第43話 今大事なもの
この時期にしては珍しく晴れた土曜日の昼。
家から一番近い――といっても十六キロメートルくらい離れているのだけど、その街を一人で歩く。
あきが選んでくれた鼠色のダッフルコートに、ニットセーター、ガウチョパンツというスカートみたいなのにスニーカーを履いて歩く私は、周りからは一体どんなふうに見えているのだろうか。
ふと店のガラス張りの壁を見てみれば、反射しているのか、そこには何処にでもいそうな女の子がこちらを上機嫌そうに見つめていた。
「ほぉ」
白い息を一つ吐いて、そこでクルクル回ってみる。
これが私かあ。
普段は髪ボサボサで、ほぼ同じ柄のパジャマしか着ていないような人間にはとても見えない。
あきが整えてくれた髪に、あきが選んでくれた服。
ふむ、わるくない。
お洒落をする、というのは私にとっては中々新鮮で、もう少しそこでクルクル回ってみる。
すると周りからはクスクスとおばあちゃんやおじいちゃんの笑い声が上がって私の耳へと届いた。
我に返って、すっとその場で止まり、意味ありげにスマホを開いて気付かないふりをした。
恥ずかし……。
それはそれとして……本来の目的を思い出して、一人で少し雪の積もった道をトコトコ歩き始める。
一人でこういったところを歩くのは初めてだ。
お洒落だって今までだったらすることなんてなかったし、もしかしたらこれは夢の中なのかもしれない。
そんな非日常感が私の中を渦巻く。
昔からあまり外へ出ることがなかった私にはどれも新鮮な光景だ。
今思えば一人で行動するのはいつぶりだろうか。ここ数ヶ月は隣を見上げるといつも同じ顔がいた。
朝起きても隣には同じ顔がいたし、寝る時だってそこにいてくれた。
でも今は隣にいない。私から一人で行くって言ったのに、一末の寂しさを覚えてしまう私はかなりあきに毒されているのかもしれない。
今日の目的はあきへのクリスマスプレゼント。誕生日は結局何もあげなかったし。
いつも貰ってばかりだからたまにはね、って。
かといって私にあきの欲しいものなんてわかんなくて。
いっそ聞いて買った方が間違いないよなーなんて思ってあきに聞いてみれば、顔を伏せて――かえでが欲しい、なんて言うのだからもうなんか……色々ダメだ。
別に私はいいのだけど、減るものでもないし。
……あれ、どういう意味なんだろう、私が欲しいって……。
――まさかね?
まあそれはそれとして、どうしたものか。
とりあえず行動あるのみ! って事でここまで来たはいいけど、この辺の地理なんか私は知らないし、スマホの地図頼りだし。
うーん、どうしたものか。
とりあえず足だけは止める事なく、前へと進んでいるうちにコンビニへと辿り着いて、一度小休憩を挟む。
かといって何か買う訳でもないのに店内に入るのも幅がられて、外のベンチに座り水筒のお茶を飲む。
蓋をくるくる回して開けてみれば、ぼやあって湯気が出てきて、どこまでも隙がないあきの心遣いに少し苦笑する。
温かいお茶を飲みながら外をぼけーって眺めてみれば、意外と景色は悪くないものだった。
「あきも飲――」
水筒をあきに渡そうとして隣を見るけど、そこには誰もいない。
「あー、」
はははなんて一人なのに誤魔化すように笑う。
寂しいやつだな私。
何となく背もたれに寄りかかって、スマホを開いてギャラリーを起動した。
最近の写真にはあきの顔ばかりで、いつだって違う色をあきは残している。
最近のことばかりなのに懐かしくて、画面をスクロールして一番古い写真まで戻ってみれば、両親と私の写真をスマホのカメラで撮ったものが出てきた。
写真を写真で残す、なんて変かもしれないけど。
その写真以外は全て捨ててしまったから。
結局、よくある話の一つでしかない。
両親が死んだ、なんてのもよくある話だろうし、あまり良い家族でもなかった、なんてのもよくある話だろう。
私にとって、この広すぎて長く続きすぎた世界ではどれも前例のあることばかりで、私一人に限ったことなんて何もない。
私もそんな、よくある話の中の一人でしかなくて、主人公でもなければヒロインなんかでもない。
今だって人が死んでいる。私が息をしている間にも人は死ぬ。寝ている時だって、あきと笑っている時だって、人は死ぬ。
だから両親はその内のことでしかなかった。
何も特別な話ではない。
だけど、――もし。
もし、あきが死んでしまったら。
私はどうしたらいいんだろう。
『あき』
『ど、したの。珍しいね』
『声が聞きたくて』
『ちょっと待って』
遠くからちょっと外出てくる、ってあきの声が聞こえた。
