11_#2



「リビングデッド連続殺人事件の捜査が拡大して、暴人課は不審な人物への警戒の呼びかけを多方面に広げています。警視庁の暴人課と繋がりのあるいくつかの交番や警察署へは、特殊対策班の班長が直接出向いて情報提供の協力を要請する必要があるんですよ」


 車が発進し始めて間もなく、蛭間は助手席のシートに寄りかかりながら足を組んだ。真実也はハンドルを操作しつつ口を開く。


「一斉に協力を呼びかけた方が、効率が良くて班長の負担も少ない気がします」

「警視庁における暴人課は、全国の警察本部における暴人課とは少し質が異なるんですよ。警察本部の暴人課は生活安全部に置かれているのに対し、警視庁の暴人課は公安部に設置されているのがその証拠にね。警視庁の暴人課は日本最大規模、公安が取り扱うような極秘情報も取り扱っているから、無闇に外部の警察本部と連携を取ることが許されず、取れたとしても慎重にならなけらばいけないのだと思います。まあ、数自体大したことないので、そこまでの負担にはならないでしょう」


 言い終えた蛭間に「なるほど」と相槌を打つことしかできなかった真実也は、会話が途切れたとほとんど同時に赤になった信号に気がつき、停車した。


「良い天気だ」


 蛭間は、頭を傾けて窓ガラスから天気を伺った。鼻歌でも歌いそうな調子で言い放った蛭間の言葉に、真実也は瞬きをする。


「そうですか?」

「雨じゃなければ、私にとっては十分良い天気だよ」

「雨、お嫌いなんですか」

「雨は気持ちが沈むからね」


 真実也は蛭間から渡された飴玉の包みを受け取ると、停車の隙に窓の外を見た。晴れというには曇っていて、曇りというには明るい。やはり、決して良い天気とは言い難かった。



「確かに受け取りました。では」

 

 4件目の警察署をめぐり、署長の捺印が押された書類を受け取った蛭間は軽く敬礼して所長室を出た。「田中」と朱肉で記された押印を見て、廊下を歩きながら蛭間は真実也にささやいた。


「この苗字なら、その辺で判子を買って押してもよかったですね」

「何言ってるんですか」

「冗談です。こんなハンコなんかより自筆の方が良いと思っただけですよ」


 書類をひらひらと真実也に見せながら、蛭間は目を細めて微笑んだ。真実也は眉を下げて息を吐く。


「ところで蛭間さん、要請先はここの警察署で最後ですか?」


 蛭間は真実也の方へ顔を向けると、前髪の隙間から瞳を覗かせながら口を開いた。


「ええ。でもまだ帰りません。少し寄り道に付き合ってくれませんか」


 寄り道?そう聞き返した真実也に、蛭間はもう一度「寄り道」と言葉を繰り返すのだった。



 目的地に到着するまでにそう長くはかからなかった。10分ほど車を走らせ、手近な駐車場から降りて河川敷を数分歩いた先にあったのは、こぢんまりとした一件の交番だった。立ち止まった蛭間に合わせるように、真実也も足を止めて交番の中の様子を伺う。


「どうされたんすか」


 室内のデスクで帳簿をつけていた一人の警官が顔を上げた。年齢は真実也とそう違わない、若い警官だ。警官は気の抜けた四白眼で二人を捉えると、デスクから別の帳簿を持ち出し蛭間達の立っている入り口まで移動した。蛭間は警官に挨拶をしてから警察手帳を掲げて微笑みかける。


「公安部の蛭間です。班長は今、留守かな」

「あ、班長ならさっき......って、公安?公安の人がどうして」


掲げられた警察手帳を二度見した男警官は頭をかきながら、蛭間とその後ろにいる真実也に視線を移し、もう一度警察手帳に視線を戻した。


「まったく。"ホウレンソウ"がなってないな」


 背後から聞こえてきた声に、真実也は振り返る。交番入り口の扉のへりに手を置いて立っていたのは、年齢三十代半ばほどの一人の男警官だった。警官は真実也と目を合わせると、挨拶がわりに短い片眉を少しつり上げて微笑み、その後に蛭間に視線を移す。蛭間は頭を傾けながら微笑んだ。


