第150話 連理ノ枝

 女王陛下が退出してしばらくすると、さっきまでの和気藹々とした空気がまた戻ってきた。用意された食事を食べたり酒を飲んだりしながら、色々な会話が聞こえてくる。それに伴って再びアルコール臭が立ち込め始め、オレは会場のホールを出て城内を散策することにした。案内図を見てみると、意外といろんなところに入れることが解った。四方に立つ塔の上にも行けるらしい。

 蝋燭の明かりを模して揺らめきを再現した電灯に照らされた廊下は如何にもな雰囲気を醸し出し、石造りの螺旋階段を上っていく。やがてやや疲れが出始めた頃、視界が開けて塔のてっぺんに出た。さっきバルコニーでティクスといた時よりも強く風が吹き抜ける。見上げれば、こっちの方が心なしか星がよく見えるような気がした。


「や、やっと追いついた…」


 心地よい夜風に緊張の糸を解いていたところへ聞き慣れた幼馴染の声。階段の出口に寄りかかり、へとへとで肩で息をして…こいつどうやって軍人になったんだってぐらいに疲れ切っている。


「ソフィと一緒にケルベロス隊の生き残りとお喋りしてたらいなくなっちゃうからさ、会場の外出たらフィー君どっか歩いてっちゃうのが見えて追いかけたら…こんな螺旋階段、よくあんなペースで上れるね」


「お前の体力が無さ過ぎるんだろ」


 それでもなんとか呼吸を整えながら塔の上に立ち、夜風に身を委ねるティクス。


「ん~、風が冷たくて気持ちいいね~」


 軽くウェーブのかかった桜色の髪が風に踊る。今夜は月が明るいせいで、随分いい時間にもなってるはずだが夕闇に真っ暗…という感じではない。


「汗かいてんならあまり冷やすなよ、風邪ひくぞ?」


 別に変なこと言ったつもりも無いのだが、何故かティクスが心底驚いたような顔でオレを見つめてくる。


「……、なんだよ」


「フィー君が私のこと心配してくれるなんて…。あ、これも恋人だから? いやぁ、『ただの幼馴染』じゃなくなったんだって実感するね」


 今まで心配したことが無かったみたいな風に言いやがる。ざっと過去を振り返ってみるが…そんなことも無いと思うんだがな。まぁそんな重箱の隅をつついてもしょうがないし別にどうだっていい。風を浴びながら塔から見える星空を二人で仰ぎ見る。遮るものなど何も無い、そしてどこまでも続く空。


「ここは静かでいいね…」


 風の音も五月蠅いほどでは無く、確かに静かでパーティー会場の喧騒もここまでは届かない。とても気分がいい。隣を見ればティクスも目を細めて風を受け止めている。その横顔を見ながら、ふとさっきこいつの言った言葉が胸の奥でどうにも引っ掛かっているように感じていた。


「…なぁ、ティクス」


「ん、なぁに?」


 呼んではみたものの、この感覚をどう言葉にしたものか解らないまま声を掛けたせいで次の言葉が出てこない。ティクスは何を言うでも無く、ただじっとこちらに視線を向けて待っている。


「あ~、なんだ…。いや、さっきの『ただの幼馴染』ってのを聞いた時にさ、振り返ってみりゃお前とはホント長い付き合いだなって思ってな」


「うん、そうだね。…でもフィー君、なんで今更そんなことを? これからもっと長く付き合ってもらうんだからね!」


 そう言いながら無邪気な笑顔を見せ付けてくる。妹と一緒に連れまわすうちに、いつしかこいつはぬいぐるみとばかり遊んでいた内向的な性格からこんな風によく笑うような人間に化けた。

 初めて逢った時に名前を聞いて、ティユルィックスを発音出来なかったオレが強引につけた「ティクス」というあだ名と同時に、向こうから仕返しとばかりにつけられた「フィー君」という呼び名。最初はそう呼ばれることをお互い嫌がっていたと思う。それもいつしか慣れた…というか、お互いにちゃんと名前を呼べと主張することに疲れただけだったか。しかし今の呼び方呼ばれ方が定着してから二人の距離感は随分近くなったようにも思う。それから…もう十六年弱が経とうとしている。


「きっと私くらいなもんだよね、フィー君とこんなに長く付き合っていられるのなんてさ。フィー君のことなら私が一番理解してるって自信あるもん」


 ふふん、と鼻を鳴らすこいつのドヤ顔…若干イラッとするが、以前ほどその鼻に一撃かまして表情を歪ませてやりたい衝動には駆られない。


「フィー君だってそうでしょ? 私のことなら、他の誰より知ってるって思ってるんじゃない?」


「…まぁ、少なくともお前の面倒見れるのはオレだけなんだろうなっていう使命感はあるな」


「なんか期待してた答えとは違うけど…まぁいいや」


 若干ぶぅたれるその表情も、こういう反応を示すだろうことも言う前から解っていた。ああ、お前の言う通りだな。お前のことなら大体解ってる。こいつの人間性を口で説明しろと言われたらざっくりとしか表現出来ないだろうが、感覚的には理解してるつもりだ。


