第20話 再出発の朝
その日も朝から晴天だった。
バラックがズラリと立ち並ぶ隅田川のほとりの道を、私たち4人は買い食いしながら歩いていた。
「へぇー、アタシもアニキの仁義、聞きたかったなぁ」
今村が焼き芋を頬張りながら、呑気に喋っている。
寝ている間に匠が自分を「オレの女」扱いしたことは知らない。もし知ったら、それが彼女を守るための苦肉の策だったということを差し引いても、烈火のごとく怒るだろう。
「それより、アニキって大阪生まれだったんだな」
ブギが焼き芋を口に入れてモゴモゴしながら言った。
「ああ、ずっと
匠もまた、そう返答して芋を齧った。
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『ナタ斬りの勝』たちが去った後、寝こけていた今村を何とか叩き起こし、私たちは事の次第を説明した。
匠は、『しあわせの村』の指導員たちの真の目的が私にあること、私が同行すれば今後も追われるだろうことを、ブギと今村に改めて話した。それから、自身のことについても手短に説明した。
十兵衛兄ィというのは、匠にスリのやり方を教えたヤクザの三下だった。最初の頃は匠も十兵衛兄ィに感謝し、それで生計を立ててスリ仲間を養っていた。しかし、次第にヤクザ同士の抗争に巻き込まれるようになっていった。果てには、抗争相手のヤクザ事務所に火を掛けに行くよう脅されたという。
「最後の刈り込みで捕まったとき、実はちょっとホッとしたんだ」
と匠は笑って言った。
「十兵衛の指示で、また勝たちが追ってくる可能性が無いとはいえない。つまり、史人だけじゃなくオレもお尋ね者かもしれないってワケだ。相手が相手だけに、オレの方がタチが悪いとも言える」
匠はそう説明した上で、今村とブギに選択するよう言った。このまま『狗里の森』まで一緒に旅を続けるか、別行動にするか。
今村とブギは顔を見合わせたあと、同時に「一緒に行く」と答えた。
私はいささか嫌な感じがした。昨夜、今村は私のことを「置いていくべき」だと匠に詰め寄っていた。そのくせ匠には二つ返事でついて行くのか。
そのとき、私の脳裏におかしな考えが浮かんだ。まさかな、と、私はその考えを打ち消した。でも可能性はある。
匠は端正な顔立ちで、運動神経が良く、義侠心も強いので女からの人気が高かった。つまり、今村は匠のことを男として好きなのではないか、と思ったのだ。
この疑問は、後に今村に直接訊くまで、疑問であり続けた。
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今村とブギの心が決まると、私たちはすぐに出発の準備を開始した。おんぼろリヤカーと修理済みのボロ鍋を売り払い、僅かな銭を得たのだ。
それで焼き芋を買い、今は早々に山谷から撤退するところだ。
浮浪児の長距離移動は、列車の無賃乗車が常套手段だった。なので当然、私たちの間でも「駅が近いし、途中まで無賃乗車して行こうか」という案が出た。
しかし、十兵衛兄ィの仲間が駅でプーバイ(切符を買い占め高額で転売)していることがあるからと、匠が反対した。それで、私たちは危険を避け、歩いて行くことに決めたのだった。
結局地図は手に入らなかったが、鍋を買ってくれた金物屋に話すと、『狗里の森』までの行き方を説明してくれた。
「ここから歩いて行くなら、川を4本超えなくちゃならないぞ。隅田川、荒川、中川、江戸川の順だ。江戸川を抜けたら、国道を何本か辿って行けば着くよ」
荒川と中川は、歩いて渡れる橋がちょうど良い位置にかかっている。しかし、隅田川と江戸川を橋で渡るには、かなり大回りをしなくてはならないと教えられた。
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歩いて渡れる橋を目指して、私たちは隅田川沿いを歩いていた。
腹ペコの悪童4人が手に入れた焼き芋の朝食は、一瞬で腹に収まってしまった。
腹の満たされない私たちは、それを忘れるために、「服の上から互いの
ふと隅田川に目をくれると、渡舟場で大人達が列を作っているのが見えた。そのほとんどが女性だった。若い人が多いが、「おばさん」と呼んで差し支えない年齢の女性も混じって立っている。
私がボーッと彼女たちを眺めながら歩いていると、今村がクスクス笑いながら絡んできた。
「美人でも見つけたか?」
「違うよ」と私は答えたが、聞きつけたブギと匠がニヤけながら茶々を入れて来た。
「大先は絶対年増が好みだろ」
「だから違うって」
「年増趣味もいいんじゃないか? オレは妙齢が好みだ」
「ふざけんな、匠まで。そうじゃない。あの舟を渡れたら、近道になるだろうなと思ったんだ」
私の言葉に、一同は納得した。というのも、金物屋の話によると、隅田川を渡った先は道が泥田のようになっているらしい。
足を取られて前に進まなければ、今日中に「狗里の森」には着けないかもしれなかった。
「ま、でもここを渡るのは無理だな」
と今村が言った。
「あの渡舟場は、紡績工場の女工さん専用なんだ。ほら、そこを渡ったところにすぐある、あの工場さ」
確かに、すぐ向こう岸には工場らしき灰色の建物が建っていた。
「やっぱりダメか。世の中うまくいかない」
と私は肩を落とした。
匠が慰めるように私の肩を叩き、私たちは歩き出した。
しかし、ブギだけがその場から動かない。
私たちは振り返って彼を呼んだ。
ブギは何故か、じっと女工さんたちを見つめている。何だか品定めするような目つきだ。
「おいスケベ野獣、行くぞ」
声を掛けた今村の方を向き直り、ブギはニヤッと笑った。
「世の中うまくいかないだって? 上手くいくかもしれないぜ」
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