第6話 愛してしまいました

 マルティンは、仲間がオットーの餌にされたことに責任を感じているらしい。テオドーロの方はというと、「異形による異形殺し」を放置できない……とのことだった。


 ……そして、私はオットーの標的となっている。


 利害が一致している以上、我々が彼らと協力関係になるのは自然な流れだったと言える。


「オットーは餌にした肉体の記憶も引き継ぐはずだから、わたしの射撃の精度は知られているはず。ずる賢いやつだもの、間違いなく対策を取られてしまうわ」

「……えっ、記憶まで食うの? マジ厄介じゃん……」


 かすり傷だけでも「呪詛」の効果がある。

 物理攻撃で撃退したところで、すぐに復活する。

 記憶を引き継ぐことで対策を立ててくる。


 なるほど、なかなかに厄介な相手だ。


「そこまで来ると、封印を解くこと自体が危険でしょうに……なぜうかつに持ち出してしまったのですか」


 私一人をほふるため……と考えれば、あまりにもリスクの方が大きすぎる。

 ……と、言うより、明らかに「奥の手」として使うべき武器だろう。


「わたしに聞かれても困るわよ! そもそもあいつが持ち出したのか、誰かが持たせたかすら分からないんだから……」

「封印とかじゃなく、早めにぶっ壊しときゃ良かったじゃん」

「それこそわたしに言われても困るわよ! 50年前の誰かが使えるって思ったんでしょ」


 ヴィルの指摘に、マルティンはやれやれと首を振りつつ抗議する。

 危険物ではあるが、歴史的な遺物でもある以上、保管しておくべきと考えた理由はわからなくもない。……とはいえ、もう少し厳重にできなかったのか、とは思ってしまうが……。

 テオドーロの方は黙って話を聞いていたが、「あ」と思い出したように口を開いた。


「君たちは、手の内を明かしたのかい?」


 ……。何と、返すべきか。

 理性を失い、暴走したことが知られれば、再び「排除」の対象となる可能性も高い。

 今、私はマルティン達に「見逃されている」状況なのだから。

 ……などと考えていると、心外な一言が聞こえた。


「傷を負ってたってことは、また無茶な特攻をしてぶっ刺されたんじゃないかしら」

「な……っ! 私とて、何度も同じ手で失敗はしません。今回は引いて様子を窺いました」


 武器が特殊だったのは想定外だったが、私は決して考え無しに突っ込んだわけではない。

 回復力の高い肉体と、純粋な腕力の差を考えれば距離を詰めた方が有利を取りやすい。多少の傷は覚悟の上だ。

 ……まあ、それを、例の悪魔祓いエクソシストもオットーが宿った剣を持ち出したのだろう。


 ……。どちらにせよ、別の戦い方を学んだ方が良さそうではある。それは認める他ない。


能力ブーケを使うのはどうだい? アレはわかっていても引っかかるたぐいのものだ。個体によって特性が違うのだけど……コンラートくんのブーケは何かな?」


 そういえば、「吸血鬼」にはそんな能力があったのだったか。

 ……もっとも、そんな能力があること自体、初めて聞いてから日が経っていないのだが……。


「…………その…………」


 非常に、申し訳ない気持ちはある。

 自分の肉体のくせに、と言われれば何も反論できない。


「…………わかりません……………」


 私がそう告げた途端、視界がひっくり返った。


「な、なんだ!?」


 気が付けば、目の前にはヴィルの姿があった。

 頬は上気し、吐息が荒い。

 待て、何がどうなっている。


「ちょっと待っててな二人とも。一発ぶち込んでから続き話してい?」

「やめ、貴様、何を考えて……!! ん……っ」


 なぜ、今、この状況で興奮するのだこの男は……!?


「あだっ!?」


 胸を撫で回されたかと思うと、短い悲鳴が聞こえて視界が開ける。

 頭を押さえて呻くヴィルの背後で、拳を構えたマルティンが、真っ赤な顔で小刻みに震えていた。


「終わってからやんなさい!!!」

「うぃ、うぃす……」

「……ケダモノが……!」


 素早く服を整え、抗議する。

 まったく、二人きりの時ならまだしも……

 ……い、いや、断じて、二人きりの時であれば良いという訳でもないのだが! !


