第125話 アトラクナクア

 HQからの指示に従い、最大戦速でSエリアへと向かう。こんなことなら発艦した時に装備していた追加ブースターも背負っておけばよかった。向かう先で交戦中の部隊から発せられる断末魔がオレを急かす。


「な、なんだこい…づぁあああああ!」


「ミカエルⅡが捕捉すら出来ないぞ!? どうなってる、俺は夢でも見てるのか!?」


「聞いたことがあるぞ、開戦当初に現れた…運命の三女神以上の化け物。生命を絡めとる黒い蜘蛛…ブラックウィドウだ!」


「畜生、こんなところで死んでたまるかよ!」


「か、母さん…母さぁあああん!」


 レーダーでもはっきりと判るスピードで友軍機が減っていく。本当に悪夢を見ているかのようだった。そしてオレの脳裏には、あの日の記憶が蘇ってきていた。漆黒のハッツティオールシューネ…。近接レーダーに機影を捕らえ、間も無くその姿を視認する。


「あれか…!」


 間違いない。目の前をすり抜けて行ったハッツティオールシューネ特有の矢のようなシルエット、漆黒に染め上げられたそいつは記憶の中のそれと完全に一致した。すぐさま後方ポジションを奪うべく旋回する。


「ね、ねぇフィー君。あのハッツティオールシューネ…私、見たことがあるような気がするよ。交戦するの、初めてのはずだよね?」


 ティクスの声には明らかな戸惑いと恐怖の色があった。どう答えたものかと一瞬だけ逡巡するが、正直相棒に気遣うだけの余裕は無くなっていた。


「交戦は初めてだ。…だがあいつは、あいつは宣戦布告同時攻撃の日にあの空にいた」


 操縦桿とスロットルレバーを握る左右の手に力が入ってギリギリと音を立てる。そうだ、あいつが…あの黒いハッツティオールシューネが…。


「あいつが母さんを、親父を、ズィレイドを、ウェルトゥを…!」


 機体前方に機影を捕らえ、スロットルレバーを最前位置へ押し出す。


「ターゲット・インサイト、周辺各機は手を出すなよ。ブリュンヒルデ1、エンゲージ!」


「ブリュンヒルデ? ヴァルキューレの一番機か、面白い。相手になってやろう!」


 相手もこっちに気付き、緩旋回を始める。


「舐めやがって…!」


 兵装選択、ヨハネ。ミサイルシーカーが敵機を捕まえると同時に発射する。エンジンノズルから出てくる熱源めがけ直進するミサイルをフレアやチャフを使うことも無く、いとも簡単そうに避けてみせる。だがミサイルは布石、接近してバルカン砲による攻撃を試みようとして…瞬間的に悪寒が全身を駆け抜ける。


「!? くそ!」


 咄嗟に機体を左へ90度傾け、急旋回した直後に空気抵抗に輝く弾丸が脇を掠めた。


「ほう、さすがに躱すか」


 機体コンディションを確認し、被弾が無いことにほっとする。だが今回避出来たのはまぐれに等しい。恐怖に竦んだだけだ。


「貴様等の活躍は聞いている、敵であったことが残念でならん。せめてもの手向けだ、自らを屠る者の名くらい教えてやろう。我が名はディーシェント・メルグ。セレスティア家に代々仕えしメルグ家当主にして、ファリエル・セレスティア様の聖堂騎士パラディン! さあ、我がアトラクナクアの前に散るがいい!」


 何が聖堂騎士だ、ふざけやがって。ルシフェランザに時代錯誤の貴族制度が残ってるってのは座学で知っていたが、映画とかアニメの世界から飛び出してきたみたいな「まんま」感が先程来の苛立ちを増幅させる。仇討ちなんて言うつもりは無いが、憎しみと怒りが抑えられない。僚機のことなどもはや思考の片隅にも無く、視線は漆黒の敵機に固定されたまま愛機を疾走させる。




 この戦争が始まったあの日の、あの空に…。フィー君のその言葉に閉ざされていた記憶がフラッシュバックする。そうだ、あの日私はフィー君に抱きかかえられてシェルターへの道を…。それまで断片的に散在していた記憶の欠片が本来の連続性を取り戻していく。主翼を失って墜落するヴァーチャー、その向こうを新たな獲物めがけて飛んでいく一機の戦闘機…光さえ飲み込むかのような真っ黒の翼。


「あ、あぁああ…」


 あの日の炎が、あの時の煙が、あの場を満たした血と埃と阿鼻叫喚が…頭の中を駆け巡る。呼吸が乱れ、気が動転して目に映る情景も理解出来なくなっていく。吐き気が酷い、眩暈がする。私は、私は…!


「ティクス!」


「あぐっ!?」


 聴覚に突き刺さった幼馴染の声に、半ば強引に意識を現実へと引き戻されて頭を左右に振る。


「くそったれ、あの野郎! 三女神以上の化け物だ、追いかけるだけで精一杯だぜ。僚機への指示はお前が出せ!」


「え、あ、あぅ…」


 体を軋ませる大G旋回の連続と周辺で炸裂する砲弾の衝撃波に揺らされる中、こびりついて離れない恐怖から声が上手く発せない。


「しっかりしろ、『オレはここにいる』ぞ!」


 その言葉が、私の胸に熱を蘇らせる。視線を前席に向け、直接視認は出来ずとも幼馴染の背中を見つめる。


「悪いがお前にこれ以上気の利いた言葉を用意してやる余裕は無ぇ! だがお前がしっかりしてくれなきゃ死ぬのはオレも同じだ。お前も軍人なら果たすべき務めくらい果たしやがれ!」


 本人の言葉通り、余裕なんて一欠片も無い声で叱責される。一旦バイザーを上げ、酸素マスクを外してグローブで両目を拭う。そうだ、私がしっかりしなくちゃフィー君まで危険に曝してしまう。これまでに無い規模の空戦が連続するこの状況で、それだけは避けなければならない。それはハッキリしている。先程まで揺らめいていた視界も意識もハッキリしてきた。


「…うん、ごめん。もう大丈夫! ブリュンヒルデ1より小隊各機、アトラクナクアはこちらで押さえる。三機連携で周辺の敵機を漸減、友軍への支援を優先! 攻撃機を最優先撃破、艦隊に近づけさせないで!」


 随伴する僚機から了解の答えが返ってくる。油断すればあっという間に思考を奪おうとする忌まわしい記憶を振り払い、私はレーダーディスプレイや機体コンディションの表示に目を走らせる。燃料はまだ六割以上残っているけどミサイルはヨハネが残り二発、バルカン砲だって残弾40%を切っている。ハッツティオールシューネを相手にするにはかなり心細い状況だ。


「フィー君! 解っていると思うけど、今回はあの機体とパイロットの情報収集を優先してね。残弾が少ないってこと、忘れないでね!」


 周囲の轟音にかき消されないように叫ぶと、フィー君の悔しそうな呻きの後に「解ってる」という返事が聞こえてきた。さっきから操縦にも余裕が感じられない。連続して急制動をかけ、その度にキャノピーに頭をぶつけそうになる。私も目で追おうとするが、縦横無尽に駆け抜けるその機影はとても同じ人間が乗っているとは思えないものだった。

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