第54話 見果てぬ夢

 米国から帰国した当初、敬介は例の『十兵衛兄ィ』の影に怯えて生活していた。しかし、敬介を心配した勲の調べで、その必要が無いことが分かった。


 少し前の新聞記事で、竹中組の若手・安田十兵衛の死亡が報じられていたのだ。十兵衛は、暴力団同士の抗争の犠牲となっていた。

 敬介は罪悪感を覚えながらも、その事実に安堵したそうだ。


 その事件は私も知っていた。中学2年の冬、やはり新聞紙の一角で見つけた。敬介を苦しめた恐ろしい男ですら、時代の大きな流れの中では無力なのだと、ショックを受けたことを憶えている。




 

 大学生になった敬介は、できるだけ勲に負担を掛けないようにと、夜間のアルバイトをしていた。それで自分の本代を賄い、百合子の進学資金の足しにすると言い張っていた。


 勉強にもアルバイトにも精を出していたので、彼の大学生活は常に多忙だった。しかし、それを感じさせない余裕のような雰囲気を、敬介はいつも纏っていた。


 敬介と私にはあまり接点が無かったが、毎週金曜日の夕方には大抵、大学図書館で一緒になった。

 彼はいつも黙々と勉強していて、たまに私に話しかけた。私はその隣で勉強したり、漫画を描いたりして過ごした。


 あるとき、敬介がポツリと言った。


「ずっと気になっているんだが、アイツら、元気かな」



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 秋が深まるころ、私は実に8年ぶりに『しあわせの村』を訪れた。施設長は代替わりし、田辺は退職していた。


 佐々木は少し老けていたが、気迫は衰えていなかった。未だに子供たちへの暴力自慢をするのには閉口したが、今村とブギの行方を訊ねると教えてくれた。


 

 ブギはあの年、冬になる前に奥多摩の施設へ移っていた。今村は、移送先の施設の設備問題で入所できなくなり、結局中学2年の末までいたそうだ。


「中3になる頃だったか、今村琴の父親が刑務所から出て引き取っていったぞ。あの父親、目がイッちまってたな。あのガキもロクな人生を歩んでいないだろうよ」


 旧友である私の前で平然と今村を罵倒するこの男に、強い嫌悪感を覚えた。


 我慢して佐々木の自慢話に相槌を打った見返りに、ブギの奥多摩の施設の連絡先と今村の父親の住所を手に入れた。私はもう2度とここに来ないだろうと思いながら、施設を後にした。


 

 結果として、今村の居所を辿ることはできなかった。私は敬介とともに、その埼玉県の住所まで行ってみた。そこは古い木造の共同住宅で、廊下を歩くたびに床がメキメキと音を立てた。そして残念なことに、住所の部屋にはすでに別の家族が入居していた。


 大家に話を聞いたところ、確かに以前、父娘が住んでいたらしい。しかし、父親が薬物に依存しており、借金が嵩んで1年ほどで夜逃げしたということだった。


「毎晩ヤクザみたいな男たちがドンドン扉を叩いてね、父親は居留守を使うのよ。娘さんはまだ中学生だったかしら。柄の悪い男たちが外から『娘に体を張らせろ』ってしつこく怒鳴ってねぇ、私も怖かったし、娘さんも怖かっただろうねぇ」


 大家の老婦人は、そう言って茶を啜った。

 私と敬介は礼を言って、大家宅を後にしたのだった。





 一方、ブギは比較的簡単に見つかった。


 奥多摩の施設に行って話を聞くと、彼は中学卒業後、浅草の自転車屋に就職したとのことだった。敬介の家から徒歩でも行ける距離だったため、私たちは驚いてすぐにそこへ向かった。


