8月8日(日)【16】タイムマシンは乗り心地がわるい
「わたし乗りたいやつあるんだけど、いい?」
エリカさんの手に引っ張られてたどり着いたのは、タイムマシンの車で空と時空を飛び回るアトラクション。
すでに1時間待ちの最後尾に並んだ。キヨの携帯に18時頃、キヨ母から電話が入る予定だったので時間はたっぷりある。
「二人ともこの映画みたことある?」
「はい」
この映画はぼくもロードショーで見たことがあった。
「いえ」
キヨが答える。
「キヨフミくん観たことないんだね。じゃあストーリー教えてあげるね」
そういうと、エリカさんは解説をはじめる。
「それでね、30年前のお母さんに会ったんだけど、お母さんは未来の息子、つまり主人公のことを好きになっちゃうの。でもお父さんを好きになってもらわないと、自分が生まれてこないことになっちゃうから......」
「それは大変ですね」
キヨはきちんと聞いている。
「キヨフミくんのお母さんの名前はなんていうの?」
「さやかです」
キヨは簡潔な言葉と、その言葉以上の表情を付け足して返す。
「それで、もし30年前のさやかちゃんがキヨフミくんに『好きです』って告白してきて、おまけにチューされちゃったらどう思う?」
キヨはしばらく考えて「うれしい、ですかね」と答えた。
「えー。そうきたか。まあそうなのかな。うん」
予想していた答えと違っていたようだが、エリカさんの声は弾んでいる。
「でもキヨフミくんのことを好きなままだと、お父さんと結婚できなくなっちゃうけど、どうする?」
「それは仕方ないですかね。どうせそのあと別れますし」
「あっ......」
一瞬の沈黙。スピーカーから繰り返されている陽気な吹き替え声が、はっきりと聞こえた。
エリカさんがぼくの顔を見たので、ぼくが知っているキヨの家庭事情を簡単に説明した。それで合っているかキヨに確認すると「そんな感じ」と答える。
「じゃあ今日つれてきてもらったサクさんは、新しいお父さんになる予定の人なんだね」
「まだ決まってないですけど」
普通ならここで終わらせそうな話だったが、時間が有り余っていることもあってか、仕事上慣れているのか、エリカさんはどんどん話を掘り下げた。
キヨはサクさんを嫌いではないこと。しかし、サクさんと再会したころから、母は彼のことを一番に考えるようになってしまったこと。
実は母は学生時代からずっと片想いしていたらしいということ。でもサクさんは元カノとの思い出をこっそり持っていて、いつかよりを戻すかもしれない不安を、キヨは今も抱いていること。
などがプロの手によって引き出された。
「それはタイムトラベルして見に行きたいね」
プロは最終的に、変な結論にたどりついた。
「みたいけど、みたくない気もします」
キヨが気をつかっている。
気が付くと、ぼくたちの番になっていた。
三人は小部屋に案内され、段差をのぼり、レトロなパーツで改造されたタイムマシン風の座席に座る。
注意事項を聞き終わると車体が上昇し、画面向こうの世界では空へと浮きあがる。左へ傾きながら車は右へと転回する。
これはやばいと思った。
マウンテンバイクとは違い、空中では車体を倒した方向と進む方向は関係ないらしい。危険だ。案の定、タイムトラベルに成功したあたりで気持ち悪くなっていたが、なんとか最後まで手を挙げずにすんだ。
建物を出ると、二人は「とても楽しかった」「並んでいなかったらもう一回乗るのに」とはしゃいでいた。そのあとぼくたちは、3つのアトラクションを楽しんだ。
エリカさんのおごりの、甘くて細長いギザギザ棒をかじりながら、休憩。
ぼくが前歯で棒をかじると「ネズミさんみたい」と彼女はいった。
仕方ないなという目でちらりとエリカさんを見て、高速で前歯を動かす。もの凄いスピードで棒をかじり倒した。
彼女は腹の底から、下品に笑った。大人用として一生付き合うことになるこの前歯も、捨てたもんじゃないなと思った。
「では、ぼくはちょっとお土産を買ってきます」
「これ食べたらいくからちょっと待って」
エリカさんは棒をいっきにかじろうとしていたが「ゆっくり食べてください」といって一人で店に入った。キヨは携帯で、おそらく母と電話をしている。
お土産店を一度ぐるっとまわり二週目に入ろうとしたところで、ゆきこがくれたキャラクターを発見した。こいつは全国の土産屋レジ前にいるのだろう。
後頭部側から恐竜の頭にのみ込まれているものが気になる。上アゴがリーゼント、下アゴはエンジン付き本物マウンテンバイクのヘルメットみたいだ。
感情の読めない絶滅はちゅう類の目と、その喉奥から無表情に見つめる量産型の目。
おまえも大変だなという同情心を込めた人差し指を、グイっと上アゴに突っこみ、1匹吊り上げて、レジに置いた。
買い物を終えてベンチへ戻ると、キヨの姿は無かった。
キヨはあの後「母とサクさんと夕食に行くことになったのですが、お二人はどうされますか」とたずね、エリカさんは「せっかくのASJだし夜は三人で楽しまないと」と答えたらしい。
「ダメだった?」
エリカさんは棒を包んでいた紙袋をくしゃくしゃに丸めている。
「全然構いません」
むしろ嬉しい。
彼女はお土産袋ごとぼくの右手をつかんで「もうひとつだけ乗りたいのがあるんだけど、付き合ってくれる?」といった。
夏の思い出をプレゼントしてくれたキヨの新しい家族に、心から感謝をささげた。
〇
「楽しかったね」
「はい」
駅からアパートへの帰り道。ラジオ体操とは逆の細い道。
左手に広がる真っ黒な田んぼの水面に、道路わきの黄色くなった街灯が、ゆらゆらと波打っている。
ひぐらしとカエルがないている。アパートの二階廊下、弱々しい常夜灯のまたたきが薄っすらとみえる。
「キヨフミくん。サクさんのこと、お父さんって呼べるといいね」
「はい」
サクさんがキヨをいい子に育てなおしてくれることを、ぼくは祈った。
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