「ごめんな、神父様……」


 ぐ……っ、何だその涙目は。叱りにくくなるではないか。


「っていうか、コンラートくんって感度いいんだね」

「……あ゛?」




 ***




 テオドーロが妙なことを言い出し、ヴィルが掴みかかるなど多少の諍いはあったが、どうにか話し合いは再開できた。


「……私がおとりになるのはいかがでしょう。恨まれている可能性もあり、多少の負傷はすぐに癒えます。適役かと思われますが」


 ……という私の提案に、ヴィルは「えー」と難色を示す。


「やだよ。それ、神父様が危険な目に遭うじゃん」


 マルティンも顎に手を当て、眉根を寄せて考え込んでいる。


「囮ねぇ……。そもそも、あんたに向いてる気がしないんだけど……」


 演技力が足りないと思われているのだろうか。

 ……いや、私とて演技が上手いとは思っていないが……。


「……まあ……考えはあります」

「へぇ、そうなのかい? それはどういう?」


 テオドーロはなぜか楽しそうだ。

 というより、彼は常に陽気な気配を周囲に漂わせている。


 正直なところ、苦手な手合いだ。話している内容が理解し難いことばかりであるのも相まって、関わり方が難しい。


 ……それはともかく、囮になるに当たって演技力は特に必要ない。


「酒に頼れば、どうにか」


 酩酊状態になれば良いのだ。そうすれば、隙はいくらでも生まれる。


「……吸血鬼って、酒に弱いんじゃなかった?」

「うん、弱いはずだよ」


 ……しかし、不思議なものだ。

 私自身よりも、敵である彼らの方が、この身体の特徴をよく理解しているとは。


「でも良いんすか? 最近飲んでなかったっしょ」


 ヴィルの言葉には静かに頷く。


「そろそろ頭痛が出てきたところだ。飲めば治まる。問題ない」

「それ絶対ダメなやつよ!? 酒でストレス誤魔化すのやめなさいね!?」


 マルティンは血相を変え、テオドーロは納得したように大きく頷く。


「あー、追い詰められるとアルコールかセックスに逃げたくなる子、いるいる。僕の妻にもそれなりにいるよ」


 …………うぐっ。


「やめなさいよ、身体にも悪いし……」


 ………………。

 どうしたものか。何一つ、反論することができない。


「まあ、太陽光のが身体に悪い気もするから何とも言えないんだけどね。飲酒で吸血衝動が紛れる場合だってあるし」


 吸血衝動を誤魔化していたのは、まさしく図星だった。

 傷を負った時は尚更、私の身体は血を多く必要とする。

 ヴィルの血を飲み過ぎるわけにはいかない。根本的な解決にならなくとも、何かで紛らわせることができるなら、最悪の展開を先延ばしにはできる。

 ……ただ……苦痛に耐えかね、快楽に屈した言い訳だと言われれば、否定はできない。


「精神が弱いのか強いのか、よくわかんない奴ね……」

「脆くて儚いけどパワーはあるってことで良いんじゃねぇ?」


 ヴィルの言葉に、マルティンは納得したように頷いた。


「……爆弾みたいな感じね」

「あー、それっぽいかも」

「ば、爆弾…………?」


 どういう意味だ?

