8月10日(火)【18】2台のマウンテンバイク

 旅にそなえて朝9時までたっぷり寝た。


 ひさびさに夢を見た。化粧をしたお姉さんが螺旋階段をのぼる夢。

 ぼくは階段の下からさけんだ。声に気付いたお姉さんは、太い柱から左手をはなして右手でつかみなおす。

 ぼくの姿に気付いて、途中までのぼった階段をくるくると降りてきてくれる。


 お姉さんは泣いているようにみえた。

 パラパラと降る涙は螺旋をつたい、ぼくの左手にしみこんだ。


 寝すぎたせいで、頭蓋骨がふくらんで痛い。


 出発は13時。ケイタをエリカさんに会わせるつもりはなかったし、会えたとしても迷惑だと思ったのでお昼に到着するよう計画していた。

 ケイタはおそらくキャバ嬢とホステスの違いも理解していないので、出勤時間のことなど知らないだろう。


 勉強机の引き出しからお札専用財布を取り出し、千円札を二枚抜き取ると、普段づかい用のマジックテープ財布にしまう。

 タンスからできるだけ白いタオル2枚と着替え用のTシャツ1枚を取り出す。

 地図帳、ポケットティッシュと一緒にリュックに入れたら、お茶と氷を魔法瓶にそそいで、デジタル式腕時計を左手首に巻く。

 白のぺちゃんこ帽子を内側からのグーパンチで3Dに戻したら、セミがジリジリする夏の玄関へ。


「この道を真っ直ぐ?」

「そう。危ないから前見ろ」


 先頭がケイタ、ぼくは後方。2台のマウンテンバイクは校区を抜け、はじめて見る建物の谷を走る。


 繰り返す段差にお尻がはずむ。角を曲がり一段下の車線へ。


 足をペダルに押し付けながら上体を逆方向へ傾け、また傾け、シーソーのようなハンドルの揺れを、前のケイタにシンクロさせる。

 段差のないアスファルトコースで距離を縮めながら高速回転する24インチタイヤ。


 ピカピカに反射する黒い鏡コースに突入すると、鏡の中のマウンテンバイクは紙のように折れ曲がった。


 中央分離帯エリアに入るとセミの音がガクンと減る。


 赤。

 横断歩道の距離から信号の長さを予測し、いそいで魔法瓶からキンキンの水分を補給。コップの残りを地面とスネにたたきつけて、フタを締める。

 右手を見ると車たちの先頭に3台、バイクが並んでスタート合図を待っていた。


 隠すつもりのないエンジン音が夏のアスファルトをワウンワウンと揺さぶっている。

 右の赤信号の矢印マークが消えると、カコンと2回機械的な音がした。


「あきふみ、見とけよ。一番手前のバイクが勝つから」

 青。

「(ブオーーンカッ、ブイーーン......)」


「ほんとだ」


 ケイタの宣言通り、手前の前傾バイクはすぐに見えなくなった。そのあとをケツでかミニ車輪バイクがぶるぶるエンジン音で追いかけていく。一番後ろ、車の先頭を、背もたれ付きカマキリバイクがゆっくりと走っていった。


 ケイタにつづいてカチカチとギアを2段階落とし、走り出す。


 一度も休憩を挟まず目的地の最寄り駅に到着した。


 ここからは前後交代。名刺の住所を頼りにお店を探す。


 光のついていない無数の看板が、左右の建物から競うように突き出している。絡まる様に真横を向かされた長方形の葉っぱたちを、一つ一つ確認して進む。


 道の先はるか向こうに、ビルが1本棒立ちしている。


 あのビルは、なにを吸ってあんなに高く伸びたんだろう。


「ケイタ、ここだ」

 両手で押していた自転車の右ブレーキをかける。


 隣の壁との距離約1メートル。灰色のおそらく5階建てビル。


「とうちゃーく」

 ケイタの声に昼の繁華街は反応しない。


 前からきた軽自動車を見送って、道路の右側に移動。到着したはいいがこれからどうしようか。


「よしっ。入ろう」

「マジか」


 こういうときにバカは強い。

 何事にも無関係のケイタはマウンテンバイクを停めると、チェーンもかけずにガラス扉を開けて入っていった。


「やっぱこわい」

 出てきた。


 とにかくお茶を飲もうかとほうじ茶を飲んでいると、一人の若者がこちらへ向かってくる。そして、ぼくたちの前で止まった。


「どうした。なんか用か」

 こわい。


「あの、すみません。知り合いのお姉さんがここで働いていまして」

「おう」

 芸能人のような髪型だ。若者の威圧が少し弱まった気がする。


「エリカさんって今日出勤されますか」

 ケイタの顔を横目でみると、モードだ。


「エリカ、わからんな」


 ぼくは急いでマジックテープ財布から名刺を取り出すと、ミスに気付いた。


「あっ、えーと。レイチェルさんです」

 源氏名というやつだ。


「それ見してみ」

「あっ、どうぞ」


 若者に名刺を渡すと「この店であっとる。ああ、せや、もうだいぶ前にやめた人や。たぶんやけど」といった。返された名刺を受け取る。


「えっ。だいぶん前ってどのくらいでしょうか?」

「俺が入った頃やから、2年くらい前かな」

「そうですか。ありがとうございました」


 頭を下げると、ケイタにと目線を送り、マウンテンバイクのスタンドを蹴り上げた。


「あいつまだ2年目やから、他のホステスと勘違いしたんかもしれんぞ」


 先頭を走るケイタがハンドルから両手を離して、バランスを取りながら胴体ごと振り返る。


「かもしれない運転やめろ。前、向け」

「なんだ。かもしれない運転って」

「安全運転」

「安全ならいいやん」

「いや、この場合は逆に事故るかもしれないからやめろ」

「オッケイ」


 エリカさんは2年前にお店をやめた。もしかしたら、そのあと別のお店にうつって、ぼくにくれた名刺は不要になった方だったのかもしれない。お金は持っていないし、そもそもお酒を飲める年齢でもない。高揚していた汗は歩道へと落ちる。


「デパートいこうぜ」

 ケイタはさっきと変わらない。

「いいよ」

 ぼくはその後ろを追いかける。


 デパ地下でほとんどの試食品を試したあと、一度も試していない200円の抹茶ソフトクリームを購入して、座って食べた。


「帰り道にでっかいゲームセンターあるから寄ろうぜ」

「おう」


 ケイタはゲームセンターでこそ力を発揮した。ぼくは勝ち続けるケイタのプレイを、後ろから眺めていた。

 ぼくも最後に1度だけ、UFOキャッチャーに200円を吸い込まれて、店を出た。


 いつもと違う空で、太陽がオレンジに変わろうとしている。

 家までずっと、ケイタが先頭だった。

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