第25話 忍びよる絶望の足音

 芹澤の登場に驚いたのは冬夜たちだけではなかった。


……情報では時間を要するはずでは? ……なるほど、ということですか)

「楽しませてくれますね。しかし、一人増えたところで状況が変わるとは思えませんが?」


 笑いを噛み殺したような表情で話すクロノス。しかし、気付かぬうちに開いた綻びは次第に穴を広げつつある。


「面白いことを言うもんだな、

「何を訳のわからないことを言っているのでしょうか?」

「己の置かれている状況を正確に把握しておいた方がよいと思うぞ?」


 冬夜たちのほうへ視線を移すと、先ほどまで抑え込まれていたはずの二人の姿がない。逆にフードの人物が不自然な姿で硬直している、まるで時間を停止させられたかのように。


「……何をしましたか?」

「研究の成果を試させてもらったまでだが? このプロフェッサーにかかれば不可能などない!」

「たかが人間ごときに遅れを取るとは……ですが、あなたの時間を停止し、手の中にある妙な物を奪い取れば済む話ですよね」

「できるものならやってみればいい。の確認はすんだのか? レイス、そのまま振り抜け!」


 慌てて冬夜たちから視線を戻したクロノスの目が見開かれる。先ほどまでうずくまっていたはずのレイスが目前に立っており、左胸を目掛けて懐刀を振り下ろそうとしていた。青白い炎をまとう刃が触れる直前、咄嗟に回避行動を取ったが間に合わず、一瞬の閃光とともにクロノスの右腕が鈍い音とともに床に落ちる。


「チッ。右腕一本しか取れないとは失敗っすね……」


 肩で息をしながらも構え直すレイス。だが腕を落とされたクロノスは微動だにしない。

 奇妙なことに血の一滴すら出ていなかった。皆が固唾を呑んでいると、不意にクロノスが天を仰ぎ高笑いを響かせる。


「ハッハッハッ……! そういうことですか」


 チラリと床に落ちたままの右腕を一瞥すると目を細め、刃のように鋭い殺気のこもった視線でレイスを睨めつける。


「人間ごときが高貴な私の体に傷を負わせたことを褒めてさしあげましょう。ですが、まだ全力を出していたわけではありませんよ? ここからは私のお遊びに付き合っていただきましょう!」


 クロノスの笑い声と同時に冬夜たちに急激なプレッシャーが襲いかかる。瞬く間に大広間全体が強大なオーラに支配されていき、雷のような怒声が突き刺さる。


「私を怒らせたことを永久なる時の狭間で後悔するがいい!」


 クロノスの破壊的な妖力に抗えず、その場にいた全員が再び膝をつく。冬夜たちが動けないことを確認すると無造作に右腕を拾い上げると傷口に押し当てた。すると何事もなかったかのように腕が繋がり、切られた傷跡すら残っていない。


「マジかよ……くっつきやがった」

「マズイっすね……自分が不甲斐ないばかりに皆さんまで巻き込んで……」

「何を馬鹿なことを言ってるの、レイス! 全員で助かる方法を考えるのよ! 副会長、ぼさっとしていないで何とかしなさいよ!」

「このような素晴らしい状況で何を言っているのだ、言乃花くん? これだけ貴重な研究材料はなかなかお目にかかれないぞ! しかと時空の狭間の状況を目に焼き付けておかなければ! これはまたとないデータが取れる!」

「聞いた私がバカだったわ……」


 絶望的な状況に芹澤以外の全員が覚悟を決めた時、動きを止められていたはずのフードを被った人物がいきなりクロノスの隣に現れ耳打ちをする。


「クロノス、プランBに切り替える」

「おや、私としたことが熱くなり過ぎましたね……ふむ、始末してしまってもよろしかったのですが、本末転倒ですね」


 そう言うと指を鳴らす。一瞬にして大広間を支配していたクロノスの妖力が消え失せた。そして心底嬉しそうに口元を引き上げる。


「なかなか楽しい余興でした。ですが、最初のご挨拶としては少々張り切りすぎてしまいましたね。次はもっと楽しませていただけるように準備しておいてくださいよ?」

「それは……どういう意味っすか」


 レイスが立ち上がり詰め寄ろうしたが、再び妖力を浴びせられ、膝をつくことになった。


「慌てなくともでしょう。その時までにしっかり鍛えておいてください。期待はずれにならないことを願いますよ」


 そう言うと唇だけで笑うクロノスとフードを被った男の身体が徐々に影に溶け込むように消えていった。彼らの姿が完全に消えると同時に全身を押さえつけていた力も霧散し、冬夜達はようやく動けるようになった。するとシリルもゆっくりと意識を取り戻す。


「あのフードの男、まさか……いや、そんなことがあるはすがない!」

「冬夜さん、どうしました?」

「レイスさん、あのフードの男についてなんですが……」


 冬夜がレイスに問いかけようとしたとき、芹澤の大きな声が遮った。


「逃げられたのは残念で仕方ないが、良きサンプルが取れた。これは大収穫であったな!」

「副会長は黙っていてもらえますか? 先ずはリリーさんとシリルさんの手当てが先です」

「そうっすね。細かいことは後でお願いします。やれることからやるっすよ」


 二人のもとへ駆け寄る冬夜たち。幸い二人とも命に別状はなく大きな怪我もなかった。しかし、リリーさんの話によるとジャンさん始め数名が怪我をしているらしい。リリーさんを先頭に冬夜と言乃花、しぶしぶと言った表情を浮かべた芹澤が屋敷内へ向かった。四人が去った大広間に残ったのはレイスとシリル。


「レイス、よくぞ皆を守り抜いた」

「自分は当然のことをしただけです。……まだまだ自分も修業不足っすね」

「仕方がないことだ。我々だけではクロノスへの対処は難しくなった。皆を連れて現実世界へ行け。次は向こうの世界で奴らが動く」

「御意。ところでフードの人物については報告通りで間違いなさそうっすね?」

「ああ、彼には辛い事実となるだろう……だからな……」


 クロノスと行動を共にする人物の正体に疑念を抱く冬夜。

 圧倒的な力を見せつけた彼らと再び対峙する未来へ向け、舞台は現実世界へと移り変っていく。


 第三章 ――完――

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