06_#4



悲鳴が聞こえ、人々がこちらに逃げてきた数秒後。路地の手前で寝ていた酔っ払いの男が路地裏に引きずり込まれるのを、ノトは見逃さなかった。皿に乗った三本の団子をむんずと掴んで口に入れ、逃がすまいと“それ”の後を追う。


空からの光が申し訳程度に差し込む路地裏は薄暗く、埃のかぶった室外機や正体の分からない数多の管が、建物の壁に這うように伸びている。足を踏み入れる度に数匹のネズミの鳴き声がする。ノトは足元に転がるゴミを蹴散らしながら、赤い目をギラギラと光らせて気配のする方へ進んで行った。しばらく進むと、男のくぐもった苦しそうな呻き声が聞こえてくる。


「おうい、だ、だ、誰か!」


ノトは路地裏の突き当たりに差し掛かった。背中を向け、酔っ払いの男に覆い被さる人物をノトは捉えた。覆い被さられた酔っ払いは真っ赤な顔で興奮し、回らない呂律で喚き散らしている。コートのようなものを着た人物はノトに気づいていないのか、息を荒らげながら振り返ることなく腕を振り上げた。右手には金槌のようなものを持っている。


すかさず、ノトは先ほどまで口に入れていた団子の串を、腕を振りかぶるようにして投げた。ノトによって投げられた軽い竹串はビュン、という音を立て、放物線を描く余裕もないほどの速度を帯びて飛んだ。針同然の凶器と化した竹串は、真っ直ぐ謎の人物の手の甲に突き刺さる。


ギャッ、と悲鳴を上げた人物はようやくノトに気がつくと、どこからともなく取り出したものを地面に投げた。たちまち、もくもくとそれは白い煙を上げて広がる。ノトは湧き上がる煙花火の煙をかき分けて進み、ショックとアルコールで気絶している酔っ払い男の首根っこを掴んで、引きずっていった。謎の人物は煙に紛れながら、路地を通って姿をくらました。



ミフネとみちるが悲鳴の聞こえたその場に到着した時には、頭から血を流した若い女性が、尻もちをついていた。腰が抜けてしまっているようだ。その女性の視線の先には、同じく若い女性が立っている。蒸気を出し、体内からは不気味な鈍い「ボコボコ」という音を響かせている。腹の中が苦しいのか、女は恐ろしく低い呻き声を上げながら蹲る。周囲は、恐怖でその場から動けなくなった人や、店の奥に逃げていく人の様子が見て取れる。

ガンケースに手をかけたみちるの手を、ミフネは静かに制した。


「ここは私が。貴方は周囲の安全確保と、規制をお願いします」

「わ、わかった」


姿勢良く、堂々と。ミフネは静かに女に歩み寄った。嵌めている黒い皮のグローブを引っ張ると、胸ポケットから小さな小瓶と白いガーゼを取り出した。


「大丈夫。五秒で……終わります」


決して焦る様子はなく、品のある低い声で暴人に語りかけたようだった。ミフネはインカムに一瞬手を当て何かを呟くと、歩くスピードを徐々に速めていった。ミフネに気がついた暴人は目から墨色の血液を流し、荒い息でミフネに威嚇をした後、雄叫びを上げて襲いかかった。


「あっ!」


血を流した女性を保護した後、みちるはすぐ数メートル先で起きている光景に驚き、思わず声をあげた。どこからともなく飛んできた長く細い針のような物が、暴人の首に刺さったのだ。


針は数秒暴人の首に刺さったあと、ぽろりと地面に落ちた。暴人は少し痒がる程度の反応しか見せなかったが、その際に体制を崩し、大きな隙が生まれた。

ミフネは小瓶の液体を数滴ガーゼに浸す。瓶を上着のポケットに戻すと、そのまま勢いよく暴人の懐に入り込んだ。暴人が体制を整えようと立ち上がる頃には、すでにミフネはガーゼを暴人の鼻と口を覆うようにして押し当てていた。暴人がミフネに襲いかかってから、ほんの数秒後の出来事だった。


みちるのレモン色の瞳に焼き付けられる。ミフネは静かに数を数えはじめた。


「一、二」


ガーゼに顔を覆われた暴人は、大きく息を吸い込む。


「……三」


息を詰まらせ、開いた瞳孔が静かに眼球の裏を向く。それでもミフネは目を伏せ、数を数え続ける。


「四……五」


繁華街は、真空のような静寂に包まれた。暴人はもう動いていない。自身の腕の中で音もなく静かになった暴人の瞼を、ミフネは深呼吸をしてからその手でそっと閉じた。

みちると周囲の人々は息を殺し、その光景に目を奪われていた。


「……こちら、蛭間特殊対策班。御舟善次(ミフネ ゼンジ)特任警部補佐です。15:06、西区繁華街にて暴人化した女性を“解放”しました。確認可能な負傷者は一名です。救護班と回収班は直ちに負傷者の保護……並びに遺体の回収をお願い致します」


