後編 心の声は欺けない

 翌朝、痛む腰を押さえつつ起き上がると、テオドーロはケロッとした表情で「おはよう」と言ってきた。……昨夜のことを思い返すと、恥で死ねそう。


「今日も仕事だろう? ……まあ、僕としては少しでも失敗が増えてくれると嬉しいんだけど」


 ヘラヘラと笑いつつ、テオドーロは噛み傷だらけの肌を隠しもしない。……わたしが噛んだ記憶はないし、あの後も誰かとってこと……? 嘘でしょ……?


「あんたねぇ……。……今回は実際に被害が出てるもの。そういう訳にはいかないわ」

「へぇ、そうなのかい?」

「売春婦が噛まれて怪我をしているらしいのよ。趣味が嗜虐的……ってだけの話なら良かったんだけど……どうやら祖父も吸血鬼として処刑されてるっぽくて」

「……なるほどね。危険分子と判断されてしまったわけだ」


 仕事の話は憂鬱だけど、悪魔祓いエクソシスト同士である以上、しない訳にはいかない。

 好きな仕事というわけではないけれど、それでも守らなければならない秩序がある以上、やれることをやるしかない。


「弟達にも知らせていなかったあたり、徹底して隠そうとしていたのね……売春婦ばかり被害に遭ってるのも納得だわ」

「ああ、そういえば会議で名前を聞いたかな。ギルベルト・ダールマン……だったかい? 有名な商人だろう?」


 テオドーロはふむ、と考えつつくだんの吸血鬼の名前を挙げる。

 ……寝ていることも多いくせに、大事な部分はちゃっかり耳に入れているのね。


「ええ。逆に言えば、有名だから隠れられなかったのね」

「……摘発の経緯に関しては……何かを隠している感じもしたけどね」

「隠している? 何のために?」

「さぁ? そこまでは分からない」


 ニヤリと意味深に笑い、テオドーロは肩を竦めた。

 案外頭も切れるし、食えない奴ね……。


「男も結構イケるって気付いたし、口説きに行こうかなぁ」

「…………狩られるのとどっちがマシなのかしらね。あと、わたしは女よ」

「おっと、そうだったね。ごめんよ、お嬢さんシニョリーナ

「その呼び方はその呼び方で気持ち悪いわ……」


 そう……わたしはいつも通り、仕事をするつもりだった。今までは同情する気持ちはすっぱり切り捨て、仕事は仕事として「異形」達を狩り、その後で祈りを捧げるのがわたしのやり方だった。

 テオドーロとうっかり深く関わり、彼の価値観に触れてしまったことが関係しているのか、わたし自身、自分の肉体と魂の乖離を強く自覚したことが関係しているのか……どちらが原因として強いのかは分からない。

 ……ともかく。事実として、わたしの心には迷いが生まれてしまっていた。




 ***




 心臓を撃ち抜かれ倒れ込んだ男は、呻きながらもまだ動いていた。

 吸血鬼は頑丈だし、何なら「一度死んだ」後こそが手強い。人間と死の概念が違う彼らは、死体に見えたとしても灰になるまで油断ができない生命体だ。


「……弟と妹も、もう一度徹底的に調べなければ」


 同業者の呟きは、至極当然のことだった。

 吸血鬼は同じ血筋からよく誕生する。兄弟で吸血鬼であることは、特に珍しくない。……まあ、兄弟の中で一人だけが吸血鬼であることも、別に珍しくはないのだけど。


「……済まない、コンラート……」


 ……と、手負いの吸血鬼……ギルベルトは口の端から血を零しながら、誰かの名を口にした。


「……弟の名前?」

「ええ、調査資料によると、ダールマン家の次子ですね。エルザスの教会で司祭をしていたそうですが……先日、死亡したそうです」


 司祭……という言葉に思わず反応してしまう。

 兄が吸血鬼なのに弟が聖職者って、皮肉な話ね。……いえ、必死に隠そうとしたのかもしれないけれど。


「弟が神父……」

「ほら、ハインリッヒ司教が襲撃された事件があったでしょう。あの時に……」

「ああ、あの事件……」


 聖職者達の間では有名な事件だ。

 ハインリッヒ司教は帝国主義に疑問を呈し、真っ向から歯向かった。……表向きは賊の襲撃となっているけれど、帝国の差し金である疑惑も浮上していて、教会と帝国の溝は更に深まりつつある。

 司教は襲撃当時、司祭時代に勤めていた教会にいたらしい。その場に居合わせた者はほとんど殺されたから、本当に帝国の仕業かどうか……真相は闇の中だ。


 ……で、巻き込まれた被害者の中にギルベルトの弟もいた……。同時期に次男と長男が立て続けに不幸に遭うなんて、悲しい偶然ね……。


「……頼む、弟だけは……助けてくれ……」


 攻撃してくる気配がないから、とどめを刺そうと近づき……瀕死の掠れ声を聞き取ってしまう。


「コンラートは……本当に、神を信じている。肉体がどうあれ……信心深さは、本物だ……」


 ……待って? その弟は、襲撃に巻き込まれて死んだはずじゃないの?