「オレにどういう答えを期待してたのかは知らんが…。あ、ところでお前にひとつ提案があるんだが…」


 お互いにお互いを知り尽くしている…とまでは言わないが、お互いがどういう人間かという部分に関してほぼ見極めが済んでしまっているのなら、と頭の中で思考を巡らす。


「提案…?」


「オレたち、結婚しようぜ」


 正直言えば自分自身、よく言われる「物事の順番」ってヤツをかなりすっ飛ばした発言だってのは解ってる。本当はこんなこと伝えるのはもっと先でいいんだろうって口に出しちまった今でもちょっと思う。でもお互いのことなんてほぼすべて理解し合っていて、どの道この先ずっと長く付き合っていく意思に変わりは無いのなら「恋人」なんていう響きが甘ったるいだけでなんの責任も発生しない関係を続けることに意味は無いんじゃないか…と、そう思ったわけで。


「……それって、プロポーズ…だよね?」


 恐る恐る訊いてきたティクスに頷くと、顔を伏せてじっと黙ったまま動かなくなった。月明かりがあるとはいえ夜は夜だ。影で表情は解らない。沈黙の時間が続くにつれ、妙な不安感が込み上げてくる。


「あ、やっぱしまだ早かったか? だよな、そうだよな…。思えば指輪とか何も用意してなかったしな」


「……でも、…ぃよ」


 何か聞こえた気がするが、俯いてるせいもあって聞き取れない。なんだって?


「どうでもいいよ、指輪なんて…」


 袖で目元を拭って顔を上げると、さっき以上に満面の笑みを見せた直後タックルに近い衝撃を伴って抱きついてきた。肺に入っていた空気が外部からの力で強引に排出させられる感覚を味わう。予想外の状況に目を白黒させていると涙を浮かべながらティクスが笑う。


「えへへ、うふふふ、あはははははは! フィー君の方からプロポーズしてくれるなんて感激! しかもこんな満天の星空の下、お城でプロポーズなんてロマンチックなシチュエーション…ああもう幸せ過ぎて頭がおかしくなりそう!」


 とりあえず受けてくれることは間違いなさそうだが、頭がおかしく…う~ん、既になりかけてる気がするんだが?


「私はもちろんオッケーだよ結婚しようフィー君これで私たち本当の家族になれるんだね本当に嬉しい私実はちょっと心細かったの戦争終わっても私帰る家なんて無いからってそれはフィー君も同じかでもでも家族がいるってやっぱりいいよね家族と言えばフィー君子供は何人ぐらい欲しいかな私は何人いてもいいと思うけど最低三人は欲しいなって思ってるんだだってフィー君の子供だったら絶対可愛いし絶対カッコイイもんそれとそれと結婚式はどんなとこで挙げようか都会の大きな教会とか結婚式場でも悪くは無いんだけど私は森の中とか郊外にありそうな小さくて静かな場所で挙げるのもいいかなって思うんだけどどうかなエリィさんとか呼んだらきっと来てくれるよねティニちゃんとサガラスさんにも来て欲しいなでもあまり大人数になると準備も結構大変になっちゃうしってそうか私たちただでさえ有名人になっちゃったんだから結婚なんて話が出ちゃったらそれこそ大騒ぎになっちゃいそうだねじゃあ式も海外でこっそり挙げちゃう方がいいのかなそれこそウェルティコーヴェンに行って向こうで式を挙げるのもいいかもねそれならエリィさんもティニちゃんも手伝ってくれそうだしああそうだ結婚するってことエリィさんには伝えておいた方がいいよねフィー君からプロポーズしてくれたんだよって言ったらエリィさんも驚くだろうなああそれにしても本当に嬉しい本当に幸せ私絶対絶対いいお嫁さんになるねえっとえっとごめんねもう何がなんだか解らなくなっちゃってきてるんだけどとにかくこれだけは言わせてフィー君愛してる!!!」


「……お、おう」


 この間およそ一分弱。マシンガントークという言葉があるが、マシンガンなどという生易しい物では無くさながらバルカン砲だ。とてもじゃないが膨大過ぎる情報の濁流に脳がついていかない。耳から押し込まれた情報量も膨大だが、コロコロとめまぐるしく表情を変化させやがったもんだから視覚的な情報もなかなかのもんだ。なんとか絞り出した生返事も、条件反射的に勝手に出ただけでそこに意味らしい意味なんて込めちゃいない。


「あぁあああぁぁああ、ごめんフィー君! 私ちょっと飲み物もらってくる!」


 そう言うや否やダッシュで螺旋階段を駆け下りていくティクスの姿は一瞬で見えなくなり、何一つ言葉を発せないままそれを見送ったオレを夜風だけが冷たく撫でていく。


「…コケて階段転げ落ちんなよ~」


 届けたい相手に届けようなどとは微塵も考えていない虚しい言葉は風に飛ばされかき消える。まぁとりあえず、あいつは喜んでくれてたみたいだから…それでヨシとするか。

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