第40話 プレゼント

 十月二十五日は何ともまあ、激動の一日だったと思う。

 風邪をひいて、熱出して、看病されて、……色々あって、――告白されたりして。


 もう既にお腹いっぱいなのだけど、あと一個誕生日を祝われる予定が出来ていた。私としてはそういやそんなのあったなあって感じもするし、うーん、それどころかなって感じもする。もっと大事なお話とかあるんじゃないだろうか。

 

 台所の椅子に座ったままぼけーっと横目で台所を見つめると、あきが忙しなく働いている。

 何か簡単な料理を作る……なんて言っていたけど、妙に気合が入っているのが見ているだけでも伝わってきた。それこそ鼻から蒸気が出ていそうなくらいには。

 あきって料理できたんだ。



 

 あきはどうしても私の誕生日を祝いたいみたいで。もとより誕生日を祝うつもりで泊まりに来てたんだとは思うけど。……なんか色々あったが。


 ケーキはあきのお母さんが持ってきてくれるらしい。一応彼女の母親、という事になるのだろうか。

 ……どうなんだろう。

 とはいえ私から報告するのもなんか恥ずかしいし、複雑な顔をされそうだ。

 ……いや、案外あのお母さんならおめでとーぐらいで終わりそうだ。


 手持ち無沙汰でやることもなく、ぼけーっとあきを眺めながら思考に耽ける。

 最後に誕生日を祝われたのは小学六年生だったはずだ。

 あの時は何を貰ったっけ。……忘れてしまった。

 本当に欲しかったのは、それこそ愛されてる感だった。


 今はちょー愛されてると思う……多分。


 プレゼントも貰って、ケーキも食べさせてくれて。豪華な料理も作ってくれた。

 それでもお父さんとお母さんは喧嘩をしていて。

 ――楽しくなかった。嬉しくなかった。

 私は叫喚の中、一人で黙々とケーキを食べているだけ。

 喧嘩しないで、なんて言ったら子供が入ってくんなって、逆に怒鳴られて。

 私が二人の間に入ることなんかとてもじゃないけどできなかった。

 ――それでも、もし……もし根気強く間に入り続けていたのなら、二人と仲良く暮らしていた今があったのだろうか。

 そんな未来が想像できなくて、視界に光が走りあきが消えて、お父さんとお母さんが、蝋燭が十六本刺さったケーキを囲みながら喧嘩をしている景色へと移り変わる。


「ぅっ」


 気持ち悪くなってきて、吐き気がした。

 目眩もして、背もたれのない丸椅子からバランスを崩して倒れる。

 その体勢のまま、頭を下にして口を咄嗟に手で抑えるけど、口からは何も出てこなくて代わりに胃液が喉にまで滾っていく。

 喉が熱くて苦しい。


「かえで!」


 いつの間にか、隣にまで近づいてきていたあきに背中をさすられる。隣で大丈夫だから、とただただ優しく落ち着かせようとしてくれているあきが見えて、実際少し落ち着いた。

 私の口からは何も出てこない。……気の問題だ。気を、強く持て。

 すーはー、と一度深呼吸をする。


「大丈夫」


 また息をゆっくりと吐いて、大丈夫と伝える。

 まだ喉がヒリヒリと焼けるような痛みを残していて、正直まだ怖くて。


 それでも隣に誰かがいることに安心する。

 ――いや、違うな。

 あき以外じゃきっと私は安心できなかった。

 あきだから、きっと私は安心感を覚えられた。

 私にはあきが必要だ。

 だけど、もしあきがいなくなったら。その時私はどうしたらいいのだろう。


「もう少し、背中さすってようか?」

 

