罪と野獣と美女と罰 第2話

 



 のらりくらりと戻ってきたはずの部室には未だ誰の姿もなかった。

 閑古鳥も気を使って黙りそうな中、部室の中央に鎮座するコタツにコートを羽織ったまま擦り寄り、手も使わずに乱暴に上履きを脱いでいつもの一辺に足を突っ込む。

 雪国のくせに土地柄としては実はレアアイテムであるこのコタツは、今年の夏真っ盛りの時分に果奈がディベート部に寄贈してくれたものである。

 雪国とはいえ夏は暑い。砂漠でビスケットを渡すような行為を働いた果奈に、当時は思いつく限りの罵声を浴びせたものだった。今にして思うと、『先祖にチンパンジーでもいたのか?』はさすがに言いすぎだったかもしれない。しばらく小難しい言葉だけを使って話すキャラになってたもんな。

 そんなこんなはあったけど、三寒四温の謂れが瓦解したとしか思えないこの厳冬においては、毎日競うようにコタツへ潜ってるんだから不思議なものである。


「あら、やっぱり里々さとりちゃんはまだ戻ってないの?」


 ややあって、すっかりコタツに身を預け始めた頃に果奈が戻ってきた。股の間からガサガサとビニールの音はしないので、どうやらお花は無事に摘み終えたようである。股間に耳を傾けたのなんて初めてだよ。


「はい、どっちがいい?」


 僕の返事を待たずにコタツに近づいてきた果奈が今度は、両手に缶コーヒーを持って選択を迫ってきた。のだけど……。


「どっちがって、どっちも同じじゃん」


 果奈の左右の手に握られた黒い缶コーヒーは、どこからどう見ても全く同じものであった。


「見た目と中身はそうね、同じね。でも付加価値が違うわ」


「付加価値?」


 アイスとホットとかだろうか。


「実はこれ、片方はトイレの前に買ったもので、もう片方はトイレの後に買ったものなの。どちらを選ぶかであなたの深層意識が露呈すると思うんだけど……」


「お前もう占い師辞めろ!」


 どんな流派のやり口だよ。露呈すんのはお前がバカだってことだけだよ。


「冗談よ。はい、ツッコミご苦労様」


 微笑んで、左手の缶コーヒーをよこす果奈。嬉しいことにこれがホットだった。


「……ありがとう」


 一体これはどちらの缶だろうか。そもそもあれだけよちよちしてたんだから、トイレに行く前にこんなん買う余裕があったとは思えないけど。


「それにしてもあの一階の薄汚い自動販売機、ずいぶん長いことブラック以外の缶コーヒーが品切れよね」


「そうだっけ? でも二人ともいつもブラックなんだから問題ないだろ」


「私たちはいいけど、里々ちゃんは苦手でしょ? ブラック。あんなに黒いのに」


「そうなの? あんなに黒いのに?」


 僕たちは別に缶コーヒーにかこつけて級友を貶してるわけではない。

 事実、里々は黒いのだ。

 ピンクゴールドに髪を仕上げ、インナーカラーは気分次第。小麦色をかなり通り越した肌の色はまさしく黒で、つまるところ、里々は黒ギャルなのだ。

 絶滅危惧種。レッドリスト入りしてそうなブラックギャルという生き物は奇しくも、この白銀の北国で存在を確認できる。

 そうこうしているうちに僕のトイメンに腰を下ろした果奈。やおらマフラーを首から引き抜くと、隠れていた首筋と毛先が露わになる。パイプオルガンのように段々と切られた髪は真っ黒で、顔色はシリアルキラーに血を抜かれたみたいに真っ白。


「あべこべだな」


 つい口に出してしまったけど、果奈はただ缶を傾けるだけでこちらの発言にも視線にもとりわけ興味がないという風だった。


「ねぇ空音……」


 雲間と雪間をすり抜けた月明かりが果奈の横顔を照らす。僕たちはどうしてか、部屋の明かりを点けることはしていなかった。


「もしかして、雪国の黒ギャルって無敵なんじゃないかしら」


「どうした急に」


 缶コーヒーの縁に指を這わせ、飲み口から垂れる雫をすくい取って口へと運ぶ果奈。今後の生活に支障が出てもいいから、あそこまで舌伸ばせるようにならないかな?


