上がり、空を見上げた。「まだ明るいな」







 春夏秋冬ひととせさんの心によると、彼女は、男だったころは天才野球少年としてそれなりに有名だったらしい──たしかにうちの学校は進学校を自称しているくせに甲子園の常連さんだ。そして、春夏秋冬さんはプロ野球選手を目指していた。

 しかし、女の子になっちゃったことで、彼女の思い描いていた未来は絶対的に訪れなくなった。女子プロ野球もあるみたいだけど、それは違うらしい。あくまで子どものころから観てきた男のプロ野球の世界に行きたい。そこで活躍したいというのが、彼女の夢だったそうだ。


 とはいえ、彼女はそれで不貞腐れて野球を嫌いになったりはしなかった。もう仕方ないから1ファンとしてプロ野球を楽しもう。そんなふうに自分に言い聞かせていた。


 僕らは、帰りのバスを降りて初夏の街を並んで歩いていた。

 春夏秋冬さんは、相変わらず取り留めのない話をしている。しかし、心裏の底には、ざわざわとした感情がとぐろを巻いているような、そんな不穏さがある。


 といっても、心中の大半は、(あー、俺も野球やりてぇ)である。

 

 なので、僕は、「キャッチボールでもする?」と提案してみた。


 しかし、すぐに後悔した。なぜなら僕はキャッチボールをした経験が本当に1回もないからだ。平均よりは運動神経のいい自信はあるけど、それで意識高い系の春夏秋冬さんを満足させられるだろうか──不完全燃焼な気分にさせてしまうかもしれない。


「……どのくらいできるんだ?」春夏秋冬さんも疑問に思ったようだ。


「やってみないと分からない」


「いや、あのな」と呆れたような声音。「その回答がすべてを物語ってるんだよ」絶対、下手くそだろ、と春夏秋冬さんは片眉を上げた。


(へ、俺のチェンジアップを見せてやるぜ)


「……」


 言動と内心が見事に一致していない。

 この人、女優とかになったほうがいいんじゃないかな。朝にやってる、どこが面白いか分からないドラマにしれっと出演してても違和感はないと僕は思う。


 しかし、今の僕は違和感を覚えている。それに従い、「素人相手のキャッチボールで変化球を使ったりはしないよね?」とやる気満々の春夏秋冬さんに問うた。


「使ってはいけないというルールはない」春夏秋冬さんは力強く断言した。


「その回答がすべてを物語っている、とは誰の言葉だったか」


「……多分、お前、キャッチャー向いてるわ」唐突に春夏秋冬さんは、そう口にした。


「なんでさ」僕のキャッチーのイメージはお相撲さんだ。けれど、僕は痩せている。


「性格悪いもん」春夏秋冬さんは即答した。「ブロックはできなそうだけど」


「RINEブロックしようか?」


「……」


(こ、こいつっ……!)







 翌日、僕たちは近くの河川敷にいた。

 Tシャツにジーンズという、如何にもやる気のない格好の僕とは対照的に、春夏秋冬さんは有名なスポーツメーカーのジャージを身につけ、軽快に準備運動をしている。


「よっしゃ。やるか」と宣言した春夏秋冬さんは、「ほら、これ使え」と年季の入ったグローブを僕に渡してきた。


「……結構厚いんだね」想像よりしっかりしている。


「そうか?」と春夏秋冬さんはポニーテールを揺らした──普段は下ろしている。「そんなもんだぞ」


「春夏秋冬さんのは、そんなに厚くないじゃん」


「俺はピッチャーだったからな」


「ふーん」


「そんなことより早くやろうぜ」


 というわけで、僕の人生初のキャッチボールが始まった。







 春夏秋冬さんが、昨日観た投手(負けてたほう)のようなフォームで腕を振る。白球が放たれた。

 一応、見えてはいるので到達予測地点にグローブを構える。すると、次の瞬間にはボールがグローブに〈パシッ〉と収まった。


 意外といけるもんだね、というのが僕の率直な感想だ。

 

