第八十話 掌中の偽善

白瑛びゃくえい。貴様は新たなる天仙てんせんの候補を探していた。怪異──神の異能に拒絶反応を示さない、純朴そうな犠牲者を見つけ出したからこそ貴様は委哉いさいに接触したのではないか?」

「ええ。その通りです。小戴しょうたい殿は少しもそのことに気付いていないご様子でしたので、ことを運ぶのにはとても都合がよかった」


 その返答が更に文輝ぶんきの横面を殴る。

 文輝を二十四白にじゅうしはくの一とする――というのに嫌悪感があったわけではない。寧ろ、自らのようなものの存在すら白帝はくていには必要なのかと思うと神威の低下の程度に危機感を覚えるほどだ。

 人は集団で暮らす生きものだ。その人の祈りだけが神を神たらしめる。作られた連帯感、調和を強制され生み出される協調性。隣を見比べてその模倣をする。祈りは人々の間で広まり、習慣化した。日常の一部として人はただ祈る。その中で祈りはいつしか概念に昇華した。行動ではなく事象と化した。その実像を誰も見たことがないのに人は誰かに祈る。

 そんな弱く、脆い人間である文輝もまた天仙の素養を持っていた、と子公しこうと白瑛の会話が教える。

 死に戻り、白帝の支配力が低下した状態だ、というのは先にも委哉から聞いた。

 或いは。二十四白の空席を埋める為に誰かがそういう風にことを運んだのかもしれない。あのとき、文輝が死ななかったのは偶然でも奇跡でもない。人の想像からは思いも付かないような、大きな時代の流れに呑み込まれただけだったと知って奇跡というのは起こりえないから奇跡なのだ、と何となくわかったような気持ちになった。

 自分がここにいるのには理由がある、と人は思いたい生きものだ。

 必然である、と思いたいのだ。

 偶然の連続を確率で示して、宿命だったと思えたなら人は自分が思っているよりずっと良い振る舞いを出来る。能力以上の成果を残すことも決して不可能ではない。

 ただ。

 天仙になる、ということは人であるのをやめる、ということだ。人として生きたまま天仙になることは出来ない。そして一旦仙道としての己を受け入れたなら、二度と人に戻ることは出来ない。その不可逆の流れを受け入れるのか。地仙ちせんでもそれだけの葛藤があるのに、天仙ともなれば白帝と命運を共にすることを強いられる。白帝の力が尽きるとき、天仙は皆消失するというのが定めだ。それを覆したものは四方大陸のどこを探しても、決して見つけることは出来ないだろう。

 自ら至蘭しらんに対し、その提案をしたことを忘れていたわけではない。

 ただ。

 ぼんやりと「俺に天仙の素質があるのか」と呟くと白瑛は雨粒の一滴たりとも浴びることがない美しい姿のまま微笑んだ。十分にございますよ。寄越された返答に文輝の思考は停止した。

 美しい女仙にょせんの向こうから、沢陽口たくようこう城郭まちでは随分と世話になった顔がやって来る。

 委哉だ。少年の姿をしているが、彼もまた雨粒を受ける様子がない。


「委哉。貴様たちもそれを知っていたな? 文輝を贄とする見返りとして何を要求した? どうせ多雨の怪異を食らうのを黙認せよ、だとかそういったことだろう」

「そうだよ。あなたたちからすればつまらないことかもしれない。それでも僕たちには必要な条件だった」


 動じることも恥じ入ることもなく、堂に入ったその答えに文輝は――記憶の中では数十年も前に聞いた感触があるが現実にはたった数日前の子公の激昂を思い出す。神と神とのつまらない諍いに巻き込まれた。あのとき、文輝はそれでもいい、と言った筈だ。自らの役割を全うするにはそうすべきだと思った決意が、今、ぐらぐらと揺れる。

 神――白帝に連なる二十四白・白瑛と怪異――土着神である委哉の駆け引きの駒だったのは自分自身だ、と知って揺らがない人間がどこにいるだろうか。


華軍かぐん殿もそのことをご存じだったのですか――?」


 文輝と同じように雨に打たれ、紅の体毛をずぶ濡れにした赤虎せっこが琥珀の瞳をゆっくりと閉じて「いや」と唱えるのをどこか遠くから見ているような気持ちだった。その、たった二音の否定だけが文輝の両膝が崩れ落ちるのをぎりぎりで耐えさせる。

 華軍は知らなかった。華軍と子公だけは文輝の味方だった。純然たる気持ちで、文輝の奔走に付き合ってくれたものが二人もいる。それ以上を望むのはきっと強欲だろう。

 だから。


「委哉。君は多雨の怪異を食ったらどうするんだ」

「どうもしないよ。時々この城郭まちに雨を降らせたりするかもしれない。僕たちへの祈りが少なくなれば、荒れることもあるだろう。でもそれだけだ」


 君たち人間を滅したいとは思ってはいない。

 言った委哉は少しの動揺もなく、彼が心からそれを受け入れているのを伝えていた。

 赤虎が文輝と神々の間で防壁となるように立ち塞がる。琥珀の双眸が大雨の中、鋭い輝きを宿して神々を威嚇していた。

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