第12話 気持ちの変化

 目の前を歩くシリウスを見ていると頭が痛くなった。


「今日も手入れありがとう。その花をあとで部屋に送ってくれるかな?」

「えッ……はい! かしこまりました!」

「料理長もさっきは料理ありがとう。カナリアと美味しく頂いたよ」

「へ、へい! それはよかったです……」


 鉛中毒前は無愛想で性格が荒れていたこともあったが、仕事をしている使用人たちにわざわざ労いの言葉を掛けていく姿が前とは違いすぎる。

 私だけがそう思っているわけではなく、他の使用人たちも何か変なモノが取り憑いているのではないかと、疑わしそうに見ていた。

 そしてその視線が私へ向かうことで勝手に妙な納得されている気がした。


「もしかして……何か変な薬を使われたのかも」

「いつも部屋に籠って何かしているみたいだから黒魔術だったりして……」


 噂好きのメイドというのはどこの国でも変わらないようだ。

 ただこの爽やかな対応を私のせいにされても困るので、私は井戸端会議をしている者たちへ睨んでやると、すぐに慌てて仕事へ戻っていく。


 中庭に出て、散歩をする。日焼け防止用のフードを身に付けているが、日中だとやはり暑い。お互いに無言で歩き、庭園の半周を回り終えたところで彼は私へ話しかける。


「カナリアは庭園が好きだと聞いて、この中庭を作らせたんだ」

「どういう……ことですか?」


 唐突過ぎて私は首を傾げる。彼は気恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いて言いづらそうだった。


「知らないかもしれないが帝国に統合されてから、人質として帝国に一年間留学したんだ」


 知っている。蛮国ことブルスタット公国は帝国の属国になったことで、王族たちはしばらく帝国に人質になったのだ。

 その時にブルスタット公国の王子たちも一緒の学び舎で勉強していたと聞くが、私はあまり接点を持とうとはしなかった。ただ彼は特に挨拶に来なかったことを責めるつもりはないようだ。


「カナリアと皇太子が楽しそうに中庭でお喋りをしていたところを見ていて。ずっとその横顔が目から離れなかったんだ」


 私は時間があればよく婚約者だった皇太子を誘って中庭でお茶会をした。

 その頃はずっと幸せが続くと思っていたが、今では苦しい思い出となった。

 子供の頃から婚約者に選ばれ、皇太子の妃として恥ずかしくないように勉学と教養に惜しみない時間を作った。

 それも今では全て無駄になってしまったため、私の中で空虚な感情があった。


「もう昔のことです。今では花園の良さなんてこれっぽっちもわかりません」

 少し冷たいが、私の偽らざる気持ちだった。せっかく作ってくれたのは嬉しいが、全く気持ちが動かない。

「もっと似せられたら違かったんだろうけど」


 シリウスが目を一点へ向ける。つられて私もそっちへ目を向けると、枯れているのに取り残された花壇があった。


 ──あの花って……。


 シリウスと共にその花壇まで足を運ぶ。

 ほとんど枯れて原型が分からなくなっているが、一輪だけまだかろうじて分かった。


「シネラリア? どうしてこんなところに……」


 シネラリアは涼しい国の青い花だ。蛮国は砂漠地帯が多く、夜は冷えるが日中はかなり暑い。そのためシネラリアの気候に適さず、こんな風に枯れてしまうのだ。


「留学した時に君が好きだと噂を聞いてね。君が俺のところへ来ることが決まったときに取り寄せたんだけど枯らしてしまったんだ。店の主人には悪いことをしたよ」

「私のために……ですか?」

「婚約者に喜んでほしいのはどこの国の男だって同じさ」


 まさか私のことをそこまで考えてくれたとは思ってもいなかった。

 どう返事すればいいか分からず、私はまだ枯れきっていないシネラリアを手に持ち、シリウスへと手渡す。


「一輪だけでいいので……その……」


 どうして緊張しているのだ。私はただ彼を気遣っているだけで、同情心からやっているに過ぎない。そう自分に言い聞かせ、目を合わせずに最後まで呟く。


「部屋が殺風景で困っていたので、これだけ置いてください。無いよりはマシですから!」


 シリウスからの返事はないため、チラッとだけシリウスの様子を窺う。バッチリと目が合うと、やっと花を受け取ってくれた。


「すまない、嬉しくて……すぐに届けるよ」


 ちょうどその時にシリウスを呼ぶ声が聞こえてきた。メイド長がシリウスを探しているみたいで、大きな声で仕事に戻るように言う。シリウスもそんな時間かと、仕事へ戻ろうとした。


「来てよかった。もっと良い中庭にするから、また一緒に歩こう」

「絶対に嫌です」


 私は即答すると、シリウスは傷付いたかのように顔を沈めたが、すぐに元の爽やかな顔に戻る。どうやら私に気遣ってのようだった。


「はは、まだ信頼されるわけないよな」


 乾いた笑いをさせてしまい、私も罪悪感が湧いてくる。しかし勘違いしているようだったので訂正はしておこう。


「貴方のセンスに任せておけませんので、わたくしがこの場所に合った中庭を作ります。だから私が作った庭園で散歩するなら構いませんよ」


 シネラリアを植えようとするくらい花への造詣が浅いようなので、これは私が主導してやった方がいいだろう。仮にも王族が住んでいるのにこれではお粗末過ぎる。

 元々薬草を栽培する趣味はあるので、草花の知識に関しては自信があった。


「ああ!」


 ガバッと両手を広げて抱きつかれた。


 ──近い、痛い!


「ちょっと! 離しなさい!」

「ああ……すまない!」


 やっと彼が離してくれる。さっきから感じるが、蛮国のスキンシップは近すぎる。

 お互いの息遣いを感じるほど彼の顔が近く、熱を帯びている彼の目に惹きつけられた。

 そしてゆっくりと彼の顔が近付いてきて、私は何故だか嫌がらずに受け入れようとする。


「シリウス様、こちらいらっしゃいましたか!」


 大きな声のせいで私とシリウスはハッとなり、顔をお互いに背けた。

 とうとう場所を見つけたメイド長が息を切らしながらやってきたのだ。


「はぁはぁ、シリウス様。部屋におられないので心配しましたよ。さあ、仕事がたくさんありますのですぐにお戻りください!」

「分かっているよ。カナリア、また時間を見つけるから、また後で!」


 シリウスはメイド長と共に執務室へと向かっていく。残された私の元へエマがやってきた。


「カナリア様、久々のお散歩はいかがで──」


 エマは私の顔を見て息を呑んだ。


「戻りましょう」


 私は短く伝えて歩き出す。


「カナリア様、顔が赤くなっていますが、もしやお熱でも!」

「違うわよ。ちょっと日に当たって日焼けしただけよ」

「日焼けにしては色合いが……」


 途中でエマは何かを察したかのように無言で後ろを付いてくる。

 私だってどうかしていると思う。

 蛮国の男を受け入れようとしたなんてね──。

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