第12話:希望の物語の主人公

 夢を見た。交通事故で死ぬ夢。死ぬ瞬間、僕はやっと地獄から解放されると思った。だけど、あの世で帆波に「君にはまだやるべきことがあるでしょう?」と、地上に戻された。現実に戻ると僕は彼の腕の中で泣いていた。


「おはよう。落ち着いた?」


「……事故で死ぬ夢を見た」


「……そうか」


「けど、帆波に送り返された。まだやることがあるだろって」


「……昨日、二人と何話したの?」


 彼の質問には応えず、ベッドから起き上がり、テレビをつける。帆波の遺書が原文そのままで放送されていた。


「……水元さん、こんな遺書残してたんだね」


「……遺書というか、呪いだよ」


「『それでも踏みにじりたいのなら、呪い殺される覚悟くらいはしておいてほしい』って書いてあるしね」


チャンネルを変える。どこもかしこも彼女達の話ばかりだ。ほとんどのテレビ局は全文を載せずに抜粋しているが、ここだけは全て載せてくれているようだ。


「……都合の悪い部分は切り取られて抜粋されると思ったけど、そうでもないんだな」


「……海、あのさ……もしかして海はずっと前から……」


「知ってたよ」


「……」


「二人が死ぬこと、僕はずっと前から知ってた。知ってて送り出した」


「……そっか」


「……なんで止めなかったのって思ってる?」


「いや、君を責める気はないよ。……こんな遺書見せられたら、止められなかったことくらい分かる」


「……そう」


「……ねぇ、海。俺に出来ること、何かある?」


 彼は隣に座り、優しい声で僕に問いかける。泣きたくなるくらい、そして、怖いくらい優しい声だった。


「……僕を甘やかして。側にいて。恋人なんて作らないで、一生僕の側にいて」


「……えっ。な、なに?プロポーズ?」


「……うん。そうだよ。麗音、僕と結婚してよ。どうせ僕は結婚出来ないし、君が誰かと結婚するのも癪に触る。一生僕を好きでいて。僕以外に恋をしないで。僕以外を愛さないで。死ぬまで一生、僕に片想いしててよ」


 そして、いつか耐えられなくなって、嫉妬に狂って、僕を殺して。

 そう締め括ると、彼は泣きそうな顔をして首を振って、僕を優しく抱きしめた。


「……最後の物騒なお願い以外は聞いてあげる」


「最後が一番叶えてほしい願いなんだけど」


「……そう言われても無理だよ。俺は君に生きてほしい」


「僕は君に殺されたい」


「なんで俺なんだよ」


「自分じゃ死ねないから。……帆波との約束が絡みついて、僕をこの世界から逃してくれない。助けて。僕を解放して」


「殺してくれるなら俺じゃなくても良いってこと?」


「……ううん。君が良い」


「なんで?」


「君の心が綺麗すぎるから。眩しすぎるくらいに。だから、真っ黒にしてやりたいの。嫉妬と、愛する女を殺した罪悪感で、真っ黒になってほしい。不幸になってほしい。幸せになるなんて許さない。その真っ黒な心のまま、君は死ぬまで一生罪を抱えながらこの世を彷徨ってほしい。追いかけてきたら地獄に落とす」


「君にそんな権限があるのかなぁ」


「……そうだね。そもそも、地獄に行くのは僕の方かもしれないね」


「……そんなことないよ。海に助けられた人はたくさんいるよ。俺もそうだし、水元さんと天龍さんもきっと」


「傷つけた人の方が圧倒的に多いよ」


「……どうだろうね。それは分からないけど、もし神様がいて、天国と地獄があったとして、君を地獄に落とすって神様が言うなら、俺は神様を全力で説得するよ」


「……やだ。優しくしないでよ……」


「何言ってんの。甘やかしてって言ったのは君だろ。どっちなんだよ」


「嫌だ……怖い。君の優しさが怖いよ。なんでそんなに優しいの?何が欲しいの?」


「……何も要らない」


「嘘だ」


「……海、俺はこの世界が嫌いなんだ。水元さん達を殺して、君を歪ませた異性愛主義の世界が許せない。君もそうだろう?海」


「……いいじゃない。君は。世界が変わらなくても幸せになれるんだから」


「なれないよ。海が笑える世界じゃないと俺は幸せになれない」


「なんだよそれ……重すぎんだろ……君はどれだけ僕に執着してんだよ……気持ち悪い奴だな君は……」


 僕を抱きしめる腕に力がこもる。


「死なせないよ。海。君が死んだら水元さん達の死が無駄になる。水元さん達が起こした悲劇の先にある希望の物語の主人公は君なんだろう?」


「……」


「理不尽な世界に負けないで。俺が支えるから。ずっと、ずっと支えるから。俺の人生の全てを捧げても、支え続けるから」


「なんで……そこまで……」


「……水元さんに頼まれたんだ。『海をよろしくね』って」


「……それは嘘」


「……ううん。本当だよ。けど、さっきも言ったけど、俺はこの世界が大嫌い。君を歪ませて、君から大好きな人を奪って、傷つけて、幸せを奪って、水元さん達を殺したこの世界が憎い。変えたい。変えないと……例えば俺に子供が出来て、その子が異性愛模範から外れてしまったら、また苦しむことになってしまう。だから海、お願い。逃げないで。俺も一緒に戦うから。どうせ死ぬなら、このクソみたいな世界に一矢報いてから死のうよ。俺も手伝うから。寿命が来るまで、出来る限りのことはするから」


「……っ……」


 彼の優しさが、温もりが、真っ黒に染まっていた心を浄化していく。浄化された闇は涙となり止めどなく溢れた。


『私、こんな国、大嫌い。大嫌いだけど……大好きなんだ。だから、変わってほしい。私達みたいに、同性を愛しただけの人達が迫害されない優しい国になってほしい。どれほど願っても、声を上げるだけじゃ届きやしない。人を殺しかねないことをしている自覚を持たせるためには、誰かが実際に殺されるしかない。そのために帆波が犠牲になるというのなら、恋人である私も一緒の方が、重みが増すでしょう?』


『海は沢山の人に影響を与えたじゃない。私と月子が付き合えたのは海のおかげだし、美夜が自分を同性愛者だと認められたのも、同性愛は病気なんかじゃないって海が堂々としていたおかげでしょう?きっと、海に勇気をもらった人は沢山いるよ。ありがとう海。君に会えてよかった』


『君が居なかったら、私は帆波と付き合えていなかった』


『きっと、君からもらった希望を、別の人にあげる人が出てくるよ。そうやって、希望のバトンはどんどん繋がっていく。……だけど……差別が蔓延るこの世界では、誰もが殺人者になりうる。それを知らしめるためには、多少の悲劇が必要だと思うんだ。希望だけじゃ、世界は変わらない。だから私達は悲劇を作る。海は、私達みたいなマイノリティがこれ以上差別に殺されてしまわないように、希望を振り撒き続けて。私達の選択を、可哀想な二人の同性愛者の悲劇で終わらせないために。悲劇から続く希望の物語を描いてほしい』


 帆波と月子が託した希望が、心に深く突き刺さる。


『君にはまだやるべきことがあるでしょう?』


 夢の中でそう言った帆波は泣いていた。落ちる時、帆波は言った。『辛い役目を負わせてごめんね』と。


「っ……!」


 近所迷惑だとか恥だとか、そんなことも忘れて子供のように声を上げて泣いた僕を、彼は落ち着くまで黙って抱きしめていてくれた。彼の心臓は、僕に対する恋を騒がしく主張していた。それでも彼はただ、黙って僕を抱きしめていただけだった。

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