 しかし、春夏秋冬さんは不満があるのか、「うーん……」と首を傾げている。


「どうしたの?」


「やっぱ感覚がちげぇなって思って!」


 なるほど。


「ま! いいや」春夏秋冬さんはコロっと表情を変え、「予想よりできるみたいだから、次からしゃがんでみてくれ」とにこやかに通告した。そして、ボールを持った手を縦に揺らしたりしつつ、「これが真っ直ぐでこれがカーブ。これがチェンジな」とよく分からないことを言っている。


 多分、どれを投げるかのサインなんだろうけど、正確に読み取る自信がないから、素直に異能のスイッチを入れる。


(うーん、軟式だとMAX110キロくらいか? きっついな)


 球速のことだろうか。野球をやっている人は感覚で分かるようだ。すごい。


 この、ユルいような、そうでもないような空気のまま、僕たちはキャッチボールを続けた。春夏秋冬さんのコントロールがいいことに加え、何をどこに投げたいかを正確に把握できるので、初心者の僕でも問題なくこなすことができた。







「デート中にごめん。ちょっと相談があるんよ」河を見ながらお昼ごはんのお握りを食べている僕らの下へやって来た、隣の席のさかきさんが、両手を合わせながら言った。


 僕と春夏秋冬さんが見交わす。


(こいつ誰だっけ)


 春夏秋冬さんはクラスメイトにもう少し関心を持ったほうがいい。


 春夏秋冬さんは役に立たなそうなので、僕が対応する。「どうしたのさ?」


「実は──」と榊さんが語り出した。


 話の内容を要約すると、〈この河川敷で榊さんの兄が所属する草野球チームの試合があるんだけど、選手の人に急用ができて人数が足りなくなったから、助っ人に入ってくれないか〉ということらしい。榊さんは僕らのキャッチボールを見てて、〈もしかしたらオッケーしてくれるかも〉と考えたそうだ。


 なんか人が集まってるなぁ、と思ってたらそういうことだったのかぁ。


 だめかな、と上目遣いの榊さん。「……」


(……くっ。全然、効いてる感じがしない。春夏秋冬さんレベルに慣れてるせいで感覚が麻痺してやがる。なんてムカつく男なんだ)


 これが人にものを頼む態度だろうか。いや、態度は問題ないんだけど、内心がアウトだよ。間違いなくゲッツーだよ。


 腕を組みながら表面上は不気味なくらい静かに聞いていた春夏秋冬さんが、おもむろに口を開く。「……条件がある」


 すっごく偉そうだ。


「じょ、条件?」榊さんは、ごくりと喉を鳴らす──ノリノリである。


 うむ、と春夏秋冬さんが頷く。そして、「俺に投手をやらせろ」と傲慢な悪役キャラみたいに言い放った。


「いいよ」榊さんがあっさりと答えた。


「え、いいの?」春夏秋冬さんの気勢は削がれてしまったようだ。


 榊さんは、うん、と肯首し、「今、うちのチームにピッチャーできる人いないし、見た感じ春夏秋冬さんフォームもきれいだし」とチームの人たちを見やる。


 褒められて気を良くしたのか、春夏秋冬さんはニヨニヨと美少女じゃなければ引かれるであろう笑みを浮かべ、「仕方ねぇな。そこまで言うならやってやる」と承諾し、次いで、僕の肩に手をポンッと置いた。「あ、あと、捕手はこいつな」


「え、なんでさ」ルールすらよく分かっていない僕に何を期待しているのか。


「いいよ」榊さんは再びあっさりと頷き、そして、口角を歪め、「いやぁ、春夏秋冬さんも女の子してるねえ」と地雷を踏み抜いた。


 しかし、僕の予想とは裏腹に春夏秋冬さんは、「うるせえよ」とぶっきらぼうに言っただけだった。

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