第三章 切り裂き魔編

第26話 切り裂き魔

 風が強い夜。


 リドウェルの南に流れる小川、その橋を渡った先には夜の店が立ち並ぶ。


 その入り組んだ路地を、一人の男が剣を背負い進む。


「暗いな……」


 このところ、切り裂き魔というものが流行っているらしい。


 男の脳裏にそんな言葉が思い出される。


 なんでも剣を持つ人間に襲い掛かっては、命を取り上げていく。その死体は無惨に切り刻まれ、その上所々肉と骨が溶け堕ちているのだという。


 だが、そんな話などただの噂話。

 男はどこか他人事のように路地を進む。この道が1番の近道なのだ。結局切り裂き魔なんていうのはただ弱者が過大に扱ってびびってるだけのしょぼい奴だというのは相場が決まっている。


 彼はなにせ紫階級の冒険者だ。腕には自信があった。


 もし遭遇したとしても返り討ちにしてやる。

 切り裂き魔が女だったらラッキーだ。襲われて倒し返せば、なんでも言うことを聞かせられるかもしれない。


 まあ、そう簡単に会う訳が――――


「お兄さん、いい武器背負ってるわね」


 路地に響く甘い声。


 脳に直接流れ込んでると錯覚するほどの、しっとりとした声。決して大声ではないのに、何故だか意識がそちらへ傾く。


「……誰だ?」


 声に応じるように、暗闇から這い出てきたのは息を呑むほどの美女だった。


 銀色に輝く美しい髪に、黄色く光る眼。


 男はゴクリと唾を飲み込む。

 が、すぐに異物が目に飛び込んでくる。彼女の持つ、不思議な形の剣が。

 確か東の方で作られるとか言う刀……とかなんとかだったか。


「……噂の切り裂き魔ってやつか?」

「あらご名答」

「おいおい、とんねもねえ美女じゃねえか。テンション上がってくるねえ」

「嬉しいわ。……ねえ、背中の武器見せてもらえる?」

「はっ、やなこった」


 男は背負っている剣を握り、引き抜く。


 戦闘が始まることは空気が教えていた。


 切り裂き魔のもつ、触れているだけで気がおかしくなりそうな何とも言えない瘴気。気味の悪い予感。吸い込まれそうだが、長年の経験が男を何とか戦闘態勢へと移行させる。


「美人といちゃつくのも楽しそうだ」

「あら、願ったり叶ったりね」

「力で屈服させてやるぜ。俺を襲ったことを後悔するんだな。雷―サン―――――……えっ?」


 ジュゥ……。


 瞬間。

 男の右腕は溶け始めていた。

 皮が、肉がただれ、白い骨が剥き出しになっている。


 ――いつの間――


「あぁ……ぁぁぁああああああ!!!」


 女は光悦した表情で自分の顔を撫でる。


「いい声ねえ……ぞくぞくしちゃう」

「てめぇ……くぅあ……」


 男はあまりの激痛に座り込み、涙と汗を垂れ流して必死に痛みに耐える。


「あら、さっきまでの元気は?」

「うぐっ……! んなもん……これくらい……!」


 必死の形相で男は立ち上がる。

 しかし、その努力も空しくその次の瞬間には、さらに左腕が溶け始める。


「ぐぁぁあああああああ!!!」


 路地に男の叫び声が響く。


 しかし、男の叫びなど気に求めず女はカツカツと足音を立て男の前まで歩くと、落ちた剣を取り上げる。


 それをじっくりと眺め、ぺろりと舐める。


 しかし、眉を顰めてため息を漏らす。


「はぁ…………ハズレ。リドウェルなのは確かなのだけど……残念、そう簡単にいかないものね」


 女は飽きたように武器を放り捨てる。


 そしてまるで興味を無くしたように、女の顔は冷たく曇る。


 ――あ、死ぬ。


 男がそう思った時には、すでに刀が男の体を貫いていた。

 噴き出した血が路地の壁を赤黒く染め、女は顔に付いた返り血をねっとりと手でふき取る。


「溶けて溶けて、ぐじゅぐじゅになったら、きっと気持ちいいわよ」

「――――」


 それっきり、男が動くことはなかった。


 路地にはコツンコツンとまるで陽気な甲高い足音。


 女の後ろ姿は、路地の闇へと溶けるように消えていく。

 


 ――これが、五人目の犠牲者である。

 


 

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