携帯端末からの連絡を終えたミフネは丁寧に暴人を横たわらせ、暴人の頬に伝った血液を拭う。慈悲に満ちた表情を浮かべたまま、懐から新しく出した白いハンカチを顔の上に乗せると、ミフネはようやく立ち上がった。

ふと、みちるは鼻腔をくすぐるさわやかな香りに気が付いた。暴人の死体から香っている不思議な香りに、みちるは首を傾げた。


突如。路地裏からいきなり、男が乱雑に通路に投げ飛ばされた。


「な!」


泣き崩れる女性の背中をさすっていたみちるは、それに気づき思わずぎょっとする。真っ赤な顔をしたその男は気絶しているのか、痛がる様子もなく地面に寝転がっていた。やがて暗闇から、竹串を一本咥えたノトが姿を現した。彼女はどこか煙っぽく、オレンジ色の頭には蜘蛛の巣が絡まっている。


「ノトさん?」



正体がノトだと分かったみちるはホッとしたのも束の間、今まで一体、どこで何をしていたのだと疑問を抱いた。そしてしばらくして、暴人の傍に落ちていた針のようなものが、団子の竹串だったことに気がつく。


「の、ノトさん!」


ノトを見つけるや否や、先ほどまで凛としていたミフネの態度は一変した。眉を下げ、今にも崩れ落ちそうな態度でノトに駆け寄った。ノトの目の前に立つと、長い足を折り曲げてしゃがみこみ、視線を合わせる。

現場は市民の通報により駆けつけたパトカーで更に騒然としていた。


「いやぁ〜、助かりました。お力添えありがとうございます。ノトさんは本当にお強いなぁ。まさか竹串をも、凶器に変えてしまうなんて……」


ノトは腕を組み、ミフネの言葉にひたすら頷く。


「私もう、本当に怖くて怖くて。ノトさんがいない状態で暴人に遭遇した経験が無いものですから。……えっ、なになに」


腕を組んでいたノトは、何かを説明するように身振り手振りをした。ミフネはそれを頷きながら聞いていたかと思うと、勢いよく両手で口元を覆った。


「『良い“解放”だった』……?ノトさん!そんな、私!恐縮です」


声にならない声を発したミフネは、感慨無量といった様子でノトを尊敬の眼差しで見つめる。ノトは小さな手で、ミフネの肩に手を置いて励ますように頷いていた。


「あ、あのさ。取り込み中でゴメンなんだけど」


体の後ろで手を組みながら、みちるは2人に恐る恐る話しかけた。


「ああ、みちるさん。失礼致しました」


みちるに気がつくと、ミフネはハンカチで涙を拭いて立ち上がった。相変わらず見上げるほど背が高いなと、みちるは改めて感じた。


「そう言えばみちるさん。先ほどの質問の回答がまだでしたね。私が使う武器、お教えします」


みちるはそう言われると、あ。と甘味処での会話を思い出した。ミフネは丁寧な手つきで、懐から小瓶を取りだした。暴人を“解放”した際にも使用した、透明な液体が入った小瓶であった。


「私、暴人があんなに一瞬で“解放”されるところ初めて見たよ」

「ええ。本当に一瞬。しかも苦しむことなく眠るように」

「これって……?」


小瓶を揺らしながら、ミフネはにこりと微笑んで答える。


「対暴人用の、猛毒です。私が丹精込めて作りました。ガーゼに適量を染み込ませ、鼻と口に押し当てるだけで、暴人に苦痛を与えることなく“解放”することができます。『痛くない“解放”』が、私のモットーなのです」

「この匂い……」


みちるは驚きつつも、小瓶を取り出したミフネから香ってくる甘い香りに気がついた。


「ああ、白菊のエキスを注入して作っているので、その香りですね。か、嗅いでも害は無いのでご安心を!」


毒を吸ったかもしれない、と慌てて息を止めだしたみちるを見たミフネは、慌てて言葉をつけ加えた。みちるは無害だと分かると、安堵のため息をついた。


「でも、すごくいい香り」

「『暴人に菊は添えられぬ』……昔からある言葉です。彼らへの、せめてもの手向けにと思いまして」

「暴人への、手向け……か」


そう言ってミフネは静かに微笑むと、小瓶を丁寧に上着の内ポケットにしまった。ノトはコクリと、腕組みをしながら一度だけ頷いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る