腐れ剣客、異世界奇行

アゲインスト

第一章 腐れ剣客、異世界に推参

腐れ剣客は洞窟で目覚めた


 ――唯一と覚えていることといえば、見上げた空の一点がおもむろに光を放ち、それが頭上へと降り注いだことだろうか。

 まあ、それも結局忘れてしまっているのだが。

 

 

 

 

 

 

「――さぁて、これは一体どうしたものか」

 

 男の漏らした呟きが、洞窟の中に響いて消えた。

 周囲は薄暗く、遠くに揺れる光源だけが座り込む男の視界と体を少しだけ照らし、地面に微かな影を作り出している。

 むき出しのざらついた感触が尻に不快感を与えていたのだが、それどころではない事態に男は直面していた。

 

 

わし――死んだんじゃなかったかのう?」

 

 

 そう呟いて、顎をさすりううんと首を傾げる。

 ぼさついた黒髪が片目を隠し、もう一つの方は空の一点を見つめ動かない。暫く男はその姿勢のまま、自分の身に何が起こったのかについて考えを巡らしていた。

 

 

 思い出すのは最後の瞬間――今生に別れを告げた時のこと。

 くうを舞うかしら

 胴より切り離され。

 痛みはなく、ただ景色がぐるりと回転し、浮かぶはこの夜天やてんも見納めかという名残惜しさと――ついに果たすことの出来なかった悲願のこと。

 意識が闇に塗り潰されるその刹那の際まで、結局は手放すことが出来なかった絵空事。

 あの時。

 自分は確実に、この身に宿った命を散らしたはずである。


 

 それはもう見事にしっかりぽっくりと。

 なので間違えようもないはずなのだが……しかし不意に黒塗りだった意識がピンと冴え渡り、瞼を上げればそこは何処とも知れぬ洞窟の中。

 大の字。

 横たわったまま開けたまなこ

 映るは岩の天井、ぽっかりと空いた空間。

 獣の住み処か。

 ぽつん一人きり。

 そして五体満足の肉体。

 

 よもや狐にでも化かされたかと思うも感覚は全て真実まことを示し、それならそれでどうにもこうにも道理が合わぬと――今までうんうんと頭を悩ませていたのである。

 もしや記憶が偽りか。

 別の何かをされたのかと体をまさぐってみるもどこにも異常はなく、かといって何が悪いということもない。

 寧ろ死ぬ前よりもよほど調子がいい。

 

「まあええか、なんぞ不便があるでもなし。儲けもんじゃと考えよう」

 

 結果――男はこれを前向きに受け止めることにした。

 『特に問題もなさそうだしいっか』と思考を投げ出したのである。

 それよりもこの謎の場所についてだ。

 

 

 

 先ほど獣の住み処と言ったがそもそもこんな大きさの穴が必要な動物がいるだろうか、それもわざわざ固い岩を掘り抜いてで、だ。

 それよりも。

 ここは人の作ったものと考えたほうが色々と納得のいく所が多い。

 

 例えばそれは洞窟の先の方に見える”揺れる光源”。

 規則正しい壁の作り。

 これを獣が?

 いや。

 いやない。

 なれば。

 なればここは、人の手が入った場所。

 そして男の考えが正しければ、今まさにここは使用中であるはず。

 

「で、あればまずは出口か人か。

 できれば言葉が通じるといいんじゃが」

 

 呟きつつスクっと立ち上がった男。

 色々と考えはしたがそれは全て想像にすぎない。

 ならばこれ以上あれこれ考えるより行動した方がいい。

 そう割り切った男の目に迷いはなく、まずは視線の先に灯る光を目指して歩みを進めていくのだった。

 

 

 

 そうしてしばらく壁伝いに移動し最初の目標に到着。

 そこには思っていた通り、壁掛けられた一本の松明があった。

 持ち手や掛け台の擦れ具合からこれがここに備えられたのは最近のこと、少なくとも一月以内ではあると推察出来る。煌々と燃える炎が洞窟を流れる緩やかな風に揺れ、男はゆっくりと洞窟を見渡した。

 