 それを知ってか否か、あきはきっちりと私を掴まえに来て、隣にいてくれる。

 この空間が、とても心地よくて。抜けられなくなってしまいそうな自分に危機感を覚えはするけど。


「……うん」


 ついつい頷いて頭を伏せた。

 心では甘えるな、って思ってはいる。それでも体は言うことを聞いてくれなくて、ついつい甘える事を選んでしまう。

 ……もしあきがいなくなった後、後悔して、また塞ぎ込むのはわかっているのだけど。それでも私は今をあきと過ごしている。

 あきを失うのが辛いな。




「もう、大丈夫」


 心の中の甘えを今度こそと振り切って、優しい空間を遠くへと投げ出す。

 それでも無様に私の背中は、その温かさと感覚を忘れないようにと抵抗しているのかあきの体温を仄かに残していた。

 どんなに辛くても、寂しくても、一人で生きられるようにはならないといけないんだ。


「またキッチン戻るね。なんかあったら呼んでねっ。そ……その、彼女っだからさ」


 あきは少し挙動不審になりながら、声までうわずらせてそう告げると私に背中を向けて持ち場へと戻っていく。

 自分で付き合いたいとかそんなんじゃない、って言っておいてそうでも無いのが見え透けて少し苦笑した。

 あきはいつも私に幸せで楽しくて恵まれた、幸せでいて許される時間を与えてくれる。でもこれは、一体いつまで続いてくれるのだろうか。

 失うことが辛くて、胸が痛いのと裏腹に背中は未だにあきの体温を微かでも忘れないように――と、体に刻みつけるように残している。

 ……一度失う痛みを覚えてしまってからずっと、失うことへの恐怖が忘れられない。

 私は臆病すぎるのだろうか。




 あきのおかげでいくらかは冷静を取り戻して、客観的に自己分析というか、こう……私はネガティブなんだなあと改めて思わされる。


 今は今、明日は明日。そう思いながら日々を過ごしているのは本当にそうなのだけど、それは今を全力で生きている訳ではなくて。

 それは明日があるかなんてわからないし、あったとしてなにかが劇的に変わる訳でもないだろうなあ、みたいな諦めみたいなもので。

 よく言われてることかもしれないけど、期待するから失望する。だったら最初から期待しなければいい、みたいな感じだ。


 ……それでも私は、あきと一緒にいる明日を想像したい、なんて思ってしまうのは単純すぎるのだろうか。

 たいがい私もあきのことが好きなのかもしれなかった。


「……ねぇ、あき」


 どうせなら聞いてしまえ、とその背中に声をかける。もう既に答えは知っているし、聞いているのだけど。


「どうしたの?」


 嫌がることなく屈託のない温かな笑顔を私に向けながらあきは振り返る――どころか隣までやってきて、椅子に座り、目と目を合わせてくる。

 でもその瞳は緊張しているのか不安定に揺れている。それでも決して目を逸らさない所が実にあきらしい。

 

「改めてお願い……というか聞くんだけどさ」


「うん」


「あきは、……いつまで私の隣にいてくれるの」


「かえでが許してくれるなら、ずっと」


 いつもは引っかかったり声が震えたりしてるくせに、こういう時はスラスラと答えてくれるのが実にあきらしい。

 ――あきは卑怯だ。


「私、めんどくさいよ。……すぐ泣くし、すぐ落ち込むし、すぐ気分が変わる。……その、情緒不安定でさ」


 それでも、と続ける


「嫌いにならないでいてくれる?」


「うん」


 当然とばかりに顔色一つ変えずにあきはけろっと答える。……あきは卑怯だ。

 ……私は本当に、実に単純にできているみたいで、

私が好きな人を好きになってしまうようにできているらしい。……相手は同じ女の子だけど。

 だけど、それも悪くないのかもしれない。あきであるのならば。

 性別なんてきっと関係なかった。

 あきが男の子でも女の子でも、きっと同じだ。

 ……添い寝はちょっと怪しいけど。


 本当に案外、好きというものは単純なのかもしれない。

 私とあきの好きは同じ好きになれただろうか?