 そう問おうとすると、マルティンが近付いてくるのが目に入った。


「……ッ」


 マルティンは何やら言葉を飲み込み、険しい表情を作る。

 腰に指を伸ばす動きが見えたかと思えば、ヴィルがすかさず首に刃物を突きつける。空気が凍てつく中、マルティンは動揺した様子すら見せず、淡々と告げた。


「あんたが民間人に危害を加えるなら、わたしは殺さなきゃいけない。……それだけは、理解しておいて」


 銃に伸ばした指を元の位置に戻し、マルティンはくるりと背を向ける。

 それを見て、ヴィルも臨戦態勢を解いた。

 ……空気は未だに張り詰めている。


「囮作戦自体は賛成だけど……あんたが路上に泥酔して転がってても罠にしか見えないわ」

「まず混乱するし、警戒するだろうねぇ。コンラートくん、真面目そうだし。……それで?」


 テオドーロは苦笑しつつも、マルティンの次の言葉を促すよう、碧眼へきがんを煌めかせた。


「……必然性のある状況を作るべきよ。目撃情報を流して酒場で待ち構えるとか、ね。ヴィルと飲んでるなら警戒心も薄れるでしょ」

「……協力してくださると言うことですね」


 私の言葉に対し、マルティンは視線を合わせることなく頷く。


「他に良い作戦も思い浮かばないしね。……じゃ、わたしは『仕込み』に行ってくるから」


 そう言い残し、マルティンは部屋を出る。その背を見送り、テオドーロが私に向けて囁いた。


「彼女、本当は君を助けたいと思ってるんだよ。立場上、言えないけどね」

「…………」


 私も、何とはなしに感じ取ってはいた。

 彼……いや、彼女が、慈悲深い心を持った人物だと。

 つくづく、難儀なものだな。……「生まれ」というものは。


「大丈夫っすよ、神父様、どうなってもオレが守るんで」


 ヴィルがいつもの如く励ましてくる。

 嬉しい、という感情はある。その手に縋り付きたいとも思う。

 だが……それは……


 再び、頭がズキンズキンと痛み出す。

 数多の「死」が、数多の悲嘆と絶望が、脳内をぐるぐると巡る。




 そして──


 血に濡れた剣。

 切り刻まれた屍。

 転がった頭部。

 真っ赤に染まった手──


 私は、

 あの惨殺を、確かによろこんだのだ。




「愚か者」と呟き、あえて冷たく突き放した。


「修道士マルティンは間違っていない。……もし私が一般人に危害を加えるのならば、武器を向けるべき相手を見誤るな」


 揺れる茶色の瞳を、しっかりと見据える。


「もし『その時』が来た場合……貴様が殺すべきは、私だ」


 ヴィルは泣き出しそうな表情を浮かべたまま、何も語らない。

 ただただ唇を噛み締め、拳を固く握り締めている。


「ヴィル。……頼む」


 縋るように、語りかける。

 私が、もし、これ以上本物の怪物に成り果てるようであれば……


 終わらせてくれ。


 父や母、祖父、兄、司教様や教会の面々、ヴィルの両親や時代のうねりの中に散った人々、オットーの呪詛の一部にされてしまった者たち……そして、私が殺めてしまった者たち……


 数多の「死」を、悼むことができるうちに。


「……囮作戦は嫌っすけど、一緒にいるならオレが撃退できますし、それ以外作戦もねぇんならそれでいいっす」


 ヴィルは、強い意志の込められた瞳で、私を見つめ返す。


「だけど、これだけは覚えててください。オレは絶対、神父様を殺しません。どれだけ嫌がられて罵られたって、死んでも護ります」


 執着と情愛の渦巻く瞳が、私を射抜く。

 瑪瑙めのうのように輝く瞳の中、汚濁おだくに染まりきらなかった清い光が、きらりと輝く。


「愛してますから」


 あたたかい手のひらが、私の手を包み込む。

 涙が零れ落ちそうになるのを、どうにか堪えた。


「コンラートくん、ひとつ、教えてあげよう」


 ……と、テオドーロの声が聞こえてくる。

 いつの間にか扉の付近に佇み、彼は楽しげに微笑んでいた。


「愛は、突き放すほど燃え上がるものさ。彼の愛も、僕の愛もね」


 ウィンクを一つし、テオドーロは部屋を出ていく。

 一瞬だけ間が空いた後、ヴィルは弾かれたように立ち上がり、その後を追った。


「おい待ちやがれ! てめぇの愛は燃え上がらせんな!?」

「僕の愛を止めることは、何者にも不可能さ! 僕自身ですらね!!」

「マジふざけんなよ変態野郎……!!」


 廊下から響く軽やかな声と、廊下に向けたヴィルの怒声が響く。


 寝台に腰かけたまま、呟いた。


「……お赦しください……」


 嗚呼、主よ。

 どうか、私をお赦しください。

 私は……間違いなく、彼を……

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