 形自体は半円状――かまぼこみたいと言えばいいのだろうか。

 壁面が男の倍はある高さとそれよりも更に横が広く削られていて、側面にはここと同じように転々と松明が掛けられているように見える。

 だいぶ遠くのほうまで続いているようだ。

 どうやらこの洞窟、かなり規模の大きな所らしい。

 

「ふむ、やはり人の手が入っておる。しかしそれにしては支えになるようなもんがないのが気になるのう……――ん?」

 

 と、そんな時。

 男の耳が何かを捉えた。

 それは風の流れに混ざり、やけに纏まりのないザワザワとしたもの。

 視界を閉じ――集中。

 そして拾う。

 

 

 ――これは、人の声だ。

 

 

「こりゃええ、儂ゃついとるぞ」

 

 喜色満面。

 すかさず動く手足。

 聞こえてくる声を頼り全力疾走、悪路をひた駆け走り抜ける。

 飛び過ぎる景色見向きもせず、先へ先へ。

 しかしそれは。

 十も数えぬうちに速くなり、倍の歩幅で地面を蹴る。

 明らかに過剰。

 過ぎに過ぎた加速。

 

「んー……ちと、不味いか」

 

 近づくほど、音、鮮明に。

 途切れ途切れ、聞こえる状況。

 一際ひときわ鳴りしは――衝突、衝突、甲高く。

 それが何か、大勢のざわめきと共に聞こえる、響く。

 脳裏に浮かぶ剣呑の二文字――想像せざる得ない”最悪”の情景。

 

 それだけは勘弁だぞと願いながら。

 加速止まらず。

 駿馬の如く。

 

 道中現れ。

 分かれ道。

 行き先迷わし。

 されど焦らず、耳澄ませ。

 選ぶは一択。

 方角ずばり、近づく目的地。

 

「――っと」

 

 それを数度繰り返し。

 騒音の源――広い空間に繋がるところへの入り口が見えた。

 加速を落とし念のため音も消して身を屈めスルリと侵入。

 岩の影に隠れながら顔を出して様子を伺う。

 中はすり鉢状のような広間。

 所々に篝火が炊かれ向こうで何かが影を踊らせている。

 注意深く飛ばした視界に捉えたのは、男の正気を疑うような奴らの姿であった。

 

「なンじゃあ、ありゃ……――”餓鬼がき”、か?」

 

 

 

 体躯は小さく、男の腰の辺りまでがほとんど。

 身の丈五勺ごしゃく六寸ろくすん――約百七十センチ――もある男と比べ丁度子供と大人のような体格差と言えるだろう。

 禿頭のてっぺんから足の先まで緑の肌。

 醜くく尖る耳。

 腰布だけを身に付け、小ぶりに膨れた腹を隠しもしないその姿。

 

 

 

 それは架空の存在のはずの――『餓鬼』と瓜二つであった。

 

 

 

「ふむ、餓鬼……餓鬼道か?

 ではやはり儂は死んだのか?

 奪衣婆だつえばにはいつ会った?

 三途の川も見てないぞ」

 

 想定もしていない事態に思わず乱れる思考。

 何せ餓鬼である、それもたぶん本物の。

 まさかまさかの、そのまさか。

 生前は確かに褒められた生き方をしてはいなかったが餓鬼道に落ちるような悪行はしていなかったはず。

 それに閻魔に会ってもいないし特に空腹で苦しんでいるわけでもないな――などと呑気に考えて。

 

「――っいかん、今はこっちじゃ」

 

 はっと。

 そんな場合ではないぞと。

 ここに来たそもそもの理由を思い出した男。

 一旦そのことを頭から追い出し、岩場の影から群れの中へと視線を走らせた。

 

 

「――お、あれか?」

 

 そして。

 餓鬼共の壁に阻まれて中々上手くいかなかったのだが、ひょいと一匹が横にずれ――

 

 

 

 ――緑の壁に囲まれたその先に、キリリと眉尻を吊り上げ周囲を睨み付ける、幅広の剣を前に構えた、金の御髪おぐしの異国風の少女の姿があった。

 

 

 

 

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