第11話 きっかけは

 翌朝、ほとんど眠れず、半開きになっている瞼を擦りながら登校した。眠いはずなのに、やけに思考ははっきりとしている。


 昨夜、謝ろうと決心したにもかかわらず、いざとなると怖気付いて、膨らんでいた決意もシュワシュワと萎んでいく。田中も気まずいのか、こちらと目が合うたびにバツが悪そうに視線を逸らした。いやいやそれでも・・・・・・と同じようなことを繰り返しているうちに時間はあっという間に経ってしまっていた。気づけばもう、帰りの会でさえ終わっている。


 半ばぼうっとしながら鞄に荷物を詰め込んで、チラリと田中の方へ視線を動かした。友達と楽しげに話し込んでいる。教室で謝るのは無理そうだ。そう思って、もう二度と迷うことのない部室へ向かう。初めて田中に連れられてこの廊下を歩いたのはたった数週間ほど前だというのに、だいぶ昔のことのような気がしてくる。


 今日、田中は部活に来るだろうか。いや、必ず来るだろう。あいつはどんな事情があれども、部活をサボるなんてことしないだろう。それは田中の信条が許さない。


 部室の前に来ると、まだ河合さんも早瀬さんも、この前来てくれた一年生も来ていなかった。当然、教室の鍵は閉まっている。仕方がないので通り過ぎてきた職員室まで引き返そうと踵を返したその時だった。


「あ」


「あ」


 僕らは───僕と田中はお互いに短く声を上げた。田中の手には鍵が握られている。


 背中にじわりと嫌な汗が滲む。口の中の水分はどこへ行ってしまったのやら。口を開こうとするたびに粘ついた唾が邪魔をしてうまく声が出せない。


「あ、あのさ」


 なんとか、言葉を発する。意外にも、一度声を出してしまえば、騒ぎ立てていた心臓の音がより一層大きくなる。


「昨日のことなんだけど、本当にご───」


「おー、お前らどうした。」


 僕の謝罪の声に被せるようにかけられた気怠げな声。その声の持ち主──原田先生を思わず睨んでしまう。


「あ、もしかしてなんかお取り込み中だった?」


 ……もしかしなくてもそうだ!わかるだろーがっ!


「ああ、すまんすまん。お邪魔虫は退散すっからまあ、頑張れよ、少年。」


 なんら悪びれる様子もなく、原田先生は僕に向かって親指をグッと立て、そのままふらふらと歩いて行ってしまった。


 あの人、何かいらぬ勘違いをしているんじゃないか・・・・・・。


 先生の姿が見えなくなってから、仕切り直すように、小さく息を吐いた。不思議と、さっきのような緊張はもうなかった。


「昨日はごめん。僕は田中のこと何も分かってなかったし、分かろうともしてなかった。それで自分の考えを押し付けようだなんて浅はかにもほどがあった。本当にごめん。」


 返事は、すぐに帰ってこない。沈黙が痛いほどに突き刺さる。でも、これはしょうがないことだった。自分でまいてしまった種だ。その痛みを受ける義務がある。


 どれほどか経った頃、田中ははあ、とため息のようなものをついて「あのさ」と口を開いた。


「もう、聞いてるとは思うんだけど、私のお母さん、幽霊部員のせいで病んじゃったのね。だから私はそういった人たちを許さないでいた。まともに部活に出ようとしない人たちを絶対に受け入れるもんかって。でも、あの後帰ってから、冷静になって考えてみたの。そしたら、今がないと未来なんて作れないって気づいた。」


 俯いていた田中はそこで言葉を切ると、こちらを真っ直ぐに見つめた。迷いのない、どこまでも真っ直ぐな眼差しで。


「こちらこそごめんなさい。今回のことは私が間違ってた。」


「いや、僕が悪いんだ。だから田中ぎ謝ることじゃない。」


「違う、私が悪いんだよ。私情を持ち込みすぎて先走ってた。」


「僕が・・・・・・」


「私が・・・・・・」


 声が被って、ようやく僕らは口をつぐんだ。再び訪れた沈黙ののちに、ふふっと笑い声が漏れた。先に笑ったのは田中だった。僕も釣られて笑みをこぼす。


 仲直りは案外呆気なかったような気がする。それはらあそこで偶然か必然か、原田先生があの場の空気を崩してくれたせいのようにも思える。


 さっきは睨んですみませんでした、ありがとうございます、と心の中で謝罪と感謝の意を伝えてこちらに意識を取り戻す。


 田中は鍵を開けて部室に入ろうとしている。その横顔には田中らしい覇気があった。


「新庄くん。」


 ガラガラとドアを開けて田中はこちらに顔を向けた。


「これからも、よろしくね。」


 そう言って、田中はにっと笑って見せた。どきり、とする。いつもと同じ声で、顔で、雰囲気なのに、そのはずなのに。


 いや。きっと、窓から差し込んだ光がいい按配に彼女を照らして眩しく見えたからだ。そんなふうに思い直して僕も田中に続いて部室に入った。

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