私を優先してくれていることに、私に時間を使ってくれることに少し喜びを感じる。
結構私性悪なのかも。
『ん、何かあった?』
『なんでもないよ、ほんとに声が聞きたくて』
『そっか、……寒くない?』
『へーき、そっちこそ寒がりなくせに』
暫く他愛のない話をして、二人で笑う。
なんだろうな、……足りない。――満たされない。
一度肥えた舌は中々その味を忘れられない。
『ねえあき』
『うん』
『私の事、好き?』
『んぐっ!』
よくわからない、餅を喉に詰まらせたような悲鳴がスマホ越しに聞こえた。
『耳、まだ慣れてないからそういうの卑怯……』
『……私の事好き?』
『好きだよ』
『どのくらい?』
『珍しいねかえでがそういうこと言うの』
うーん、とスマホ越しに苦笑しながら考え込んでいるあきの息遣いが伝わる。
『わたしは、行動で伝えたい……かも』
『……行動?』
まあなんだ、とあきは前置きして。
『帰ったら、また話すよ』
と話を切る。
本当はもっと話したかったのだけど。
実際あきの声を聞いて少し落ち着いてしまった私がいた。
『……うん』
『またね』
『うん』
電話が切れる。
まあ、さっきよりは元気出たかな。
なんともまあ情緒不安定だ、私は。
「さーあてぇ」
長いこと座っていた気がするベンチからようやく重い腰を上げた。
腕を伸ばしつつ周りをザーッと見渡せば当たり前だけど人が通っていて、我ながらよくこんな人目のあるところでこんな話できたなあって思う。
まあ、いいでしょう。そのうち人前でもあんな風になるのかもしれないし、私たちは。
……いやどうだろ。
うーん……ま、いっか。
「さあ、行くかあ」
「んー行きますかあ、どこ行く?」
「とりあえず小物店かなあ……。小物好きそうだし……」
「んー、案内してよ。私この辺の地理忘れちゃってさ」
「いやいや、私こそ知らない……し?」
――私は一体誰と会話している?
「え、っと……誰、ですか」
「久しぶり! かえちゃん!」
「久し……ぶり?」
短く切った艶のある黒髪に、私よりも、あきよりも高い身長。
クラスの男の子たちとも遜色なさそうな、その身長から見下ろされる。
黒い、名前の知らないコートにデニムのジーパン。一件男の子と間違えそうなハスキーな声。
……誰、だ?
私のことをかえちゃんって呼んでいた子は確かに一人いた。
けど、その子の名前は……なん、だっけ。
「え、っと。小学校、同じだった……」
「そうそう! 私! 覚えててくれたんだ! 変わんないねぇかえちゃん!」
「ん、と。その……小学校、同じだったよね」
「うん? うん、よく一緒に遊んだよねえ、私大きくなったでしょ」
目の前でへへへ、って頬を掻いて笑っている。
知らないその顔。誰、だったかな。
「えっと……名前、はなんだっけ」
「え」
喉の奥で篭った、歯切れの悪い声が聞こえる。
「そ……だよね。もう四年……だ、もんね」
はははって誤魔化すように口は動いているけど、目は笑ってない。
自分に言い聞かせるようなその言い方で、言葉を間違えたことを悟った。
仲の良かった――ちゃん。
名前、は。
「しお、だよ。
「あーん……っと、しおん、ちゃん」
私がそう呼ぶと悲しそうな顔を……しおんちゃんはする。
知ってる、知ってるよ。でも。
……思い出せない。
「あ、んと私今日おばあちゃんのとこ来てて……んーと、また連絡したいからさ。連絡先の交換だけ、しとかない?」
「あ、うん。……しおんちゃん」
お互いにスマホを取り出してアプリを起動する。
交換した所で何か私たちは変わるのだろうか?
元の関係には決して戻らない。
私たちはお互いに変わりすぎてしまったから。
外見上では、私はあまり変わっていないのかもしれない。
けど……あの頃の無邪気な私は、もういない。
「そんじゃ、また連絡するね。かえちゃん」
「あ、うん。しおんちゃん」
「……そ、彼氏へのプレゼントだったら香水、とかオススメだよ」
それじゃあね、と手をヒラヒラしながら私へ背を向けどこかへと歩いていく。
その背中に当時の面影はない。
……いずれ来る連絡が憂鬱だ。
それに。
「彼氏……じゃないし」
小さく呟いたその声は、きっと届いていないと思うけど。
「まあ、いいや」
もうさっきから感情の起伏が激しすぎて疲れてしまった。
今大事なのはあきだ。
正直もうどうでもいい。しおんちゃんとか、もう。
あきさえ居れば私はもういい。
まあでも香水、か。
それは悪くないかも。
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