黎明の鬨
碧月 葉
第1話 薄明
「私を抱いて」
幼馴染が放った言葉に、冬吉は一瞬身を硬くした。
夕闇の中、イヌザクラの白い小房がさわさわ揺れている。
「
冬吉は、胸の内が漏れ出ないように、ひたすらに明るく気遣う声をかけて、そっと肩を抱いた。
腕の中の晶は、小刻みに震えている。
泣いているのか、怒っているのか…… 恐らく濁流のような感情を戦っているであろう大切な人を、冬吉は只々包み込んだ。
「晶ちゃん、俺は大きくなったら君を嫁にするよ。絶対に君と一緒になる。忘れないで」
その言葉に応えるように、晶は冬吉の腰に回した手に力を込めた。
冬吉は今年で15歳。
夕暮れ時に呼び出され、告げられた「抱いて」の真意が分からなかった訳ではない。
しかし、晶の瞳の中には、冬吉が望ような熱は見当たらず、あるのは絶望だった。
決して豊かとはいえない、秩父の山間の村の中でも、父親が病気がちな晶の家は特に貧しい。
冬吉は悟ってしまったのだ。
幼い弟達を生かす為に晶が選ぼうとする道を。
晶の絹のような髪を撫で、そこに分からない位の口付けを落とす。
「晶ちゃんが好き。だから、この先何があったとしても生きて」
思わず抱擁が強くなる。
冬吉にとって晶は、幼い頃から一緒に過ごした相棒。そして、年頃になってからは、将来を夢想した愛しい人だ。
(大人になりきれない俺は、この娘に何をしてあげられるだろう)
冬吉の心臓は軋んで、痛んで、張り裂けそうだった。
(好きな相手だ。大好きな
しかし、ここで晶の願いを叶えたら、彼女はまもなくに消えてしまう。冬吉には、そんな予感がしたのだ。
「冬吉さんは、本当に残酷で意地悪ね。でも、優しい。だからやっぱり好き」
顔を見せないまま、晶が呟いた。
数日後、晶は女衒に連れられて村を出て行った。
幕府は人身売買を禁じているが、年貢を納める為の娘の身売りは認められており、寒村ではそうして売られた娘が、年季が明けるまで遊女奉公するのは珍しい事ではない。
冬吉は、峠を見下ろせる山の斜面で、晶の姿が見えなくなるまで見つめていた。
遂に視界から晶が消え、深く息を吸った冬吉は足元に目を向けた。
そこでは、カタクリが赤紫の花びら広げ、可憐な姿を見せていた。
(晶の好んだ花だ……。晶、お願いだ、辛くても、寂しくても耐え抜いて欲しい。必ず迎えにいくから)
冬吉は唇を固く結ぶと、山を降りていった。
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