「ありがとあき。……大好きだよ」


 いつもの調子で、からかうつもりで言ってやろうと思ったけど、何だか目を合わせたまま言うのが恥ずかしくて、目を伏せながらそう呟く。

 聞こえていたのかはわからない。

 ……やっぱり聞こえていないでほしい。今になって恥ずかしくなってきた。

 あきはどうしてあんな風に好意を素直に口に出せるのだろうか。

 いや、そうでもないか……。


「……最後なんか言った? 顔紅い……風邪で無理してない? 大丈夫?」


「なんでもないっ! ……大丈夫。少し頭痛いから伏せてるだけ、大丈夫だから」


 ああ、くそお……。これなら聞こえていた方がいくらかマシだった。いっつも聴覚過敏なのになんで今回は聞こえてないんだ、あきは。


 妙に心臓が痛くて、恥ずかしさからか頭に熱が昇るを感じる。

 ……そりゃ、瞳も揺れるし、耳も紅くなるよなあ。

 ……あきの気持ちが少しわかった気がした。




 ピーンポーンと、どこか気の抜けたチャイムが耳に届く。


「お母さんかも」


「私行くよ。あき忙しそうだし」


 何やら鍋を菜箸でぐるぐるしているその背中に返事をする。


「わたしパスタ茹でてるだけだし、わたし行くよ」


 わたしパスタぐらいしかつくれないし、かえでまだ頭痛いでしょ? とあきは続けた。


「だいじょーぶ。それにこういうのは私がいかなきゃ」


「それじゃあ、お願い」


「ん」


 椅子から立ち上がり、そのまま玄関へと向かう。

 台所の扉を開けて廊下へと出ると温度がガタッと下がったのを肌で感じた。

 格好はパジャマのままだけど、まあきっと大丈夫だ。でも上に一枚ぐらい羽織ってくればよかった。

 玄関の扉を開ける前に、一応あきのお母さんへとメッセージを飛ばそうとして、通知に気づく。


『着いたから早めに空けてくれるとうれしーな』


 何だかよくわからない、厚着をしたペンギンが氷の上でブルブル震えているスタンプと一緒に送られてきていた。

 寒いというのはヒシヒシと伝わってくるけど、流行ってるのかな。

 あきの寒がりはお母さん譲りか。


「わざわざありがとうございま――」


 お礼を言いながら扉を開ける。

 しかしあきのお母さんの姿はどこにもなくて、少し固まった。

 あれ、裏口だったかな。……でもチャイムは玄関にしかないし。

 車は道路に止まったままだ。一体どこへ?

 とりあえず室内へ戻ろうと、後ろを振り向く。


「やっほ!」


 声にならない悲鳴をあげて、尻もちをつきそうになったところをあきのお母さんに腕を掴まれ、何とか踏み堪える。


「びっっっくりした! どうやって先に入ったんですか……」


「チャイムだけ鳴らして裏口から来たの!」


「裏口の場所知ってたんですか……?」


「それはもう、チャイム鳴らす前に下見ぐらいおちゃよおちゃ!」


 おちゃ――おちゃのこさいさいか。

 あきのお母さんはなんと言うか不思議な人で。ふわふわしている、というか割と天然な人だ。

 あきも少しそういうところがあるから、やっぱりあきはお母さん似なのだろう。

 

「よくあきに見つかりませんでしたね……」


「わたし足音消すの得意なの」


 足音もだけどどうやって裏口の扉を開く音を消したんだろう。

 まあ、いいや。この人の事だし。


「ていうか、寒そう」


「私、家にいる時は年中無休でこんな格好ですよ」


「夏は涼しげでいいかもだけど……タイツぐらい履いたら? この時期に生足とかつよいのねえ」


「まあ風邪はひきましたけどね」


 はははって自嘲気味に笑う。実際寒くはないんだけど、体は私へと白旗を振っている。


「めんどくさくて」


「かえでちゃんらしい」


 ふふふってあきのお母さんが笑う。

 そういうあきのお母さんはタートルネックにジーパンで、その上にコートを羽織っている。

 まあ普通の外着って感じか。思っているほど過剰な防寒をしているわけではなさそうだ。


「お、わたし今品定めされた? おいくらぐらい?

