24話・前編 夜と行く
ロックが小さな音を立てて外れた。ドアチェーンを外す前にL字型のドアノブを捻って、隙間から廊下を覗く。
「ミコト」「何?」「一人?」「うん」
いいじゃない。用心に越したことはないんだから。
一端ドアを閉めてチェーンを外すと、わたしは廊下へ身を躍らせた。強烈に明るいわけじゃないけど、眩しくて目がくらんでしまって、少しふらついた。
「……ちょっと外に出れば、こんなに明るいのにね……」
意を酌みかねたのか、ミコトが眉をひそめて困惑気味の顔になっている。
「ミコト」「何?」
「図々しいお願いに来たんだから、最後まで図々しくしなさい。あんな態度取られたら、断った方だって気を悪くするんだから……イライラするのよ、そういうの」
「う、うん……分かった」
「分かればよろしい。……で、学長室の場所は? どっち?」
「え……こっちの方から、二番目の横道を右に入って……」
ふうん、とわたしはミコトの言葉を最後まで聞かずに歩き出した。
ここ居住エリアは筒の最外周。三階層中、地球に最も近い重力が働いている階だ。あの『洗濯機』同様、わたしが立っている廊下はぐるりと一周している。
でも、断面は輪っかじゃない。はおおまかに蜘蛛の巣、ううん……頂点に棘のない、雪の結晶だろうか。それが横並びになっていて、角から延びた横向きの大通りで繋がっている。
円状だといつまでも上り坂になってしまうから、なるべく真っ直ぐな床を渡しているんだそうだ。
その大通りまで歩くと、わたしは後ろをついてくるミコトに振り返って、
「案内してくれるんでしょ?」
「う、うん……磨理、あの、何かあった?」
「ん? ちょっと気分がいいだけ。ほら、行った行った」
顎で道をしゃくってやると、ミコトは釈然としなそうな感じで歩き出した。わたしはその後に続く。今気づいたけど、ミコトは鞄を手に提げていた。
時間も時間だからか、人影も見えない。わたし達の足音だけが響いていた。
左右にはずらっと部屋が並んでいる。現状、居住区の稼働率はかなり低い。というか、アカデミーという容器が人造物として大きすぎるのだと思う。
わたし達が向かっている方向はあの入り口側で、その反対側、底の方へは途中でシャッターが閉まっていて、行けなくなっている。まあそっちは大半、倉庫と酸素農場だから用はないけど。
「…………ここが一杯になる日って、いつになるんだかね」
「一杯になるより先に、地球に出先機関ができるだろうね」
なんだか、妙にリアルなことを言う。らしくないな、なんて勝手に人の性格を決めつけたくはないけれど。
「そういえば、何しに行くの?」
「うんまあ、預かったものを、ね」
歯切れの悪い答えで、それがおじいさんに関連した物品であることは容易に想像できた。
ミコトが足を早める。……気を悪くさせたろうか。と、
「ここ」「えっ、あっ、ここ?」
突き当りを曲がった先に明らかに異質な、黒い外装で仕立てられた部屋が存在していた。
「ここの装甲と同じ、先生の発見した合金だね」
「これが執務室? もっとこう、木とか使っちゃえばいいのに」
「そこは錬金術師だし。見た目だけじゃなくて、完全に箱だからシェルターにもなってる」
わたしが説明に感心する間もなく、ミコトが扉に向かう。慌ててわたしは、
「ちょっ、ちょっと待って――――ありがとうね、ミコト」
「え、なに「えっと、ほら……あれ、シャトルから降りた後運んでくれたじゃない。その時のお礼言いそびれてたかもしれないなーって思ったから。それだけ」
たぶん、嘘をついた。でも、本当の部分はもっと、こんな一言じゃ表しようもない。
時代を変えてしまった人物に会えば、何かが変わるかもしれない。いや、変えたいから、わたしは部屋を飛び出した。
ミコトは、わたしをあの部屋から連れ出してくれた。学長に会うチャンスをくれたのだ。たとえ何も得られなくたって、わたしはミコトに感謝する。
一瞬、呆気にとられた様子のミコトだったけど、くるっと後ろを向いて「どういたしまして」と一言。鞄を持った方の手で顔を掻く。分かりやすい照れ隠しだった。わたしも少し気恥ずかしかったから、ありがたい。
ちょっと間を置いて、ミコトは扉についているモニターの前に立った。わたしはその斜め後ろに。
「……喋ってる。電話中かな?」
「え? そう?」
何も聞こえないけど……。
ミコトが伸ばした手を頭にやって髪を撫でつけたり、シャツの裾を伸ばし始めたのを見て、わたしもそれに倣う。
急いで出てきたから、丁度いい点検の時間だ。
……電話か。
このフラスコ内では、パソフォンはもう〝フォン〟としての機能は果たせない。
有害な宇宙線を遮断する外部装甲が都合よく電波を通してくれるわけないし、仮に通しても中継基地局までたどり着けはしないのだ。
フラスコ内の連絡はまだ渡されてないけど専用の端末と、有線式の電話でなされる。そして外部への連絡――わたしが家に連絡を取ろうと思ったら、専用の公衆電話からだ。
少し前まで自分の手の内に在ったものが、うだうだしてるうちに遠ざかっちゃったな……。
「そろそろ大丈夫そうかな」
改めてミコトがモニターのインターフェイスに触ろうとする。と、
『やあ、何か御用かな?』
その直前に若々しいお爺さんが映し出されて、わたしはびっくりしてしまった。だけど、もっと驚いたのは、
「初めまして。銃鋼から、預かり物があって参りました。銃命と申します」
動じる様子もなく、普段からは想像もできない程かしこまった、ミコトだった。
『……そうか、君が。今開けるから、入りなさい』
「手荷物検査など、必要はないのですか?」
『ゴウからの物なら、そうする必要はないよ。そう思わないかい?』
「……なるほど」
プツンと画面が真っ黒になる。気密ロックが外されるまでのまんじりともしない時間、色々ミコトに聞きたくなったけど、
「わたしのこと、言ってくれればよかったのに」
「言ったら、止められるかもしれないんだから、いいんだよ」
「――――? ねえミ扉のロックが外れると、ミコトはドアノブに手をかける。
そこからの数秒はあまりにも克明に、わたしの脳裏に焼きつくものだった。
ドアを開けようとするミコトが、ぽつりと呟く。そして、すっと部屋に踏み入った。
ただ、それだけ。だけど、だけどもドアを潜る前の、ミコトの表情。口を堅く結んだその表情は、
――――あの目だった。
そして、呟いた言葉をわたしの耳は聞いたのだ。
「返してもらう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます