08_#4



「お前はどう思う」


長い廊下を進む途中、安田がぼそりと呟いた。蛭間は微笑みながら首を傾げた。


「はぁ。何がでしょう」

「とぼけんな。河内の証言についてだ」


蛭間は安田に睨まれても臆さず、掴みどころのない笑顔を浮かべている。前を見て歩きながら、考える素振りを見せて口を開いた。


「なんともいえませんね。ですが、私が彼を捕らえた時の彼の特徴──瞳孔散大、墨色の血液、高温の体。加えて高い身体能力……理性を保っていること以外、その特徴は完全に暴人のものと一致していました」

「“理性を持つ暴人”ってやつか。暴人化初期症状を一度抱えた人間がこう何日も生きてるなんざ、聞いたこともねぇ。殺人衝動云々は知らねぇが、変な薬を打たれたってのはあながち間違いじゃねぇのかもな」


すっかり日は暮れ、窓の外は建物がシルエットになるほど暗くなっていた。すでに点灯している街の灯りを、蛭間は歩きながら眺めていた。


「あと問題なのは、一体誰が何のために血文字を残させたのかだが……」


首の凝りを解しながら考える安田は、前を向くや否や言葉を詰まらせた。嫌なものを見た、というような様子で「あれは……」と呟く。


廊下を進んだ先にあるのは、暴人課の飲食スペースだ。壁沿いには電子レンジやポットが備え付けられており、壁沿いにずらりと大量に並ぶ自動販売機には、豊富な種類の飲み物の他に軽食が買えるようになっている。暴人課の食堂とも呼ばれるスペースの一つのテーブルに、長い腕を振り回して大声を張る人物がいた。


「安田さん安田さん!おかえりなさぁーーい」


安田特殊対策班、能木一七子が、冷凍食品のパスタを口にかきこみながら笑顔で手を振っている。


「……手のかかる部下ってのも問題だな」

「ふふ。手のかかる部下は、得てして可愛いものです」

「他人事だと思いやがって」


面倒くさいものを見るような目で彼女を見る安田に対し、蛭間は能木の向かい側に座っている部下、真実也基に気がついた。何故だかげっそりとした様子である。二人は歩行スピードを緩めることなく、二人の座っているテーブルに近づいた。


「オイ。大声出すな、共有スペースだろうが」

「すみませんでしたぁ。あとあと、安田さんからもらったお小遣いまだちょっと余ってるんで、何か奢ったげますね!半分ずつっこ、しましょうよ〜」

「俺の金だろ」


口の周りにケチャップをつけた能木は、にこにこと屈託の無い笑顔を向けながら小銭を安田に見せた。


「何が良いですか?アイスですか?能木ィ、アイスが良いな」

「ああもう、わかったから好きなの買ってこい」


手にソースがついた能木は、そのまま自販機に走って行った。嫌な予感を察した安田も溜息をつきながらついて行くと、テーブルには真実也と蛭間が残される。蛭間は楽しそうな笑みを浮かべながら、明らかに先程より疲労困憊している真実也に目を向けた。


「おや。仲良く軽食ですか」

「僕はたまたま通りかかっただけです。班長が来るまで寂しいから、話し相手になって欲しいと……」

「それで一緒にいてあげたんですね。なかなかお似合いじゃないですか」

「やめてください」


真実也は勢いよく立ち上がり、余裕の無い剣幕で訴えた。


* *


「どこに行くんですか?」

「特殊鑑識班のところに行きます。せっかくですし、君もどうです?」


安田班と別れたあと、二人はエレベーターに乗り込んだ。入るや否や下の階層を示すボタンを押した蛭間に気がついた真実也は、拒否権が無いことを察し苦笑いをうかべる。


「特殊鑑識班。通称“特鑑”は、いわば暴人の研究施設のようなもの。実際特殊対策班は、暴人に関する知識をつける目的以外ではあまりお目にかかりません」

「では今回の目的は……先ほど話していた、河内奏太の精神鑑定と精密検査の件ですか」

「ええ、その通り。その件で少し心配になりまして。なにせトッカン(特鑑)の方達は、私たちとは違って戦闘はからっきしですから」


エレベーター特有の足元が歪むような感覚に、真実也は少し目が回った。

しばらくすると、エレベーターが停止音をたてて止まった。静かに扉が開くと、白を基調とした清潔感のある、それでいて無機質な雰囲気の廊下が続いていた。通路の脇には観葉植物や、M細胞や暴人のポスターが貼られている。


「なんだか、真っ白ですね」

「……真実也君」


蛭間に続きエレベーターから降りた真実也が一言感想を漏らすと、前で歩いていた蛭間がピタリと足を止めた。蛭間は右手で進もうとする真実也を制し、左手の人差し指を突き立て、顔の前に持っていく。真実也の方へ体を向けたまはま、視線だけを廊下の奥へ向けた。


「なにか聞こえる」


蛭間の言葉に、真実也は息を殺して耳をひそめた。廊下の奥が、何やら騒がしい。


突然、廊下の突き当りから誰かが飛び出してきた。白衣を着た研究員らしき人物は、蛭間達に気がつくと叫んだ。


「ひ、蛭間さん!」

「……押野君じゃないか」


特殊鑑識班、押野匠(おしの たくむ)は、癖毛が特徴的な20代半ばほどの男性だった。彼は血相を変えて助けを求めるように蛭間に駆け寄ってくる。ただ事では無さそうな事態を察した蛭間と真実也は、顔を見合せるとすぐに歩み寄った。


「何があった?」

「かわ、かわわ……」

「落ち着いてくれ」


ぜーぜーと息を切らしながら項垂れる押野を、蛭間は覗き込むように屈んで尋ねた。


「かわち、そうたが……」


声をふりしぼり、押野が顔を上げた直後。

奥から一際大きな物音と悲鳴が上がった。真実也は、押野の口から河内奏太の名前を聞いた瞬間、懐から愛銃を取り出す蛭間に気がついた。


「河内が、暴人化しました……!ブラック・アウト(理性喪失)を起こして、暴れています」


押野がそう言い切る前に、蛭間は鬼の形相で廊下を進んで行った。彼の放った心臓が握られるような強い殺気に押された真実也は、一呼吸遅れて蛭間について行った。


***


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