第5章 2日目の朝

第18話 仁義と寝顔

 闇に包まれていた空が藍色に色づき始める頃、私はブギと交代して見張りについた。

 急に降り出した小雨が焚き火を消した。

 もう焚き火が無くとも、周囲を見渡せる程度には明るかった。


 土手を埋め尽くすイグサやヨシに落ちる雨粒が、しとしとと音を立てる。橋の下では雨音がこだまして響く。


 ブギはすでに丸まって寝入った。匠も小さくなって眠っている。今村だけが大の字で、しかもスカートをはだけていびきをかいている。昨日あんなことがあったのに、今村は強いと思った。


 少し迷ったが、出来るだけ見ないようにしながら今村のスカートを直した。

 すると今村は寝ながら「んむぅ……」と口元をモグモグさせた。それがドキッとするほど可愛くて、私は思わずその寝顔に魅入ってしまった。長いまつ毛、スッと通った鼻筋、薄く色づく唇、どれをとっても、疑いなく今村は美少女だった。


 私はそのとき、彼女の今後の人生について考えた。今は体格で男に勝り、力も強いが、ずっとは続かないはずだ。しかも、当時の社会で女に出来ることは、非常に限られていた。

 父のような英雄になることを夢見ている彼女はきっと悔しい思いをするだろう。普通の少女の何倍も苦労することになるのではないか。


 癇癪持ちで腹の立つことも多いが、今は少しくらい威張っていても許してやろう。私はそう心に誓った。


 



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



 どんよりとした空の下、雨音を聞きながら、私は食べ物のことを考えていた。するとお腹がグーッと鳴った。今日は流石に、昨夜のようなご馳走にはありつけないだろう。


 そのとき、土手の上の方から複数の足音と、声変わりの最中と思われる少年たちの話し声が聞こえた。


「アイツ、本当にこの辺りに来てるのか?」


「ああ、間違いない。昨日、この目で見たんだ。ありゃ間違いなく『てっぽうの匠』だった。手下2人とマブいスケを1人連れてたぜ」


「ふん。早いとこ探し出してご挨拶しねぇとな」


 ガラの悪そうな年上の連中が匠を探しているのだと気がつき、ナイフを握る手に力が入った。

 

 みんなを起こそうか、と寝ている3人を振り返ると、異変を察知した匠が既に立ち上がっている。ブギと今村は相変わらず寝入っている。


 匠は人差し指を口の前に当てて「シーッ」のサインをすると、私のそばまで忍び足で歩いて来た。


 不良少年たちは、土手の上で立ち止まって何やら話し合っているようだ。

 私は匠に耳打ちした。


「知ってるヤツらなのか?」


「ああ、出来れば関わり合いになりたくない連中だ……オマエらは危ないからここにいろ」


 そうささやいて橋の下から出ようとした匠の腕を、私は引っ張った。


「君ひとりで行かせる気はないよ」

「オマエで敵うはずがないヤツらだ。ここで大人しくしてるんだ」

「嫌だ」

「妹かよ。言うことを聞け」

「嫌だ。行くなら一緒に行く」


 囁き声ではあったが、雨音しか無い朝の静寂の中である。不良少年たちは、私たちの会話に気がついたようだった。

 ゾロゾロと、橋の下へ降りてくる。


「だから言わないことじゃないんだ」


 匠は私を睨むと、手で「下がってろ」と合図した。私は下がらず、匠の左へ少し間を空けて立った。ポケットに手を突っ込み、しっかりとナイフを握る。


 姿を現した不良少年は5人。いずれも私たちよりひとまわり体格が大きかった。


 かしらと思しき、最も体格が大きい少年が、匠を認めるなりニヤッと笑った。その笑顔が不気味で、私はゾッとした。


 匠を盗み見ると、彼も怪しげな笑みを浮かべている。私は固唾を飲んた。なんだこれは。


 2人は示しを合わせたように突然、同時に腰を引いた。そして不良頭が声を張り上げた。場所が鉄橋の下なので、そのがなり声は反響して何倍にも響いた。


「おひけえなすって、お控えなすって!」


 あまりの声量に、ブギが飛び起きた。腰が抜けたように、訳がわからず震え上がっている。

 

 まさかここでヤクザごっこが始まるとは露ほども思わなかった。しかし、ブギや今村のやるヤクザごっことは比べ物にならない。まるで本物を見ているような、底知れぬ恐怖を感じた。


 すぐ、不良に対抗するように匠も声を張り上げた。


「あんさんこそお控えなすって!」


 前から思っていたが、匠の声はよく通る。がなりたてるような不良頭の声とは違い、よく響くのにうるさくなく、明瞭で聞きやすい。心地よさすら感じられる。そんな匠の声もこだまして、何重にも響いた。


 不良頭のがなり声と匠の朗々とした声が掛け合いを続ける。


「ご当家、軒先お借りいたしやしての仁義、失礼にございやすがお控えなすって」


「手前、旅のものでござんす。是非ともおあにいさんからお控えなすって」


「それじゃあ仁義になりやせん。どうぞお控えなすって」


 こんなやりとりがしばらく続いた後、不良頭が仁義を切り始めた。


「手前、生国と発しまするは上州にございやす。上州と言っても広うござんす、上州が高崎の在にござんす。すいとんばかり食ってはいたが、いささか筋金の入ったしがねぇチンピラ浮浪児でござんす。今はノガミの十兵衛兄あにィに従います若ぇ者、ダフは売れども誇りの高さは富士の山、誠の深さは太平洋、姓は山中、名は勝四郎、人呼んで『ナタ斬りの勝』と申しやす。稼業未熟の駆け出し者、以降諸事万端よろしくお頼のもうしやす。本日は手前アニキの口上を参じて参りやした次第でございやす」


 なんだかよくわからないが、コイツらが上野で悪さをしている連中で、その親玉の言伝を持って現れたのだということは私にもわかった。


 続いて匠が声を張り上げる。


「早速の仁義、ありがとうございやす。手前も不手際あります筋は、平にご容赦ください。仁義切らせていただきやす」


 続いて匠が仁義を切る段であるらしい。

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