「来るときは、一報くらい寄越したらどうだ」

「お久しぶりです。可愛い元部下が遊びに来ましたよ」


"元部下"。蛭間の発したその言葉に真実也は困惑しながら、室内に入ってくる男警官を通しながら見つめる。短めの黒髪と優しく開かれた琥珀色の瞳。男警官は蛭間の言葉に声を立てて笑うと、先ほど二人を出迎えた若手警官の方を向いた。若手警官は真実也と同様に状況がうまく掴めていない様子で、真実也と顔を見合わせる。


「真実也君、こちらは木場こば 警部補だ。私のかつての上司だよ」

「蛭間さんの部下の、真実也基と申します」

「マミヤハジメ?」


 敬礼をしながら木場と呼ばれた警官に挨拶をすると、木場は真実也の名前を聞くなり向き直った。琥珀色の瞳で数秒見つめられた真実也は居心地が悪そうに身じろぐ。


「あの……?」


 素朴な雰囲気の男だが、こちらを捉える瞳の奥に底知れぬエネルギーを感じ、真実也は身震いを抑えた。


「ああ悪い。可愛がっていた部下が部下を連れて顔を出すもんだから、感動してね。俺も歳だなぁ〜って」


 木場は頭をかきながら朗らかに声を出して笑うと、「よろしく」と言って真実也に握手を求めた。


 「......で、だ。どうせ仕事をサボってここに来たんだろう?顔を出してくれたのは嬉しいが、こっちにも仕事がある。悪いがあまり長く相手はできないぞ」

「ええ。五分もお邪魔しないつもりです。真実也君はここで待っていてください、昔の上司とサシで話したいんでね」



 交番の外に出て立ち話をする蛭間と木場の背中をガラス越しに捉えながら待機をしている真実也に、ふらりと近づいてくる警官の姿があった。


「アンタ、木場さんのことなんか知ってる?」

「え?」


 振り返ると、恐る恐る、と言った様子で佇む、交番で最初に出会った若い男警官が立っていた。


「あ、いや。別に何ってワケじゃないけど。俺、木場さんが前は別の部署にいたって話を聞いてたんだけどさ、何処かは一切話してくれねんだよ。で、さっきアンタたちが公安の人間だってわかったんで、もしかしたらアンタ達と同じ公安部にいたのかな〜って」


 警官の話によると、木場はつい最近この交番に配属されたらしい。以前いた部署での話やどのようなことをしていたのか、それについて尋ねても、はぐらかされてしまうのだという。


「僕もあの方とは今日初めて会ったんだ。だから何も知らないな」

「ま、やりとり見たところそんな感じだったよなぁ。公安部って何してんだ?」

「それは......」


 真実也は視線を宙に泳がせながら次の言葉を探す。蜘蛛の巣が張った天井を見つめながら口を開こうとした瞬間、真実也ははっと我に帰ったように息を飲んだ。


「いや、公安部の職務内容は極秘だ。教えることはできないよ」

「ちぇ。ま、そうだよな」

「正解」

「ああ、よかった......うわっ」


 胸を撫で下ろした束の間、声の聞こえた右隣には首を傾けて微笑む蛭間の姿があった。さっきまで外で話していたのに、いつの間に。真実也は声をあげて一歩後ずさった。


「今の質問には答えないのが、公安としての正解ですね」


 蛭間より遅れて、木場が気さくな笑顔を向けながら入り口から入ってくる。


「トップシークレットってやつだな。もし言ってたら、二人ともまとめて消されてたかもなぁ。あっはっは」

「ハハハ」

 