「だって、一年の半分は雪に埋もれるこんな地域であんなに黒いんですもの。それって保護色を必要としてないってことでしょ? 赤い雪男みたいなものだわ」


「赤い雪男?」


「しかもよ? その黒ギャルの中でも、里々ちゃんってとびきりデカいじゃない。ベルクマンの法則の生き証人ね。きっとあの子の家だけ特別寒くて、酸素濃度もとびきり濃いんだと思うわ。だって空音、あの子より大きい黒ギャルって見たことないでしょ?」


「そもそもあいつ以外の黒ギャルを見たことないよ」


「でしょう? それはきっと、里々ちゃんがやってやったのよ。生存競争よーいドンで、視界の外から鎖骨をドーンよ。そうしてあの子はここいらの頂点捕食者となったの」


「お前毎日なに考えて生きてんの?」


 言葉は選びつつ軽くあしらい、少しだけぬるくなった缶の飲み口を噛む。

 出会って半年以上。果奈の扱いにもすっかり慣れたものである。

 それこそ最初はヴィーガンのバーベキューパーティーに出くわしたような、未開の部族にメールアドレスを尋ねられたような気分になった。

 だけど知ってしまえばなんのことはない。果奈はただただ、ボケたいだけなんだ。

 周囲からの視線も評判も、自分がどう見られるかなんてのは二の次三の次。イケるんじゃないかと思ったらやってみる。思いついたら口に出す。こいつはひたすら、やりたいことを真っ直ぐやってるだけ。

 そこに少し問題があるとすればそれは、ボケるためなら心身の危険も顧みず、ウケるためなら不謹慎も下ネタも厭わないというスタンスだったり、そこら辺の感覚がまるごと壊死した性格くらいのものだ。まぁ、そのちょっとした問題こそがまさしく死活問題なのかもしれないけど。


「じゃあ、あなたはなにを考えてるの?」


 不意に、グズる赤子もすぐさま泣き止むような甘い声が耳に届く。

 顔を上げるといつからだろうか、果奈の静かな瞳がこちらに向けられていた。

 目が合うと、すぐにふふっと微笑む果奈。なにかを見透かされたようでドギマギするが、不思議と視線は逸らせない。

 首をかしげながら頬杖をついて妖しくこちらをうかがう果奈は、とことん話にならない女で、つくづく絵になる女だった。

 そのあまりの色気に、お月様までが分が悪いと雲の後ろに逃げ込んだちょうどその時、ドアが外側から派手に開かれる。


「まーだカフェラテ入ってなかったよ! 会社潰れたのかな? てか暗っ!」


 里々だった。


 声問里々こえといさとり


 致命的な短所と、それを補えないあんまりな長所を兼ね備えた彼女は岸川高等学校の一年生で、僕と同じディベート部員。この世の全てに愛される黒ギャルである。

 学校から徒歩四、五分の好位置に実家があり、家業は鉄板焼き屋。飲食である。僕も幾度となく足を運んでおり、それこそ学校の昼休みにだってお世話になっている。


「遅かったな」


「そりゃそうだよ。黒ギャルとオカ研だよ? 水着で揚げ物するようなもんだもん」


「なんか楽しそうだなそれ」


 手練手管の背伸せのビッチな里々ではあるが、さすがに今回の異文化交流には参ってるようだった。


「あいつら初めはウチにビビっておどおどギトギトしてたのにさ、ウチの目的が奴らの畑に関することだとわかったらもう大変! 水を得た魚だよ! 質問を得たオタクだよ! あれよあれよってさ、ウチを中心に輪になって捲し立ててきたの。なんの儀式だよってね」


「黒ミサじゃない?」


 里々の語気もどこ吹く風で、茶々を入れる果奈。


「黒ギャルだけに? わや・・やかまし!」


 わちゃわちゃといちゃつく白と黒。いつもの部室のいつもの光景。要するに、二人は仲良しなのであった。

 パチンと電気のスイッチを切り替え、おそらく温かいであろうお茶を手にコタツににじり寄る里々は、僕から見て左、果奈から見て右側の一辺に、健康的な双脚を突っ込んだ。

 麻雀も打てない頭数だけど、これにてディベート部員全員集合である。


「先生に奢ってもらっちゃったさ」


 一息ついてから、手にしたお茶をトロフィーのように掲げてうっとりと眺める里々。


「先生ってトドメちゃん?」


「そそ。下の自販機でコーヒー買ってるとこに遭遇したの。そんで試しに『アレ言いふらすよ』って脅したら、高速でお茶買ってくれたよ。別になんにも握ってないのにね。わや僥倖」


 あの人は叩けばいくらでも埃が出そうだからな。


「せっかくだから部室寄ってきなよーって誘ったんだけどね、それはイヤだってさ」


「イヤとはずいぶんバッサリだな」


「ツバまで吐かれたよ」


「あの大人ツバ吐いてくんの?」


 なんて教育に悪い教師だよ。アルパカかな?


「まぁそれはいつものことなんだけどね、それより今はこれ! 散々脱線されながらもなんとか掻っ攫ってきた、我が校の八不思議!」


 ジャーン! という安い効果音付きで、ポケットから取り出した紙切れ数枚をコタツに叩きつける里々。


「八不思議?」


「そそっ、八不思議。縁起良いね!」


 聞き慣れない、というより聞き慣れてるからこそ違和感を覚える単語。なんだよ八不思議って。末広がってる場合じゃないだろ。

 二重窓の外には風花が音もなく舞い、得意満面といった里々のアホ面をことさらに際立たせていた。

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