あの雷雲に恋をしたなら 【MF文庫新人賞・2次選考通過作品】

那西 崇那

第1話 あの日も雨が降っていた

 あの日、私は神様みたいな人に会っていた気がする。


 雨のない日に稲妻が空を覆っていた12月。


 あの日、あのとき、雷が曲がったあの日。


 誰かが確かにそこにいたのだ。


 神様のようで、その実誰よりも神様に、世界に嫌われた、誰かが。




◆◆◆


 


 東京の天気は今日も雨。


 ふわりと風に舞う霧雨。9月だというのにまだ湿気がまとわりつくように空気が生暖かい。道行く人々の傘をくぐって服を撫でていく。


 信号が青に変わる。一斉にスクランブル交差点に踏み出す人々。雨よりもずっと多い足音と雑多な人の声が混ざり合っている。きっと人の歩く軌跡に形が残るのならば、雨色に染められた綿密な布が編まれるだろう。


「あー! 雨! 人! 雨! 雨! 人込み! 人込み!」


 一人の女子高生が、交差点の真ん中でそんな言葉を吐き出した。


 彼女は、風に誘われて頬を濡らした雫にひどく顔をしかめていた。ぷうと膨らませた頬の横で雨水を吸った短いクセ髪が揺れる。


「うっさ。なに急に」


「私の嫌いなもの! 今日もう、最悪!」


「知ってるって」


 隣を歩くのは、長い髪の友人。彼女に呆れた視線を向けられるも、少女は止まらない。


「ほら見て!」


少女は細い腕を伸ばし、携帯端末の画面を友人へ向ける。


「この前行った京都の写真! 人と傘ばっっっか! 観光地にまで行って人間見に行ったのかって感じ! 全然いい写真撮れなかったんだから!」


「いまどき観光地なんて、どこもそんなもんでしょ」


「ドライだぁ。チーは。それでも、せっかくお金払って旅行に行くんだから、最高の状態で見たいじゃん! だから人込みと雨は旅行の天敵なのだ!」


「それいっつも言ってる。いつものポジティブはどうしたの?」


「こればっかりはポジティブになれないって!」


「はいはい。っていうか前見な。こんな人込みの中で――」「キャッ」


 短い髪の少女が、すれ違う通行人の肩と傘をぶつからせた。その勢いのままに大きくふらついて彼女は尻もちをついた。


「痛ったぁ……」


 スカート越しにお尻が濡れるのを感じ、慌てて体を起こそうとした少女。しかしその瞬間、彼女の動きが止まった。


「え……?」


人がいない。


いや、存在はしている。


彼女の背後や、交差点の向こう側には行き交う人々の姿がある。当然だ。平日夕方。それも東京のスクランブル交差点など、人か車で埋まっていないはずはない。


それなのに今彼女がいる場所にはだれもいない。青信号のスクランブル交差点のど真ん中を、誰も歩いていなかった。


周囲を行き交う人々が、なぜが交差点の中央を避けて歩いているのだ。そのせいで交差点を渡る人々の流れは不自然となり、より過密なものとなっている。それなのに誰もそれを気にしているそぶりを見せていない。


交差点のど真ん中。そこにバリアでも張られたかのように、ぽっかりと誰も人のいない穴が20メートルほども存在している。


その不可侵の空間にいるのは、尻もちをついている少女と、そしてもう一人。


空を見上げている一人の青年がいた。


誰もいない空間のど真ん中で彼は静かに佇んでいる。


少女は何も言葉を紡げなかった。今自分を取り巻いている謎の現象。目の前の青年の姿に吸った空気。どれも声を作ってはなってくれない。


空を見上げている青年の姿は異様だった。身に着けているオレンジ色の長い布は、服と言うよりローブのよう。薄汚れたそれを体に巻き付ける形で衣服としている。ファッションの一言では片づけられるような恰好ではない。見ようによってはパンクファッションと言えなくもないか。だが、それにしてはあまりに青年の姿は薄汚れていた。


「あ……」


ようやく漏れた声は、動揺が形となって口からこぼれたものだったか。しかし、その小さな声は異様な風体の青年に届き、青年と少女の目が合った。


青年の瞳は降りしきる雨粒よりも透き通った青色をしていた。雨夜の暗さを押しのける街の光が深いコントラストを作り上げている。身長は190を超える長身。加えて明らかに日本人ではない容姿をしている。


「あ……? え?」


今度声を発したのは青い瞳の青年であった。彼はひどく動揺しているようで、その瞳に夜の街がすべて映り込みそうなほどに目を見開いている。


 青年が少女に一歩近づく。


 すると、少女の背後で人込みが遠ざかる。


 少女が振り返るも、誰も倒れた少女を気にも止めない。不自然な空間のど真ん中にいる青年にも……。


「な、なに……これ……」


異様な事態と、自身へ迫る人物。彼女の心に恐怖の文字を彫り上げられる。


「いや……」


一歩。一歩と近づいてくる青年。


その彼の顔がよく見える距離にまで近づかれたそのとき、


「いやぁ!」


少女は即座に立ち上がると、人込みの中へ駆けていった。


彼が近づいていた分だけ人込みは遠ざかっていた。その理解不能な事象は少女の恐怖を更に煽った。


人込みに入ったあとも、人とぶつかりながら駆けていく。完全に交差点を渡り切ったところで、その足を止めて振り返った。息を切らしながら交差点の中央へ視線を向ける。だが、人の壁に阻まれてさきほどいた場所まで見通すことはできない。


人込みをかき分けてきた彼女へ、迷惑そうな周囲の視線がチクチクと刺さる。今起きたことは現実だったのか。向けられた視線も、荒い息も、彼女が交差点を走った事実しか教えてくれない。


 傘もささないまま、茫然と彼女は人の壁へ視線を向けていると、


「奏多!」


「ヒャッ」


髪の長い少女。少女がチーと呼ぶ友人が肩を叩いた。


「あんた、どうしたの? 急にいなくなった思ったら私より後に走ってきて。痴漢?」


「え? えっと……」


もう一度視線を交差点中央に戻す。すでに赤信号になっており、そこにあるのは人のいない交差点。車が行き交う前数秒の何もない空間がそこにあるだけ。奇妙な青年の姿ももちろんない。


やはり、今のは白昼夢でも見たのか。


「てかあんた。傘は?」


「え? あっ……ない……」


さっき逃げたときだ。あのとき確かに傘を持たずに彼女は駆けだしていた。


ということはさっきの青年も……。


視線をスクランブル交差点の中央に向ける。やはりそこに人の姿はなく、車が忙しなく走る姿しかない。車が巻きあげる水しぶきの中に、少女は先ほどの青年の青い瞳の色を見た。


霧雨降りしきるこの日が、少女、南 奏多と不思議な青年の初めての出会いの日であった。

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