第162話 墓参り

 フォーリアンロザリオのフィンバラでは日没から雨が降り始めた。パルスクート基地近くにある戦没者用墓地、そこを傘も差さず右手に花束を携えて歩くぼくは…傍から見れば大分怪しい人物見えるんだろうな。この場所を訪れるのは何回目だろうか。終戦して帰国後にヴァルキューレ隊のみんなで来た時、その後に個人的にも何度か来た記憶があるから…七度目ぐらいにはなるのかな。


「…なんでか、ここには何度も足が向いてしまうね」


 周りには誰もいない夜の墓地、独り言を零しながら歩く。前髪を雨が伝って雫が垂れる。着ているマントも水を吸って大分重たくなっているが、そんなことはどうでもいい。やがて目的の墓標の前に辿り着き、花束を供える。ヴァルキューレ隊の面々が最も讃えられるべき真のエースとして名を挙げたせいか、既にいくつか花束が添えられていた。刻まれたチサト・ルィシトナータの文字を数瞬眺めた後、瞼を閉じて黙祷を捧げる。彼女が戦死したあの日、そしてそれからバンシー隊が解散となって再び集結するまでの日々は今でも鮮明に覚えている。

 彼女の存在は隊にとってとても大きかった。彼女の生き様はとても尊く、美しいものだったから。ただぼくはあの時、また一人の戦友を失った程度にしか感じておらず、悲しみに暮れるカイラス少佐や喪失感に打ちのめされたシルヴィに対してもあまり共感するようなことはなかったと思う。けれど、戦争が終わって色々なことを振り返る時間が出来たせいか…ぼくの中で彼女に対する認識は徐々に変わっていった。


『私は…この体に流れる二つの国の血のどちらも否定しないし、父のことも母のことも愛してる』


 在りし日の彼女の言葉が脳裏によぎる。彼女は本当に強い女性だった。確固たる信念を持ち、自分が何をすべきかを見据え、やらなければならないことと自分がやりたいこととを両立させる道を常に模索していた。


『早く戦争が終わって、誰かが誰かを殺さなくてもいい世界になればいいと思ったから』


 だが現実は残酷なものだ。戦争は終わったが、誰かが誰かを殺さなくてもいい世界…そんな優しい世界と呼ぶには程遠い。不景気に喘ぐ民衆は口々に不満を漏らし、この王国内部においても治安は戦中より悪化しているような気さえする。それでももし、今この時を彼女が生きて迎えていたなら…きっと変わらぬ笑顔を見せてくれて、周囲の人間に未来への希望を語ったことだろう。


「…ぼくはどこかで、君と自分を重ねていた部分があったのかも知れないな」


 愛する両親のために自分に何が出来るのかを探し求め、あの地獄のような戦争の中で己の信念を貫いた。ただ決定的にぼくと違うところがあるとすれば、ぼくのはある意味自己満足で…彼女の生き様にはぼくとは違う何かがあったということ。それがなんなのか…上手く言葉に出来ないが、彼女自身の強い意志とかそういうものだ。彼女が何を思い、ラケシスからシルヴィへ放たれたミサイルを受け止め死んだのか…どれだけ理解しようにも憶測の域を出ないが、それでもきっとその選択の先に死が待っていることは彼女自身予感していたはずだ。


「『人はその生涯において、子らに誇れる仕事をひとつ成すべきである』」


 これは戦後、ルシフェランザに渡りファリエル・セレスティアに謁見した際に言われた言葉だ。今までぼくのしてきたことに…ぼくは胸を張れるだろうか。ただ与えられた役目をこなすことに終始し、そこに自らの意思を反映させることから逃げてきたぼくに…誇れるものはあっただろうか。戦時中、戦争継続に消極的な反戦論者を暗殺したこともある。大手民間企業の重役に対して諜報活動を行い、弱みを握って数億を脅し取って国の裏帳簿に入れたことも一度や二度じゃない。

 チサト少佐…彼女の死はバンシー隊全員の心を激しく揺さぶり、その後の戦い方にも大きな変化を与えた。目立ったのは彼女と作戦中の行動に関する意見で衝突していたカイラス少佐が、その後周囲の僚機まで援護するようになったこと。一度は戦友の死に対する自責の念から自信を失ったシルヴィだって、二度と僚機を失わないという決意の下、隊長機への援護に対する執着と行動力は凄まじいものだった。自分が成すべきことを見据え、それを行うというチサト少佐の姿勢を一番強く継いだのはやはりこの二人だろうと思う。


「君の死、君の命は…間違いなく大きな価値を持っていた」


 あれだけ強く他者に影響を及ぼしたのだ、その事実は疑う余地が無い。なら今、ぼくはそんな風に生きているだろうか? ぼくが死んだなら、彼女の死と同様に悲しんでくれる人が何人いるだろうか? いや、人数なんて別にどうだっていい。誰かの生き方を変えるほどの影響を…ぼくは遺せるだろうか? とてもじゃないが自信は無い。それはきっと、自分の生き方に誇れるものが無いからだ。ぼくはふと自分の右手をマントから出し、じっと見つめる。


「…あの時、ぼくに立ち向かう勇気があったなら」


 きっとぼくの生き方は今とは違っていただろう。自らの意思を持つことを諦めていたあの頃、与えられた役目にただ従うだけで思考することすらしなかった灰色の日々。そこから一緒に逃げようと差し伸べてくれた手を…取ることの出来なかった無力な手。自嘲に口元が歪む。


「チサト少佐…ぼくも君みたいになりたいと、今更だけど思ったんだ。だからぼくにも少し、君の意思の強さを分けてもらうよ」


 彼女の生き様を見つめ直して、生命とは意志そのものだと知ったから。墓前から立ち去ろうと立ち上がった時、墓標で何かが光った。暗くて今まで気付かなかったが、小さな金属製の板状のものが置いてある。目を凝らすと、それはぼくらにとって身近な代物…。


「ドッグタグ…?」


 若干変形しているようだが間違いない、フォーリアンロザリオの軍人なら誰もが首からぶら下げてる認識票だった。それが一枚だけ置かれている。一瞬躊躇いはあったが、手に取ってよく見れば…そこには眼前の墓標と同じ人物の名前が打刻されているのが読み取れた。


「…!」


 エンヴィオーネで戦死した彼女のドッグタグが、陸軍の地上部隊によって奇跡的に回収されたとは聞いていた。一枚は軍に提出され、もう一枚は特別にシルヴィが持っていたはず…。辺りを見回すが、この暗がりで雨も降っていては人影などあっても解らない。気配も無く、ここに来る途中は誰ともすれ違わなかった。それでも…これは彼女がここにいた証だろう。ぼくは再びドッグタグを本来の持ち主の墓前に供え、踵を返す。

 戦後退役した後の彼女の足取りは掴めていない。あれだけ懐いていた隊長ともあまり頻繁には連絡を取っていなかったようだけど、彼女のことだから元気にやっているだろう程度にしか思っていなかった。

 だがふと、過去に彼女から国の最高機密のひとつであるグロキリアについて問い質されたことを思い出し、妙に胸がざわつくのを感じた。

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