 冗談めかしく笑う蛭間と木場の様子を、男警官と真実也は未だ高鳴る心臓の鼓動を抑え、顔を見合わせた。


「笑えないっスわ」



「やっぱ公安部ってなると、オーラが違ぇな〜」


 蛭間たちが立ち去った後、静かになった交番で平塚は頬杖をつきながら呟いた。向かい側のデスクに腰を下ろし、書類の整理をしていた木場は「そうだな」と返答する。平塚はじとりと木場の方を見ると、頬杖をやめて前のめりになった。


「とか言ってますけど、木場さんあの人の上司ってことは元公安ってことですよね?オレそんなの初耳っすわ〜。何者なんすか、ホントに」

「大したことじゃない。公安の仕事が向いていなくて、戦力外通告で飛ばされた。それだけだよ」

「へぇ、公安の人間でも飛ばされることってあるんスね」


 木場は眉を下げて困ったように笑った。


「そりゃあな。ま、でも正直、こっちの方が休みが取れて助かってる。妻と過ごす時間も増えるし」

「相変わらず奥さんラブっすね〜。オレが知ってる木場さんの情報、それぐらいしか無いっすよ」

「はは。探ったって何にも出て来やしないさ。そんなことに時間使うくらいなら、遺失届の整理を少しでも進めてもらいたいもんだ。な?」


 木場が二本指で軽く指した先にあった資料が目に留まった平塚はゲッと声を詰まらせると、そそくさとまだ終わっていない書類の整理をし始めた。木場はその様子を愉快そうに見遣った後、デスクの引き出しをそっと開けた。


 小さな額に飾られた、一枚の集合写真。中央に座り腕組みをして微笑む木場の周りを囲むように、四人のスーツを着た男女が笑顔で写真に収まっていた。



 ものの10分にも満たない滞在時間を経て、蛭間と真実也は交番を後にした。警視庁へ向かう車内で、真実也は助手席でキャンディを咥える蛭間にチラリと視線を向けながら尋ねた。


「お二人がお話している間、木場さんは異動してきたのだと警官の方から聞きました。以前は公安部にいらっしゃったんですか?」

「ええ。彼はかつての私の上司であり、『木場特殊対策班』の班長でした。ちょうど私と、真実也君のようにね」

「そ、そうなんですか。あの......」


 果たして聞いて良いものなのか。真実也は一瞬迷いを見せたものの、交差点の信号機が黄色に点灯しブレーキを踏んだ続きに、口を開いた。


「木場さんはなぜ、特殊対策班員から交番勤務に?」


 停止したことで真実也の体が前方に傾く。2秒ほどの沈黙の後、蛭間は答えた。


「異動は本人の希望です。特殊対策班は体力的にも精神的にも、負担の大きい仕事ですからね。大体の特殊対策班員はある程度キャリアを積み、自身の体力の限界を感じたら別部署に異動するケースが多いんですよ。そう考えると、安田警部のようなタイプは特別ですが」

「な、なるほど」


 蛭間は溶けて一回り小さくなったレモン色のキャンディを光に透かしてみる。角度を変えて陽の光に照らされた飴を眺めながら蛭間は言った。尋ねるのに多少勇気のいる質問だったが、蛭間の反応は殊の外あっさりとしていたことに真実也は意外だと驚く反面、内心胸を撫で下ろしていた。


「公安警察と交番警察。なかなか顔を合わせに行くのも一苦労ですから、今日ああして部下を紹介できただけでも私はよかったと思ってる。本当はみちる君も連れてきたかったくらいなんだけれど」

「確かに、嬉しそうにされていましたよね」

「ふふ。部下の成長は嬉しいものさ」


 「青だよ」前方を一瞥してそう告げる蛭間の声に真実也は慌てて前を向くと、アクセルを踏んで発進する。蛭間の声色はいつもよりどこか軽く、少し機嫌が良さそうにも聞こえた。


* * *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る