 一瞬の混乱が、仕事のため作り上げた仮面にヒビを入れた。


「頼む……」


 わたしも、彼と同じく長男だった。

 妹が目を潰されそうになった時、必死で両親に許しを乞うたことを覚えている。


 ──わたしが頑張りますから。悪魔祓いとして、立派に仕事をこなしますから。どうか、どうか……! お願いします……!!


 苦痛を知っていたからこそ、犠牲にしたくなかった。同じ道を歩んで欲しくなかった……。


「……必要であれば、この身を切り刻み、調べ尽くしてもいい……。……どうか、コンラートのことは……」

「…………まさか」


 テオドーロが「摘発の経緯」を疑っていたことを、思い返す。

 ギルベルトが吸血鬼であると判明した原因が弟のコンラートにあると考えれば、辻褄は合う。

 司祭階級が吸血鬼だったとなると、教会はどうにかして隠し通そうとするだろう。ただでさえ教会は権威が弱まっているうえ、下手をすれば司教襲撃事件についても不利な情報になりかねない。


「頼む……弟だけは……」

「……悪いけど……約束できない」

「……そうか……」


 懇願を蹴りはしたものの、その頭を撃ち抜くことは……わたしには、できなかった。


「ギルベルト兄さん、逃げて!!!」


 甲高い声に振り返ると、プラチナブロンドの若い娘がそこにいた。わたしの同業者に羽交い締めにされながらも、懸命にもがいている。


「嫌よ! コンラート兄さんに続いて、ギルベルト兄さんまで……!! そんなの嫌!!!」

「こ、こら、離れなさい! 彼は吸血鬼だぞ!」

「だから何よッ!!! 兄さん達は、素敵な人だわ!! エルンストだってそう言うに決まってる!! あんた達に何が分かるってのよ……!!」


 ……ああ、もう、嫌になるわ。

 普段なら「仕事だから」で割り切れたって言うのに。


「つ、連れて行きます! どうせ、調査は必要ですし……!」


 仲間の言葉には静かに頷き、わたしは再び、ギルベルトの頭に銃を突きつける。……撃ち抜くまでのためらいが、運命を分けた。


 カッと赤い目を見開き、ギルベルトはわたしを凝視した。「助けなければ」と……有り得ない感情が胸中に沸き上がる。

 能力ブーケを使われたと気付いた時には遅く、ギルベルトは脇をすり抜け、窓から飛び降りて逃走を図っていた。




 ***




「……で、どうなったんだい?」


 就寝前。

 テオドーロに仕事のことを聞かれ、大きくため息をついた。


「ギルベルト・ダールマンは帝国軍に見つかり、射殺された……って、聞かされたわ」

「うーん、まずいね。借りを作ってしまったか」

「ええ……こっぴどく叱られたし、知るべきじゃない情報も知っちゃったから……今度は厄介な仕事を回されそうね」


 実際、わたしのミスであることに間違いはないし、言い逃れはできない。

 わたしが情に流されず頭を撃ち抜けていたのなら、取り逃すこともなかったはずだし……。


「僕が慰めてあげようか?」


 頬に手を伸ばされたから、バシッと叩いておく。


「要らないわよ」


 手をさすりながら、テオドーロは「じゃあまたの機会に」と苦笑する。

 ……ああ、もう。満更でもなく感じてる自分が嫌になるわ。


「厄介な仕事だって言うなら、手伝ってあげてもいい」

「……それ、余計に面倒臭くなりそうね……」


 本音を言うと、予感はしていた。

 もう、わたしはかつてのスタンスに戻ることは出来ないんだって。

 自分の心に嘘をつき続けるのには、限界があるって……。


「しかし吸血鬼ヴァンピーロ兄弟か。惜しいな。美人なら、侍らせるのも悪くなかったかもしれない……あだっ」


 ブツブツとぼやくテオドーロの頭をシバき、ベッドに潜り込む。

 次の仕事に備えて、早く寝てしまいたかった。


 ──頼む……弟だけは……


 目をきつく閉じても、「兄」の懇願は、いつまでも耳から離れなかった。




 ***




 ……ああ。

 だから、こうなったんでしょうね。


「良いこと? わたし達の立場じゃ、次に出会ったら戦わなきゃいけない。……だけど、『人目に付く場では、派手な行動ができない』……もう覚えられたかしら、坊や」


 もう、わたしは、自分自身を偽れない。

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