剣鬼対策会議
その日、帝都ゲオニエスの深谷の底からそびえる巨塔に、ひとりの風変わりな剣士の姿があった。
つばの大きな
特注品の騎士服を身にまとっている。
とはいえ、肩に羽織っているだけだ。
正式な着方ではなかった。かなり着崩している。
だが、塔の内部を歩く彼の姿がひとたび帝国騎士たちの目に留まれば、皆が右拳を天へ突き出して、その場で敬礼した。
彼は帝国剣術の申し子にして奥義を習得した者。
帝国剣術十段・ゲオニエス帝国が誇る剣聖ゼラフォトだ。
ゼラフォトは塔の最上階へのぼり、両開きの荘厳な扉を押し開く。
長机が置かれた大部屋には、ひとつだけ人影があった。
「あっちゃー、ひとりだけですかい」
ゼラフォトは笹傘を外しながら、目を丸くする。
「ああ。俺だけだ」
答えるのは緋色の瞳をした美青年だ。
20代前半。きらめく金髪が二枚目ぶりに拍車をかける。
名はアーサー。彼もまた剣聖であった。
「ゼラフォト、あんたは誰とも一緒じゃないのか」
「あいにくとこの年まで独身なもんで」
「連れの話を聞いているわけじゃない。ほかの剣聖はどうした」
アーサーはイラついたように訊く。
「あんたはもうひとりのお嬢ちゃんと一緒に来ると思っていたが」
「イレイナは死んだな、ありゃ」
「負けたと聞いたが、命も奪われたか」
「みたいだ……まあ、過ぎたことですや。俺たちは剣聖としてやるべきことをやりましょうや」
「イレイナ・スティングス、弱くはなかったがな。残念だ」
と、その時、両開き扉が開いて、男が入室してくる。
灰髪のガッチリオールバックがトレードマーク。
見通すような青瞳には教養が。
端正に着込んだスーツには品格が宿っている。
「ジェントル、来たか」
「遅ればせながら参上いたしました。吾輩こそが帝国剣術十段にして『竜殺しの剣聖』の異名をもちし剣聖ジェ──」
「なんで知人の前で口上を述べる? 時間の無駄だ。席に着け」
アーサーのいらだちを受けて、ジェントルは大人しく腰を下ろした。
しばらく、3人はそのまま待っていたが、ほかには一向に入室してくる気配がなかった。
「はじめよう。これ以上は時間の無駄だ」
「ひとつ報告を」
「なんだ」
「吾輩、これがなんの会議か聞いておりません」
「たわけめ。剣鬼についてに決まっているだろう」
ジェントルは「なるほど」と手をポンっと打つ。
「10日前、剣聖イレイナ・スティングスが訪れた辺境都市ガライラの騎士学校にて、最悪の殺戮事件が起きた。死者2名、重傷者457名。重傷者のほうは皆、右腕を肩を残して斬り落とされている」
「そらあ酷い」
「吾輩、寒気がしてまいりました」
「犯人はアガサ・アルヴェストンという男子生徒だ。現場に居合わせた剣聖イレイナ・スティングスは、このアガサとやらに、いや、『剣鬼』アガサに敗れている。無様にも腹を刺されてな。この時、剣鬼アガサは騎士を二名追加に殺害している」
「まさしく悪鬼」
「でも、そうとうに腕が経つんだなぁ、そのアガサくんはぁ。うちのイレイナをぶっ倒すなんて、ほかの剣聖さん方にもわりと無理な話だと思うんだ」
「たわけめ。あんたは弟子だからって
「同感ですな。吾輩の奥義──天穿があれば、1秒で片付きます」
「そうですかい」
ゼラフォトは苦笑いをうかべる。
「まあいい。問題なのは剣聖が敗れたことで、そのほか9人の帝国剣術十段保有者が侮られていることだ」
「剣聖イレイナは吾輩たちのなかでも最弱の第十位の剣聖。とはいえ、剣聖が負けたことには変わりありませんからな」
10人の剣聖には序列がある。
序列は十段保有者になった順番でつけられているものだ。
自分より上の序列をもつ剣聖を倒した者は、その順位を奪える。
ただ、順位をあげるために決闘を申し込ことは、すなわち自分よりも先輩に挑むことであり、容易く行えるものではない。
「そこでだ。皇帝陛下より直々の勅命で、俺たち帝国剣聖ノ会に剣鬼討伐が命じられた」
「だから、呼び出しだったんですかい」
「なるほど、吾輩の灰色の脳細胞は完全に状況を理解しましたよ。つまるところ、今日会議に来ていないみなさんは、すでに剣鬼討伐にフライングスタートをかけたということなのでは?」
ゼラフォトは「あらら、先越されちゃったあ」と額をぺちんっと叩く。
ジェントルは頭痛にこめかみを押さえる。
「最強の剣聖たる吾輩を差し置いて有象無象が挑むとは。……ふむ、しかし、よくよく考えれば、高貴なる帝国剣術すらおさめていないという我流の野良剣士に、吾輩の絶剣を使うというのも癪に障りますな」
「おいおい、ジェントルさんそれを酸っぱい葡萄って言うんじゃねえかい」
「違いますとも、ゼラフォト殿。吾輩は大トリで結構。ほかの剣聖の方々が倒されたら出陣するとします」
ジェントルは腰をあげて「では、負けたら泣きついて来てください。その時は仇を討ってさしあげます」と傲慢に言い残して、部屋を出ていった。
「俺たちもいこう」
アーサーは腰をあげる。
「んー、俺はパスで」
「は?」
アーサーは目を丸くして、ゼラフォトを見つめる。
「無理だぜえ。俺たちが相手にしようとしてるのは、おそらくまったく違う次元に到達した剣の皇帝さまだ」
「なにを馬鹿なことを言っている。相手はたかだか17歳のガキだ。それも我流だと聞く。剣の術理を知り尽くした我々が勝てなくてだれが倒せる。俺たちが剣の皇帝だ。アガサなどというぽっと出の若造ではない」
「まあそう言うよな。おっけ、アーサー、戦って殺されなかったら感想聞かせてくれ。その時は酒をおごってやる」
「ふん、腰抜けめ。序列三位のあんたがそれじゃあ、ほかの剣聖にまるでしめしがつかんな」
アーサーは軽蔑の視線だけをのこして、部屋を出て行ってしまった。
ひとり残されたゼラフォトは深く椅子に腰かける。
あの日、雨の日。
ゼラフォトは目撃していた。
愛弟子の初の剣術指南遠征だというものだから、こっそりついていって辺境都市に乗りこんだ。
そして、見た。
真実の一太刀を。
自分がやってきた剣術がただの児戯にすぎないと思わせるほどの、圧倒的な説得力をそなえた最強無敵、天下無双の究極剣。
ゼラフォトはもう自分が剣聖などとは思ってはいない。
否、帝国剣聖ノ会に真の剣聖はいない。
彼こそが剣聖だ。
剣聖アガサ・アルヴェストンだ。
「あの剣の冴え。尋常では勝てんぜ、剣聖さんたちよ」
誰もいない会議室に静かな笑いがこだましていた。
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