 ブギは、そこで修理工をしていた。

 当初、ブギは私たちを客と見誤り、人懐っこい営業用の笑顔を見せた。そして、それが私たちだと気がつくと、目を丸くして飛び上がって喜んだ。私たちが大学生だと言うと

「そうかぁ、オマエら、インテリだったもんなぁ。そうかぁ」

 と繰り返した。


 当然と言えば当然だが、ブギも今村の行方を知らなかった。ブギは今村を心配する言葉をいくつか口にした後、急にニヤニヤした。


「あのときはビックリしたもんなぁ。いきなりチューだ」


 今思えば、敬介に対して上手く誤魔化す方法はあった。しかし、そのときの私はそこまで頭が回らず、赤面して口籠ってしまった。


「え、何だよそれ? 聞いてないぞ」


 敬介が事の仔細をブギから聞き出してしまい、それから1ヶ月以上、私は敬介からの冷やかしに耐えなくてはならなかった。


「そういえば、あのときの金貨、今じゃ結構な値で取引されてるんだってな」


 ブギが思い出したように言った。

 ブギによると、あの金貨は「マル福」と呼ばれ、伝説の金貨として知られているらしい。ブギは賭場で聞きかじったという「マル福伝説」を披露した。


「ダリル島の山の中に、旧日本軍が千両箱を埋めたらしいんだ。その箱に大量に入れられていたのが、あのマル福だ。現地人は血眼でそいつを探してるらしいぞ。ほら、おじさん、ダリル島にいたって言ってただろ? 」


 それを聞いて敬介が言った。


「アレはもともと、旧日本軍の軍資金だったって話だ。敗走するときに持っていけないってんで、上の指示で埋めたそうだ。父さんはそれにちょっと噛んでたらしくて、敗走中の物々交換用に何枚かくすねたんだとさ」


 敬介が「父さん」と呼んだのは、勲のことだ。リリーのことは「母さん」と呼ぶ。彼らは長い何月をかけて、本当の親子のような絆で結ばれていた。


 ブギは、あのとき金貨を受け取ったあと、すぐに例の闇屋で換金してしまったと言う。そして嘆息した。


「こんなお宝になるってわかってたら、大事に持ってたのにな」


 そのとき、自転車屋の同僚らしい男がブギを呼んだ。


「オイ、泥棒。いつまでサボってんだ?」

 

「泥棒って何だよ?」

 と私が尋ねると、ブギは肩をすくめて言った。


「この間、金庫からいくらか無くなったのさ。みんなオレを犯人だと思ってる」


「でもオマエじゃないんだろ?」

 と敬介。ブギは頷いた。


「だけど、元浮浪児の言い分なんか誰が信用する? 特にオレは口から出まかせで普段から色々言うし、信用されてないんだ」


 敬介は「店の人に話してやろうか」と申し出たが、私が止めた。そんなことをしても、余計にブギの立場を悪くするだけだ。


 自転車屋を立ち去るとき、私たちは持って来ていたマル福をブギにあげた。ブギの顔がパッと明るくなった。

 私たちが「また来る」と言うと、ブギはつぶらな瞳をきらめめかせてニヤッと笑った。


「オレはいつまでもこんな店に燻っちゃいないぞ。いつか大物になって、美女を侍らせて高い酒を飲んでやるんだ」





 その言葉を実践しようとしたのだろうか。


 ブギは翌年、ある詐欺事件で逮捕された。私はまたしても進路のことで両親と揉めていた時期で、敬介も資格試験勉強で机にかじりついていたため、全くそのことを知らなかった。


 無事に弁護士になった後、その事件を知った敬介が私に知らせて来た。2人で刑務所へ面会に行ったが、ブギは会ってくれなかった。


 数年後に出所してから、ブギの行方は完全に分からなくなってしまった。噂によると、羽振りの良い様子で蒲田のナイトクラブから出て来たのを見たという人がいるらしいが、それも定かではない。


 どこにいるのか分からなくなってしまったが、私は祈っている。ブギが今もどこかで、あの人懐っこい笑顔をして、絶望に呑まれず、見果てぬ夢を追っていることを。

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