07

 

「なあ、さく……俺はあの時、なんて答えるべきだった?」


 真白い部屋で眠る彼を、毎週のように見舞いながらも、声をかけたのは久し振りのことだった。いつか返事が返ってくるんじゃないかと、期待することに疲れたから。


「……また、来る」


 一言だけ呟いて、病室を後にする。消毒液の匂いがする廊下を抜けて、駆け抜けるように階段を上がって、屋上庭園へと続くドアを開ける。いつもは入院患者の憩いの場であるはずのそこは、今朝から続く曇天どんてんのせいか、冷たく感じるくらいの無人だった。


「やっぱり、九十九くんだったんだ」

「っ……」


 背中に投げかけられた、あまりに耳慣れた声に、崩れ落ちそうになる。


「どうして、ここに」

「私の病気、ここで診てもらってるの。現代医学じゃ、治せないのにね……九十九くんのこと見つけて、思わず後をつけちゃった。受付から」

「受付からかよ……」


 それは、俺の行動の一部始終を見られた、ということだ。つまりは、俺も彼女に対して隠し事ができなくなった。


「それで、九十九くんの秘密は、教えてもらえるのかな」

「……別に、秘密でもなんでもない。親友の見舞いに、来ただけだ」


 そんな風に適当な返事をしておくが、小鳥遊がジッと俺を見つめるから、結局は根負けして並んでベンチに腰掛ける。


「アイツは、俺の中学時代の親友で……名前は朔。俺は今と変わらず、ただのガリ勉のつまらない奴で、朔だけが俺にしつこく付きまとって来て」

「それはちょっと、想像つくかも」


 神妙な顔をして頷く小鳥遊に、思わず乾いた笑いがこぼれた。


「朔は歌うことが好きで、よく自作の歌を聞かせてくれた。屋上で朔の歌を聞く時間が、俺にとっては一番大切だった……朔が俺に恋愛感情を抱いてると、告白するまでは」


 その展開は想定していたのか、小鳥遊は黙って俺の話を聞いていた。どうして分かるんだ……?あの時の俺は、そんなこと考えもしなかったのに。


「俺には、理解できなかった。どうして、この時間を壊してまで朔が踏み込んで来ようとしたのか。俺は『意味が分からない』と、突き放して逃げた。それで、諦めの悪いアイツは俺を追いかけて……事故に遭った。それからずっと、朔は眠り続けてる」

「……朔さんは、強い人だね」


 小鳥遊の感想は、なおさら意味が分からなくて、俺が黙っていると彼女は続けた。


「そういう愛し方も、あるんだなって思ったんだ。全部を捨てても、伝えたかったんだね」


 小鳥遊も朔も、俺には分からない世界の姿を見ている。それが、どうしようもなく苛立って、気付けば彼女を睨みつけていた。


「何もかも、大切なもの全部壊してでも、必要なことだったのかよっ!」

「そう、だよ……例え消えてしまっても、その瞬間まで抱き締めていたいくらいに」


 その答えは、ずるいと思った。ただ、彼女の横顔がどうしようもなく、泣きそうに揺れていたから。


「これ、九十九くんだけに見せてあげる。私の、秘密」


 そう呟くと、小鳥遊は小さな端末の画面を俺に見せた。表示されたのは、一つの連絡先。


正樹まさき、さん……これって」

「私のお守り、っていうか……あの時間が、本当にあったんだって確認するためのもの」


 大事そうに端末を抱き締めた小鳥遊は、自分自身に確かめるように言葉を落とした。


「伊藤先生が今年赴任してくるまでの、ほんの短い間だけど……お互いに教師と生徒だなんて、知らないで出会ってたんだ。別にお付き合いしてたワケじゃないし、何度か会ってお茶しただけ……でも、その時間の記憶と、この連絡先だけあれば充分だったの」


 顔を挙げた小鳥遊が浮かべた微笑みは、言葉を失うくらいに綺麗だった。


「朔さんの話聞いて、覚悟が決まっちゃった……もう、嘘はけない。ただの自己満足だったとしても、なかったことにはしたくないわ。これが、私の恋なの。九十九くん」



 *



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る