まだモテるかしら」


「既婚者でしょ……」


「人妻って結構需要あるらしいよ?」


「生々しいです……」


 ふふふって秋のお母さんは笑った。


「そうそう、ハピバかえでちゃん!」


「あ、ありがとうございます」


「うちの娘の事よろしくねえ」


「よろしく……?」


 一体どういう意味なのだろう。でも一々あきのお母さん相手にそんな事気にしても、時間の無駄だと私の経験が語っている。


「これ、ケーキね」


 あきのお母さんは床に置いてあったケーキが入ったらしき白い箱を持ち上げて私へと差し出す。

 

「ありがとうございます」


「お粗末さまでした」


 まだ食べてはいないのだけど。

 やっぱりあきのお母さんは不思議だ。


「そ、これわたしから」


 ケーキ以外にもうひとつ、プレゼント用――いや長いな? やけに横に長い袋ともう一つ、私の両手より少し大きいぐらいの袋を渡される。

 どう持てばいいんだろう。

 

「あ、持ちきれないか」


 てへ、って笑ってあきのお母さんは長い方の袋を持って台所へ向かう。

 

「二つもありがとうございます」


「二つも三つも変わんないからねえ」


 三つもあったかな。

 長い方にもしかしたら二つ入っているのかもしれない。

 

「小さい方はあきからだから。開けるのは……本人の前でしてあげて。きっと喜ぶから」


 にこって笑いながらあきのお母さんが言う。

 よく笑う人だ。よく笑うから笑顔が似合うのか、笑顔が似合うからよく笑うのか。

 この人の場合はきっと前者なんだろう。

 笑いなれている人の笑顔だ。

 私の笑顔はきっとまだぎこちない。


「あの」


「んー?」


 立ち止まってその背中へと声をかけ、そういやと話を切り出す。


「お名前、なんて言うんですか? 呼ぶ機会もなかったし、ラインの方もあきママだから」


「あー、わたしの名前? そういや言ってなかったかも。わたし真冬。よろしくねぇ」


 やっぱり、夏か冬だった。あきが秋で、はるくんが春。真冬さんが冬で……となるとあきのお父さんは夏何とかさんなのだろうか。


「真冬……さん。ありがとうございます」


「いえいえ」




「やっほ、あき」


 台所へ入ると真冬さんはあきの元へと片手を上げながら近づいていって、あきの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 それにあきは慣れているのか特に抵抗することもなく、パスタを皿へと盛り付けていた。

 本当に仲のいい家族だ。


「お母さん……かえでに変な事したでしょ。悲鳴聞こえたよ……? 通報されるかも」


「まーまー。そんな事もあるって」


「意味わかんないよ! ……お母さん、その」


「いいの、いーの。荷物、はまだ車だけど。それはかえでちゃんに聞いてからね」


「……?」


 私が知らないところで何か話が進んでいるみたいで、すっかり蚊帳の外だ。

 一体どういう話になっているんだろう。


「ほら、あき。わたしから喋っても仕方ないでしょ?」


「それは、そうだけど」


「ほらっ」


 真冬さんがあきの足首を控えめに蹴ってあきを私の所へと向かわせる。


「かえで」


「ん」


「この家に、住ませてくれませんか」


「…………………………」


 思考がフリーズする。頭の中が疑問符で埋め尽くされている。

 ………?

 いや、え?


「ダメ、ですか」


「いや、んと、その」


 まるで言葉が出てこなくてその場に立ち尽くす。

 真冬さんはいいのかなって思って視線を向けるとただニコニコとしていた。

 ……いいのかな。


「私こそ、いいの?」


「も、もちろん!」


 本当に、あきは私の隣にいてくれるのか?

 約束は確かにした。

 でもそれは本当に守れるような、簡単にできるようなものではなくて。

 まさか本当にずっと隣にいてくれるなんて、それこそ家に住んでまで守ってくれるなんて思ってなかった。

 良いのかな。私なんかで、本当に。

 好き、だからか。

 ――じゃあ、良いのかな。 


「……よろしくお願いします」


 深々と頭を下げて、こちらの方からお願いをする。

 いいのかな。

 こんなに、私は。

 恵まれてしまって。


 最高の、誕生日プレゼントだ。


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