第103話 パラノイア

「あ、その…えっと…申し訳ありませんでした。戦時中だというのに、気が緩み過ぎですよね」


「別にそういうわけでも無いだろうし、個人の感情にまでいちいち口出すのも変だろ? …そうだな、なら今はこうしておくか」


 中身が空になった紙コップをくしゃっと握り潰し、備え付けのゴミ箱に放り投げる。


「終戦までオレたちがお互い生き残れてたら…その時までには答えを用意しとく。ぎりぎりまで引っ張っちまうが、それでもいいか? その、中途半端な気持ちや勢いで答えたくないんだ」


「解りました、それで構いません。…有難う御座います」


 フィー君がこっちに歩いてくる。私は自分でもどうしてそう思ったのか解らないけど、何かに弾かれるようにして体が勝手に全力ダッシュでその場を離れた。通路を駆け、階段を駆け下りる。飛行甲板から数えて三階層目に休憩室はあり、上へ登れば居住区画だけど…階段を下りている途中で居住区画へ向かう足音に気付く。多分、フィー君だろう。私は更に階段を下りて格納庫などの艦載機整備区画へと辿り着く。


「…はぁ、はぁ…っ、はぁ」


 息が切れ、いつもより大きく脈打つ鼓動に気持ちが悪くなる。まるで脳が脈打ってるみたいだ…。航空燃料や弾薬など補給物資の整理で格納庫の中も慌ただしかったけど、広い空間とエレベーターへ通じる開口部から見える外の様子が気持ちを落ち着けてくれそうに思えた。壁に寄りかかって呼吸を落ち着け、作業の様子を観察する。

 そう言えば、確かブリュンヒルデは電源さえ供給されていればアラクネシステムが機体コンディションのセルフチェックと戦術シミュレーションを続けてるってマニュアルに書いてあったっけ。ちょっと見てみようかな?


「あれ、ティクス大尉?」


 聞き慣れたその声に、びくっと体が反応する。振り返ると声の主はやはり、ファルちゃんだ。


「ふぁ、ファルちゃん…どうしたの? 格納庫なんか…」


「オルトリンデにはコンディションのセルフチェック機能なんてついてませんから、自分の目で確認しないと…。大尉こそどうしてここに?」


 正直、タイミングがタイミングだけに今はあまり彼女と顔を合わせていたくない。とはいえ私だって上官なんだし、戦闘中は背中を預けることも多いファルちゃんに対して距離を取るような真似は出来ない。


「え、えっと…ほら、ファルちゃんも知ってる通り機体コンディションのセルフチェックはアラクネシステムがやってくれるんだけど、それと並行して戦術シミュレーションもやってくれてるみたいだから、どんな戦術考えてくれてるのかって気になってね」


「なるほど、便利なシステムですね…。ですが大尉、少しお休みになられては? 呼吸も乱れてるようですし、顔色も少し…」


「だ、だだだ大丈夫だよ? それにほら、私だってフィー君の副官なんだし…いつまでも甘えてなんて」


「隊長のサポートは私がします」


 飛び交う様々な指示に物資を積んで走る車両の音…そういった雑音が一瞬消えたかと思うほどに、その一言は私の聴覚に鋭く突き刺さった。


「大尉は作戦後や訓練の合間などは自室でお休みだったようですのでご存じ無いかも知れませんが、これまでも戦闘記録の処理は私がお手伝いしてましたし、新しい戦術試案にも時折声をかけていただいてたんです」


「へ、へぇ…そうなんだ」


 ファルちゃんの顔は微笑んでいる…と思う。表情そのものは笑顔なんだけど、向けられる眼差しの奥に冷たい何かを感じる。その何かがさっきから私の胸を…心を深く抉る。金色に輝くその眼は「あなたは不要だ」と訴えているように思えた。


「今までそうだったんですし、私ももうこれは私の仕事だと認識しています。ですからどうかお任せください。格納庫内もしばらく慌ただしいでしょうし、私たちのような作業の邪魔になりかねない部外者は極力いない方がいいと思います。私は一応セルフチェック出来ない機体の様子を見に来た、戦闘記録を見直しに来た、とこじつけることも出来ますが…彼らの邪魔をして怒られるのは私だけで充分です」


 言っていることは正しいし、言葉の表面だけを取れば気を遣ってくれているようにも思えるけど…つまり早く部屋に戻ってくれ、とそういう意味にも取れる。

 …いや、きっとそうなんだろう。さっき少し休んで落ち着いていたはずの鼓動がまた大きくなってくる。頭が痛い、視界が歪む、吐き気まで感じてきた。


「ほら、大分お疲れなんじゃないですか? お願いですから部屋で休んでいてください、大尉」


「う、うん…そうさせてもらうよ。じゃあね」


 体が重い。ふらつく足で格納庫を出て、さっき下りてきた階段に向かって壁伝いに通路を歩いていく。


「う、うぅ…」


 階段まで、こんなに遠かったっけ? 視界がだんだん暗くなってきた。さっきも感じた、脳が脈動するような気持ち悪い感覚…。その脳裏で蘇るのはファルちゃんのあの眼差し。


『大尉こそどうしてここに?』 …あんたここに用なんて無いでしょ?


 違う…。


『便利なシステムですね』 …あんたいなくてもいいんじゃない?


 違う違う!


『隊長のサポートは私がします』 …あんたには出来ないでしょ?


 ファルちゃんはそんなこと言ってない!


『私ももうこれは私の仕事だと認識しています』 …本来あんたの仕事だけどね。


 違うってば!


『お願いですから部屋で休んでいてください、大尉』 …寝ててよ、邪魔だから。


 ファルちゃんの言葉にネガティヴな脳内補正がかかり、私の中でどす黒くドロドロとした何かが溢れ出ようとしてるのを感じる。壁に添えていた左手でそれを抑え込もうと胸の辺りをぎゅっと掴む。すると割れそうなぐらい激しい頭痛と平衡感覚を失うほどの眩暈が襲いかかってきた。反射的に右手で側頭部を押さえながら目を見開く…なのに、左肩をくっつけてあるはずの壁も、足が踏みしめているはずの床も…何も見えない。


「…あ、あれ?」


 真っ暗闇で何も見えない、何も聞こえない…。格納庫からそんなに離れた覚えもないのにさっきまで聞こえていたはずの騒音さえ聞こえなかった。無重力空間に放り出されたみたいな不気味な浮遊感と、体中に鉛を纏ったような倦怠感を同時に感じてその場に倒れ込む。


「…た、助ケ…フィーく…」


 瞼が重くて目を開けてられない。見えない目を閉じた瞬間、意識が途切れた。

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